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第一章 『雄鳥の産む卵』14

 スタイアは静かにあたりを睥睨すると傷ついたラナ、呻くユーロを認めた。

 そうして白銀に輝く剣を手に立つマチュアを見て肩をすくめた。


 「……何用ですかね?」

 「魔王を斃しにきたわ。それが、勇者だから」

 「どこに?」

 「居るじゃない。そこに」


 マチュアは剣の切っ先でラナを指し示した。

 スタイアは僅かにその切っ先を一瞥し、かばうように前に立つ。

 互いに笑った。

 どこか、緩慢な動きでスタイアが剣を引き抜いた。

 それに合わせるようにマチュアも剣を両の腕で把持した。

 二人は互いに切っ先をお互いの喉に定め、柔らかく笑った。


 「それは人ですよ。あなたより」

 「あなただけには言われたくないわ」


 空気がぎりぎりと引き絞られ、撓む。

 どこまでも静かな風が確かな熱気に歪み、音を消す。

 お互いの眼光が鋭く絡み合い、気だるげな、それでいて確実な死を運ぶ気配を散らす。


 「なれば、斬りますかね?」

 「斬るわ」


 ほぼ、同時に爆ぜた。

 大地が爆ぜる音より速く、鋼のぶつかる火花が散った。

 一直線に駆けた二人はただの一振りで互いの剣を躱し、競り合う。

 火花が散り、互いが身を入れ替わると弾けるように離れ剣を構え対峙する。


 「遣う」


 静かな熱気を後に引き、冷めた声でスタイアが言った。


 「……田舎剣法だと思って、バカにしてたわ。剣理の先にいたのね」


 黒髪を風に流すままに、マチュアは獰猛に笑う。

 どこか嬉しそうに笑う二人は互いに構えを変える。

 スタイアは大上段に、そして、マチュアは下段に。

 再び過熱されてゆく大気に静かに風が差し込み、スタイアのローブのフードを僅かに捲った。

 爆ぜるように二人は駆け出す。

 前にではなく、互いに横へ。

 拮抗した剣の剣気は二人を引き離すことなく、向かい合わせたまま走らせた。

 やがて二人は森へ駆け入り、互いの距離を変える。

 マチュアが距離を離し、懐に手を入れるがその胸甲をスタイアの剣が突き上げる。

 反射的に伸びたマチュアの剣がスタイアのこめかみを叩くが、銀翼の兜の上で滑る。


 「「チェ……イァァアアッ!」」


 裂帛の気合いが爆ぜ、間に挟んだ大木ごと剣が交わされる。

 人一人斬って有り余る衝撃がぶつかり合い、大気が爆ぜた。

 鈍く、重く、そして怜悧な剣戟の音が鼓膜を焼く。

 残像すら残して迫るスタイアの剣を、マチュアは文字通り掻き消えて避ける。

 そうして、腰の帯皮に吊した指輪に五指を差し、詠唱する。


 「……翻りて時を断て、『刹那の弾劾』」


 景色が灰色に染まり、黒ずんでゆく。

