第一章 『雄鳥の産む卵』6
グルジアス・ヴェドレイはその一報を受けて、眉を潜めた。
「ふむ、それはよろしくない」
ドゥモルト伯爵が凶刃に倒れた報せは耳にしていたがその娘が生き残っていたことについては改めて知った。
家を出た際にドゥモルト家の象徴であるペンダントを持っていたという事実も。
グルジアス・ヴェドレイは石工を束ねる頭領であった。
石工奴隷として長く勤め、多くの若い者を束ねるようになり、奴隷解放と共に自らの一派を率いるようになった。
ギルドに属し広く技術を修めるとそれだけでは貧しさから脱却できないことを知り、徒党をさらに広げることを覚えた。
数は、力である。
そして、数を纏める者のところに金が流れることを知った。
「問題は、流れを作ること。そして、流れを壊さないことだ」
それを教えたのはヴァフレジアンであった。
ヴァフの子ら、と名乗るその一派は広く商いを営む者達の間にある形の無い組織であった。
だが、それらは金という価値で繋がり、それを産む為の力を持っていた。
そのヴァフレジアンに認められたグルジアス・ヴェドレイはそう名乗ることを許され、彼等の権益を使い、彼等の権益をより強固にすることで自らもまた富を得た。
今回の補修には多くの金が動く。
その中でドゥモルト伯爵が良い動きをするか、悪い動きをするかが心配であったが結論としては居なくなった。
そうして、新たにその席に座ったのはヴァフレジアンの息のかかったオルグスト・メルロフトという執政官だ。
「今は良い。だが、長く流れる水路を壊すのはいつだって思いがけない天災だ」
平民上がりの執政官だがしばらくは、この優秀な若造が権益を預かり金を流すだろう。
だが、ドゥモルト家の令嬢が生き残っているとなれば、その令嬢を娶り、ドゥモルト家を再興し権益を横取りする輩が現れてもおかしくはない。
「覚えた恨みは、晴らされるまで心を曇らせ、稲妻を打つ」
そうなれば一悶着があるのは目に見えており、万が一、補修の権益が奪われればその仕返しもある。
ならば、どうすべきが最善か。
「鉄の牙を向けるのだ」
グルジアスにはメリグレッタがその出自を明らかにする祖母の形見であるペンダントを雄鳥に換えてしまったことを知らない。
だが、禍根は全て断つべきだと思った。
誰かがやった仕事の後始末ではあるが、誰もやらないのであれば自分がやってしまってもいいだろうと考えた。
静かに筆を走らせ、新しい冒険者ギルドのマスターに宛てて書状を送らせた。
◇◆◇◆◇
アルマリアの容体は日増しに悪くなっていった。
激しく咳込み、血を吐いて一日中伏せるようになることが多い日が続くようになった。
メリグレッタは少しでもこの老婆にかかる負担を減らそうと家事に手を出すが、慣れないことに失敗してかえってアルマリアに負担をかけてしまう。
炊事場に水を運ぼうとして、桶をひっくり返してしまった。
そして、その水を拭こうとして棚に足をぶつけ食器をばらまいてしまう。
屋敷に居た頃の陶器の食器とは違い、粗末な木の食器は割れることはないが床の埃の上に盛大に散らばってしまう。
片付けようと手を伸ばしたが、その手をアルマリアが遮り優しく首を振った。
「お嬢様、それはわたくしめがしますゆえに」
「ですが……」
「大丈夫にございます」
アルマリアがそれでも微笑みながら頭を下げるものだから、メリグレッタは申し訳なくなってしまう。
何もできない自分に歯がゆい思いをしながらアルマリアの小さくなった背中を見つめていた。
アルマリアは慣れた手つきで水桶に食器を重ねて入れると井戸へと向かおうとした。
その身体が突然、倒れた時、メリグレッタは息を飲んだ。
「アルマリアッ!」
急ぎ、駆け寄り、抱き起こす。
細い息を吐き苦しそうにするアルマリアは震える手でメリグレッタの服を掴み、必死に笑おうとした。
「大丈夫に、ございます」
「大丈夫じゃありません!今、医者を……」
そう言って、医者を呼べるだけの蓄えが無いことを知る。
アルマリアはメリグレッタを心配させないように立ち上がる。
メリグレッタはアルマリアを抱きベッドへ運ぶと静かに掛布を掛けた。
「……ご迷惑を、おかけします」
「迷惑ではありません。私はそれでもあなたに貰ったものを返せていない」
「そのお言葉だけで、十分にございます……」
アルマリアはなんとかこの少女を再び、貴族の栄光の元に送り出したかった。
この優しい少女であれば、きっと自分のような者達を愛し、導いてくれる。
だが、それが叶わない自分の老いが憎らしかった。
悲しみに伏せるアルマリアの病状を良くしたい。
メリグレッタはいつまでも卵を産まない鶏を見つめる。
何も知ることのない鶏はきょとんとした顔でメリグレッタを見上げると再び首を前後に振りながら地面の虫を摘んでいた。
◇◆◇◆◇
朝、起きてみると布団の中にメリグレッタが居ないことに気がつく。
痛む胸がしくしくと病み、寝ていられなくなったのだ。
重く鈍い身体を引きずり起こし、部屋の中を見回してみた。
朝日が静かに差し込む黎明の中に、薄暗く浮かんだ部屋の中にメリグレッタは居なかった。
優しいメリグレッタが早まったことを考えていてはいけない。
そう思うと、アルマリアは鈍く重い身体を引きずるように外に出る。
「産め!産め!」
薄暗い朝の冷気の中、メリグレッタは白い息を吐きながら鶏を掴んで居た。
鶏は怯えたように翼を広げ、まん丸の瞳でメリグレッタを見つめていた。
「産みなさい!お願いだからっ!」
メリグレッタの指は冷たさ赤くなり、頬は真っ赤に染まっていた。
一体、いつからこの少女はここに居たのだろうか。
「アルマリアが大変なの!卵を食べさせてあげたいの!こんなときのために私はお前を買ったのよ?」
雄鳥に卵など産めるわけがない。
だけど、この少女は雄鳥と雌鳥を見分けることができないくらいに危うい。
「お父様とお母様を亡くした私の恩人なの!お願いだから、アルマリアを助けてあげて!それができるのはお前だけなんだから!産め!産みなさい!」
アルマリアは静かに隠れるように戸口でメリグレッタを見つめていた。
「産め!産みなさいっ!お願いだから産んでちょうだいよ!」
アルマリアはメリグレッタに気がつかれないように寝床へ戻った。