第一章 『雄鳥の産む卵』12
冷たい風が不気味に鐘の音を運ぶ。
血の乾いた褐色のローブを引きずり、褐色の幽霊は静かに歩み寄る。
音もなく、風より早く。
静かに歩み寄る死の気配に気がついた男は振り向いた先に銀の光芒が走るのを見た。
跳ねた首が血を引きずり宙を舞う。
その返り血すらくぐり抜け、スタイアは静かに館へと歩を進める。
その横ではシャモンが庭木の影を渡っていた。
影を渡り、徘徊する傭兵の背後に立つ。
「恨みも無く、つらみも無く、ただあるのは悪行の縁のみ」
組み伏せ、口を押さえて抜き手で腰を貫く。
腰椎を握り、潰された男は走る激痛に脳を焼かれて死に至る。
「往生せえよ」
手についた髄液を払い、静かに闇に姿を沈ませるシャモンは遠くとなりを征くユーロを見た。
冷めた月明かりの下、悠然と立つ黒衣の墓守は彼等の前に突如として現れた。
いつの間に現れたのかはわからない。
だが、彼等はそれが並々ならぬ死の気配を漂わせていることに恐怖を覚えた。
ユーロの吐き出す吐息が寒さで白く染まる。
大きく振るわれた鎖が石柱の裸婦像を巡り、まるで生き物のように縦横無尽に走る。
荒々しく伸びる鎖に捉えられた傭兵達は喉に巻かれた鎖を外そうと必死にもがく。
だが、張り詰めた鎖は重く、冷たく、彼等の膂力では互いに互いの首を絞めるだけだった。
ユーロは背に負った棺桶から、銀色のシャベルを引きずりだした。
「死ね」
結論から先に述べるこの男が何を述べたかはわからない。
だが、これからの運命を知ることにはなった。
ユーロが振り上げたシャベルが男の首を掘った。
石ころのように彫り上げられた首が舞い、横薙ぎに払われた柄が隣に立つ男の頭を潰す。
まるで粘土人形を壊すように仲間が死んでいく様を見ながら、最後の男は死神が自分の方に振り返るのを震えながら待っていた。
振り返った死神はゆらゆらと左右に揺れ、白く染まった息を吐き出し無情に銀色を振るい彼に死を賜った。
突き立てられたシャベルの衝撃に胸を貫かれ、重く鈍く広がった痛みと衝撃が意識を押しつぶし彼は死の腕に捕らわれた。
じゃらり、と死の腕に捉えた鎖が重々しい音を立てて地面に落ちた時、ユーロはゆらりと背を起こし彼等の骸を掴んだ。
「悪徳が選んだ、死だ」
厳然とした結果のみを述べる彼は重々しく棺桶の蓋を開いた。
◇◆◇◆◇
館の扉を重々しく開いたスタイアが目にしたのは傭兵達を率いたジャナムだった。
深々と被ったフードの下で静かに笑い、スタイアは長剣をかざす。
「……コウコか?」
「さにあらず。汝に死を賜るは褐色の幽霊」
傭兵達が一斉に雄叫びを上げて躍りかかる。
殺すことに長けた彼等の槍の間を褐色の虞風が吹きすさぶ。
残像を残して翻ったスタイアに合わせ銀閃が弧を描く。
伸びた銀閃が一振りで三つの首を、そして次の一振りで二つの胴を、そして最後の一振りで人一人を頭から股下へ。
瞬きをする間にホールを血の海へと変えた悪魔にジャナムは戦慄する。
だが、それでも、ジャナムとて遣う。
両の手に剣を構えると懐から小瓶を出す。
それを一気に嚥下すると、静かに視界が赤く染まっていき、時が遅く流れる。
「狂気の霊薬ですか……所詮、まがい物に頼らねば強くあれない糞袋か」
駆けだしたジャナムの腕の中、常人の域を遙かに超えた速度で剣が振るわれる。
めまぐるしく振るわれる剣を打ち払い、スタイアは静かに笑っていた。
ジャナムの姿が掻き消える。
「幽霊とて人ならば殺せるさッ!」
放たれた斬撃を振り向くことなくスタイアは脇の下から立てた剣で受ける。
岩盤に剣を叩きつけたような衝撃にジャナムはこれが人かと驚愕した。
瞬時に下がり、跳躍し、天井の梁にぶら下がったジャナムはじっとスタイアを凝視した。
褐色のローブの中から傷だらけの兜を覗かせ、スタイアは悠然と振り返るとジャナムを見上げた。
「切っ先の届かぬものまでは、断てまい」
ジャナムはそう告げると剣を梁に突き立て、空いた片手で短剣を投擲する。
