第1章 『最も弱き者』 11
屋敷を後にしたビリハムは馬車を走らせると、その行き先を見届けてから歩き始める。
「メリージェン……滞りは無いな?」
「はい」
このような時の為に用意された別宅は三つ、調べれば容易に場所はわかる。
そのいずれにも逃げたように見せてビリハムは水路を船で下った。
グロウリィドーンは湖面に簡易だが港を持ち、そこから水路を利用して各地との物流を行っている。
本日の事件が明るみに出ればしばらくの間は追求を免れない。
事後処理を行うだけの時間が欲しかった。
「アカデミアには白夜の月までには顔を出すように伝えておけ。あと、連中の身元も洗い出しフィダーイーと協議のうえ、しかるべき措置を依頼せよ」
「了承しました」
「いささか、私も彼らも度がすぎたようだ」
僅かに腐臭をはらむ用水路に浮かべられた小舟を漕ぐ船頭はビリハムを見ようともしなかった。
知らなくていいことを知らないでいることは、彼の知る処世術だからだ。
「真実を知れば、驚くだろう。がしかし、叶わぬまま、彼らも死んでもらう」
暗がりの中、水路を下る小舟が橋の下を潜った。
暗闇がほんの一瞬、舟を覆った。
「どちらまでお出かけですかな?」
メリージェンの首が無かった。
赤黒い血を船底に溜める侍従の死体にビリハムは目を見開いたまま、動けない。
その傍らには褐色のローブを返り血で染めたスタイアが立っていた。
船頭は悲鳴を上げて水路に飛び込み、泳いで逃げる。
一人になったビリハムは固唾をのみ、初めて自分が死ぬ恐怖を覚えた。
「き、貴様、生きていたのか……あれを、どうした?」
「斬りました」
ぶら下げた剣が如実に答えを語っていた。
「貴様、誰に雇われた!ワッケイン伯爵の手のものか!」
「しがない、冒険者でございますよ。あなた方の作られた」
「何が望みだ?金か?地位か?」
「前者にございますよ。金があれば何でもできあす。人の身を買い、踏みにじっても金という免罪符があれば許されましょうや?」
「ならば、貴様の満足する額をくれてやる!これでどうだっ!」
ビリハムは懐の袱紗をスタイアに投げつける。
スタイアの頭にぶつかり跳ねた袋から、金貨がばらばらと飛び散り、水路に沈んだ。
「それじゃあ、いささかお代が足りませぬ」
スタイアは剣を掲げ、ビリハムに詰め寄る。
「いくらだ!貴様の雇い主は私の命にどれほどの値段をつけたのだ!」
船尾まで後ずさり、うろたえるビリハムの肩から腹へ、白刃が走った。
「……金貨五枚」
二つに裂けたビリハムの上半身が水路に落ちて水しぶきを上げた。
崩れ落ちた下半身を冷たく見下ろしスタイアはポケットから出した金貨を弾いた。
「畜生には高すぎる値段だろうよ。地獄への渡し賃だ。せいぜい、悪魔によろしくやってみてくださいや」
◆◇◆◇◆◇
アーリッシュ卿が知らせを受けてビリハム邸に赴いた時には既に物事が終わったあとだった。
「鐘の音?」
遠く鳴り響く遠雷のように聞こえる鐘の音を訝しみながら、邸の包囲を固める。
「騎士団長!邸宅敷地内にはビリハム卿が個人的に雇われた私兵と思われる者達の死体と……その……」
シルヴィアからの報告を受け、アーリッシュは眉を潜める。
「なんだ?」
「巨大な魔物の死骸がありました」
「魔物?」
「はい……」
シルヴィアはそこまで告げて顔を歪ませる。
「……わかった。封鎖を厚くし一般人を近づかせるな。まだ、他にも居ないとも限らない。邸宅内の探索はシルヴィア小隊と私の直轄部隊で行う。実戦経験の有無で随伴者を選べ。くれぐれも油断するなよ」
大きな戦役をくぐりぬけてきたアーリィの手配は見事なものだった。
邸宅に入った矢先に、目に入った魔物を見上げアーリィとシルヴィアは眉を潜める。
「……ガルガンチュアン……なのでしょうか?」
「ラルミア……とも言えないか」