 完全に止まりだした時の流れの中でマチュアは一気にスタイアに駆け寄るとその首に剣を走らせた。

 魔導具を持たないスタイアがこの剣を避けられる訳が無い。

 だが、しかし、幾多の戦場をくぐり抜けたマチュアの本能がそれを否定した。

 一瞬の逡巡だが、この逡巡が命取りになることだけは理解していた。

 だから、本能に従うことにした。

 止まりゆく時の中で、スタイアがゆるやかに振り向いたのだ。

 その手に把持した剣の切っ先がマチュアの心臓に向けられている。


「――ッッッアァッ!」


 その切っ先を受け流し、スタイアの背後に駆け抜けてマチュアは彼の咆哮を聞いた。

 眼前に立つ剣鬼の持つ凄まじい殺気にびりびりと肌を焼かれる。

 マチュアは立て続けに呪文を唱える。


 「……階への導き、『瞬きの閃光』」


 激しい閃光があたりを包んだ。

 振り向きざまにマチュアを直視したスタイアの視界が爆ぜる。

 ――単純な閃光による目眩まし。

 単純であるが故に、強力であることはマチュア自身が身をもって知っていた。


 「……艱難を砕く『穿貫の右腕』、幾重にも刻め『虞円の理』」


 マチュアは体内を巡る血が熱くなるのを感じた。

 そうして、意識が二つ、四つ、そして六つへと別れてゆく。

 もし、スタイアの目が見えていたのであれば何人にも別れたマチュアの姿を見たであろう。

 それぞれがそれぞれ、別の角度からスタイアを捉えていた。

自身を複数作り、自らの支配下に置くという感覚は経験することでしか体得できない。

 だが、複数の視野を重ね、それでいて増幅された膂力でもって必殺の剣を振るう。


 「翻りて時を断て『刹那の弾劾』……そして、全てを渦へ『螺旋の息吹』」


 灰色にあせてゆく景色、そして、腕の中に産まれる力の奔流。

 五指にはめた指輪の全てが輝き、最後の力ある言葉を唱える。


 「命運を照らす暁ッ!《ドーンブレイズ》ッ」


マチュアの腕の中、剣が青白い紋様を刀身に浮かび上がた。

 浮かび上がった紋様は光を膨らませ、またたく間に紋様を虚空に走らせる。

 疾駆したマチュアの腕の中、暴れる光がスタイアへ向けて振るわれた。

 幾重にも広がった光が、視界を奪われたスタイアの元へと走る、奔る、迫る。

 その刹那の瞬間、マチュアはどこかゆるやかな風を感じた。

――激しい閃光が立ち上った。

 遠く、その閃光を目にしたタマは何事かと空を見上げる。

 そうしてヨッドヴァフの郊外を向いた目はいくつもあった。

 夜空に立ち上がった炎はまるで朝焼けのように空を焼き、まばゆい閃光を放った。

 圧倒的な力の奔流が大気を焼き、その残滓がゆっくりと分身を消すマチュアの頬を焼いていた。

 確殺の手応えは、あった。

 必殺の機会、そして、逃れ得ぬ最大の火力でもってねじ伏せた。

 魔王すら灰燼に帰す必殺の一撃を、見舞ったのだ。

 だが、しかし――

 