空を切って飛来する短剣を打ち払うスタイアは鼻をつく嫌な匂いに気がつく。
毒が、塗られている。
「なかなか手慣れてはいる。ですが、いささか殺し足りない」
スタイアは鼻を鳴らし、軽々と短剣を打ち払い続けた。
ジャナムは安い挑発に乗らず、じっと同じ手を繰り返し続ける。
もし、短剣を拾おうとしたのであればその隙に斬りかかればよい。
短剣を投げ尽くす前には、仲間も来よう。
よしんば来なかろうと、逃げてしまえば良い。
――それに、この場に於いてもう一つ、決定打となりえる選択肢がある。
「腹に抱えた毒を蒔きますか?」
ジャナムは背筋に冷たい恐怖を覚える。
「貴様こそ、手慣れている」
「生業です」
スタイアは自嘲するように笑うと静かに、腰を落として構えた。
ジャナムはゆっくりと呼吸を整え、スタイアの動きを待つ。
いくら手練れといえど、この高さであれば跳躍、あるいは壁の登攀を行えばその僅かな直線的な移動で毒煙を蒔けば致命傷を与えられる。
剣を投擲するようであればそれを躱し、あるいは受け流してからゆっくりと仕留めれば良い。
スタイアの剣の切っ先に意識を集中させ、ジャナムは静かに意識を研ぎ澄ます。
ゆっくりと円を描くスタイアの剣の切っ先が僅かに震え、妙な軌跡を描いていた。
切っ先から伝わる相手の呼吸を読み、永遠のような、それでいて瞬きすらしたのかどうかわからないような一瞬が過ぎた。
「拡大した意識が仇となりましたね」
ジャナムは自分の胸に銀の剣が深々と刺さっていることに、気がつく。
いつの間にジャナムの眼前に、いや、自分が床に倒れ伏しスタイアを見上げていることに違和感の正体を掴む。
まさか、と思う。
「切っ先で催眠をかけ、意識を奪う幻惑の剣……だと?」
「剣理を……人を殺める道理を進めばこうした児戯も嗜みましょうや?」
聞いたことはあった。
だが、それは伝説やお伽噺の世界の技だと思った。
「死ね」
自分の首が離れる段階になってはじめて、この男が褐色の幽霊と呼ばれる伝説であることを思い出す。
ごろごろと床を転がるジャナムの頭を冷たく見下ろし、スタイアはホールに伸びるエントランスの階段を登る。
コツコツとグリーヴが乾いた階段を叩き、静かに、そして、着実に死を運ぶ。
グルジアス・ヴェドレイの私室の扉を開けると、そこには惨めにも部屋の隅に蹲る館の主が居た。
「な、何をしに来たっ!」
「命を、奪いに」
スタイアは厳然とそう告げると、剣を高々と掲げグルジアスに歩み寄る。
「だ、誰の差し金だっ!わ、私を殺すなど!」
「メリグレッタ・ドゥモルト。貴様が謀殺しようとした貴族だ」
「そ、それは誤解だ、わ、私はそのようなことを企んだことなどない!ぬ、濡れ衣も良いところ!そ、そんなことで命を取られるなどたまったものではない!ど、どうか剣を納めてくれ!」
スタイアは鼻で笑う。
どこまでも冷たい嘲笑が背筋にひりつく恐怖を教えた。
グルジアスはその様子に殺されることを確信する。
「い、命ばかりは助けてくれ!わ、私にも娘がいる。ま、まだ5つになったばかりだ!私が居なければどうやってこの娘は生きてゆけばよいのだ!頼む!お願いだ!この娘に不憫な思いだけはさせたくないのだ!命だけは!」
惨めに命乞いをするグルジアスをスタイアは嗤い、容赦なく剣を振り下ろした。
断ち切られた胸から鮮血が噴き上がり、グルジアスは驚愕に目を見開く。
「身勝手な。末期まで人を謀るか。業深くあまねく救済の礎を汚し、他をないがしろにする非情、許すまじ。人を殺して得た金で喰った娘の行く末を悲壮して苦しんで死ね。畜生が」
濁々と流れ出る血を両の手で掬い、必死に抑えようとするが止まらない。
痛みと、寒さ、息を吸っても血となり吐き出される苦しさにグルジアスは呻きすらあげられず苦しみ悶える。
そんな汚物をスタイアは一瞥すると褐色のローブを翻し、立ち去った。
夜空には未だ、不気味に鐘が鳴り響いていた。
グルジアスは路頭に迷い、途方に暮れる娘の泣き顔に悲しみ、死の眠りに落ちた。