「どういう……ことなんでしょうかね?」
「わからない……だけど、魔物がこのグロウリィドーンに居るというのは由々しき事態だ。それよりスタイアはどうした?」
「招集の鐘を鳴らしても来ないようでしたので迎えをやりましたが、不在でした。一体、どこに行ってるのでしょうか?」
「さあな。おおかた、女でも買いに行ってるんじゃないかな。いつものことだ」
アーリィは溜息とともに零した言葉を恥じた。
「失礼」
「いいえ、おそらくその通りなのでしょうから反論しようがありません」
シルヴィアはそう言って苦笑した。
「それとも、女性の前では不謹慎と思われました?」
「意地悪だな。そういうところはスタイアそっくりだ」
「ありがとうございます……引き続き、探索をいたします。あと、これを」
シルヴィアに手渡された書面に目を通しアーリッシュは眉を潜める。
「これは?」
「邸宅内に先行して入った部下が見つけた書面です……奴隷の売買記録の他に」
「ブラキオンレイドス?……ふむ」
「これは……ゴーレムか何かでしょうか?」
方々に散っていく部下を見送り、アーリィは一人、ホールで魔物の死骸を見上げる。
鋭利な刃物で切り飛ばされた爪の切断面、そして、頭上から真っ二つに割られた少女の体。
いずれも並大抵の腕ではない。
「……いずれにせよ」
アーリッシュはこの日、初めてこの国の裏側に触ったのだった。
◆◇◆◇◆◇
リバティベルは冒険者の集まる酒場である。
冒険者という夢のある言葉の裏には多くの凄惨な現実がある。
「……リヴィウィルの野郎、死んだとさ。魔物討伐隊に参加したはいいが、当初の見立てよりやっこさんの数が多かったらしい。撤退する犬車に轢かれて真っ二つだそうだ」
「ツケ、支払って貰ってなかったのに」
「人生そんなモンだろうよ」
店内に広がっている喧噪の傍ら、シャモンとスタイアはカウンターで静かに話していた。
喧噪は、明日を知れない現実の怖さを乗り越える彼らなりのやり方の一つなのだ。
「人生ってのは細い糸みたいなモンだよ。緩ませれば風に吹かれて飛んでいく、迷えば絡まる、張り詰めれば切れる。一体どれだけの紐が無事に伸びきるかね。生きていくのは、難しい」
「一本じゃあ切れるからよって紐にするんでしょうや」
スタイアはそういって店の中を目を細めて見回した。
給仕するラナに今日の稼ぎを自慢する男の下卑た笑い声に僻むヤジが飛んでいた。
ラナは苦笑すらせずすたすたと厨房に戻ってゆく。
間もなく喧嘩が始まった。
「ラナさんのヒモやってるスタさんが言うなら間違いないねーわな」
シャモンとスタイアはクツクツと笑いエールを傾けた。
「ちょっと!そこ、昼間っから飲んでないで働く!スタさん!さっき騎士団の人来てたよ!仕事サボるな!あとシャモンさん金払え!銅貨四枚!」
甲高い声が店の中に響く。
可愛らしい服に身を包んだ少女が喧嘩の後始末をする為のモップを携えていた。
革ベルトを巻いた首もとで鈴がチリンと澄んだ音を立てる。
「……スタさん、結局、この娘、面倒見ることにしたんか?」
「これで随分、いい拾い物をしたんですよ?なにせ銭勘定にはうるさい」
「スタさんも銅貨四枚!」
「ええ!僕も払うんですか?」
「当たり前!身内だからって容赦しないかんね!」
かしましくまくし立て、店の中を走る少女に二人は苦笑する。
「糸クズでも集めればいずれはぬくい服にもなる、か」
シャモンが呟き、少女が振り返る。
「シャモさんなんか言った!聞こえてるよ!」
「お前さんの服、可愛いなっつたんだよ!」
「お世辞言っても銅貨四枚だかんね!」
ヨッドヴァフの片隅にある酒場、リバティベル。
そこは、冒険者が集まる店である。
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