 「……なんなのよ」


 揺らめく粉塵の中心に立つそれは静かに剣を振り上げ、背に負いながら立っていた。

 同時刻の多方向からの圧倒的力量による衝撃剣。

 それがマチュアの放った複数魔導具を起動した上での聖剣ドーンブレイズによる剣撃である。

 だが、その先に立つ褐色の幽霊は確かに二本の足で大地を踏みしめていた。

 異名のような、幽霊では決して無く。

 確かに、そこに生きていたのだ。

 眩んだ瞳は未だ視力を回復させてはいない。

 だが、この男は全ての衝撃を剣だけで打ち払ったというのだろうか。

 ――並の剣ではこの衝撃には耐えられない。

 ならば、何故。

 瞬時にマチュアは現実を受け止め、分析する。

 荒ぶる衝撃に真正面からぶつかるのではなく、耐えられるだけの力量で受け流し、別方向の力に向けてぶつけ相殺する。

 だが、それでは相殺される際に発される衝撃はどうやっていなしたのか。

 マチュアは地面を焦がした爆風の中心地を眺め、理解する。

 衝撃の沸く地点を僅かにずらし、渦となるように配置する。

 そうすることで自身の立つ場所に広がる衝撃を最小限にすることで凌いだのだ。

 ――これが、人なのか。

 信じられないが、信じるしかないのであろう。

 現実を瞬時に受け止めるのは良き戦士の在り方で、生きる為の道理である。

 スタイアはよろよろとマチュアに向き直り、剣を構える。

 その瞳には深く瞼が覆い被さっている。


 「魔導具も無しに凌ぎきるなんて……あんた本当に人間?」

 「彼女に剣を教えたのはあなたですね。なるほど……これは強い」


 スタイアはどこか、楽しげに笑った。

 殺気が嵐になって大気を掻き乱す。

 マチュアは曲がった体躯から発された殺気が渦を巻き、火の粉を散らす錯覚を覚える。

 引いてゆく粉塵の中、剣を構えるこの男は一体、どれだけの戦場を潜ってきたのだろうか。

 それはマチュアが経験したとてつもなく凄惨で、どこまでも過酷な、そして悲壮なまでの覚悟が必要な戦場に比肩する。

 そう、認めるしかなかった。

 このような笑みができる男を生涯で一人だけ見たことがあった。


 「……スラの領域、ね」

 「教えてあげなさい。その先にある領域に踏み込むことができるのかと。あの少女は危うい」


 マチュアは一瞬、何を言われているのか理解できなかった。

 自分はとうにその事実を理解している。

 だのに、この男は今更、何を。

 そこまで来てはじめて、マチュアはシルヴィアが心酔している相手であることを思い出す。

 剣を構え直し、静かに後ずさる。

 この殺気を前に、無防備に下がれば斬られる。

 互いに殺気を絡み合わせたまま、対峙し、そうして、どちらともわからず互いに構えを解く。

 静かに相手から切っ先を外し、そうして、放つ殺気を納めてゆく。

 殺気に燃やされた空気が静かに、緩やかに冷まされる。

 ようやく、あたりが虫の声や森のさざめきの音を思い出し暗闇に目がなれたスタイアは小さく息を吐いた。

 マチュアがそれでも僅かに緊張しながら尋ねた。


 「今、あんたを襲ったら斬れるかしら?」

 「どうでしょうかね」


 スタイアはそう言うと小さく微笑して返した。


 「……僕には斬ってしまってもいい理由ができた。だけど、君には無いのでしょう?ならば、覚悟の差だけが剣に出ます」


 どこか冷めた言葉に今度はマチュアが微笑んだ。


 「私にも斬る理由はできたわよ?」


 そうして互いに肩をすくめるとスタイアは剣を鞘に納めた。

 剣を鞘に、納めたのだ。

 マチュアは随分と甘い男だと感じる。

 今、斬ってしまえば少なくとも、半手は早く斬れる。

 そう考えて、それがこの男に通用するかどうか、わからなくなった。

 そうして、それがこの男の持つ器量かとわかると自分も剣を納めた。

 ――納める意図を汲めない程の不粋でもない。

 マチュアは最後に理解できなかったことを尋ねた。


 「あなたは何故、私を斬らなかった?」


 おそらく、多分。

 この男は斬る気であれば、斬ることはできたのであろう。


 「仕事じゃあないですからね。お互いに」


 どうでもよさげに呟いたスタイアにマチュアは大きく溜息をついた。

 見抜かれていた。


 「勇者はあくまで、魔王退治がお仕事なわけ、ね」


 掌で遊ぶツモリが、遊ばれていた。

 自分をここまで遊べる男が居たというのがどこか、嬉しかった。

 どこか、子供のようにわくわくしている自分を抑えられずにマチュアは笑う。

 そしてとびきりの笑顔を向けると唇を指でなぞった。


 「強いわね。今度、気持ちいいことしない?」


 面食らったように驚く顔も可愛いと思った。

 どこか疲れたような、それでいて困ったような顔でスタイアは応える。


 「あとが怖いから遠慮しますよ」


 遠く、ラナが駆け寄ってくるのが見えていた。

 どうやら一筋縄ではいかないようだと思うと、マチュアはいよいよ楽しくなった。


 「嫌がらないなら、その気ありで受け取っておくわ?」


 マチュアは最後に少女のようなウィンクをしてみせると森の奥へと駆け出し姿を消した。


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