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第一章 『雄鳥の産む卵』5

 シャモンが根っからの悪人でないことは、なんとはなしに理解はできた。

 だが、激しい暴力を振るった彼を受け入れることはメリグレッタにはできない。

 しかし、それでも最早、貴族としての権威も力も無い自分が生きていく為にはアルマリアを助けるしかないことを知る。

 アルマリアは激しく咳き込み、血を吐くようになった。


 「アルマリア……」

 「ああ、お気になさらずに。季節の変わり目は調子が良くないようです。お嬢さまも風邪を引かれぬようにお気をつけ下さいまし……ですが、このような場所では叶うことも少なく、ご不便をかけます。何卒、ご容赦を」


 アルマリアはそうまでして、自分を貴族として扱おうとする。

 彼女の期待が自分には重かった。

 自分が最早、貴族に立ち戻れない現実を知ってしまった。

 だが、アルマリアはそれでも必死にメリグレッタを貴族として立てようとする。

 貴族らしい振る舞いだけでもしなくてはならなかった。


 「もういいのです。休んで下さい」


 それが、メリグレッタには辛かった。

 静かに一礼して下がるがどうしていいかわからないアルマリアが見ていて辛かった。

 逃げるように外に出たメリグレッタは静かに息を落とし自らに何ができるのか、考えた。


 「……私には、何もできない」


 呟いてみて、それも当然だと思った。

 何不自由なく貴族の令嬢として暮らしてきたのだ。

 この後に及んで、何ができるものかと悲嘆に暮れた。

 だが、それでも、老いた我が身を顧みず、自分を救おうとするアルマリアに応えたかった。

 メリグレッタは家を出る時に持ち出した、いくつかの装身具を手に市場へと足を向けた。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 自らの手で物を売り買いしたことなど無かった。

 だが、ネックレスやイヤリングなどが使用人からすれば高貴なものであるとすればそれに価値があることだけは理解していた。

 これを買うのにお金が居るなら、これを売ればお金になるだろうと思った。

 その中には母から譲り受けた祖母の形見となるネックレスもあった。

 だが、メリグレッタは最早貴族には戻れないという現実を受け入れ、アルマリアを助けるためにそれら全てを売り払った。

 確かに、金にはなった。

 だが、それは売り買いをしたことのないメリグレッタが売り買いを生業とする商人にさんざんに買い叩かれた後にだ。

 本来であれば金貨50枚になる物が、金貨5枚にしかならなかった。

 家から持ち出した全ての物をたったの金貨5枚で買い叩かれた。

 その金貨5枚というのがどういう価値なのか知らないメリグレッタはそれで一冬を越せるだけの価値があることを知らず、それを手に鶏を買うことを決めた。


 「これで、鶏を譲りなさい」


 露天商はその横柄な物腰と、街壁の外では見ない端正な顔立ちの少女が落ちぶれた貴族だとすぐに見抜いた。


 「鶏を売るのが商売でございますから、それは構いはしませんがそれじゃあ少し足りないと思うのだが」


 これで激昂するようであれば冗談で切り返せば良い。


 「これで買える鶏でいい」


 物を知らない小娘なら、かっぱいでやれば良い。


 「へえ、ですがお嬢さん。それっぽっちの枚数で鶏を買おうとするなんてよっぽどの理由がおありのようで」

 「……私の乳母が病なのです。親を亡くし、家を失った私を受け入れてくれた。母から聞きました。卵には滋養がある。アルマリアに滋養のある卵を食べさせたいのです。だから、どうか、これで譲って欲しい」


 沈痛な面持ちで語るメリグレッタに商人はほくそ笑む。


 「わかったよぅ、なら、私も少々無理をしてお売り致しましょう」


 そう言って、商人は店頭に並んだ籠の中に入った鶏をメリグレッタに掲げて見せた。


 「まあ、少々気むずかしく、毎日卵を産む訳じゃあないです。産まない日の方が多いかもしれない。ですが、同じ鶏です」


 メリグレッタは悩んだ。

 できることならば、アルマリアには毎日、卵を食べて欲しかった。

 そんなメリグレッタの様子に商人はこの大枚が他へ流れるのをもったいなく思い、巧みに言葉を吹き込んだ。


 「おおっと、心配なさらずとも元は取れますとも。なかなか卵は産みませんが、それでも産むときは金の卵を産むこともあるんですわ。金の卵は霊薬の材料にも使われるから、病気も治るし、高く売れます。お嬢さんのお話を聞いて是非にと思いましてね」

 「わかった、買いましょう」


 メリグレッタはそう、決めた。

 商人は小躍りしたくなるのを堪えて丁寧に頭を下げて鶏を引き渡す。

 見る人が見れば、その鶏が卵を産まないことがわかったであろう。

 雄鳥だからだ。

 商人は銅貨1枚のやせ細った雄鳥を金貨5枚で売り抜いたのだ。


  ◇◆◇◆◇


 急に鶏を飼うと言い出したメリグレッタに、アルマリアは涙を堪えた。

 館から持ち出した全てがあれば再度アカデミアに通い、何とか貴族に戻れる可能性もあった。

 だが、何も知らない少女はその全てをやせ細った鶏一羽に換えてしまい、自らの道を閉ざしたのだ。


 「私の気紛れです。何か不平がありますか?」

 「いえ、滅相もございません……」


 この少女は籠の中でせわしなく首を動かす鶏に全てを費やしたことを知らない。

 全ては老いた自分の為に。


 「ならば伏せていなさい。病をうつされては敵いません。休めるのも義務でしてよ?」


 身を起こしたアルマリアを丁寧に床に戻し、そして自らも毛布の中に入った。

 そうして自分を暖めるように両腕を回したメリグレッタの気遣いにアルマリアは不覚にも涙を零し、顔を伏せた。


 「……雷の夜に、こうして抱かれたことがありましたね」


 冬が迫る寒い夜に、どこまでも胸を締め付ける暖かさが痛かった。


 「はい……今ではわたくしめの方が小さくなってしまいました」


 零した涙で声が震えていた。

 アルマリアは気取られないように強くメリグレッタを抱き返し、その胸に顔を埋めた。


 「……アルマリア、私はこれから戯れ言を呟きます。聞き流して下さい」


 自分を抱くメリグレッタもまた、震えていた。


 「私は、あなたの期待に添えないかもしれない。貴族に戻れはしない。だが、アルマリアという最高のもう一人の母に生かされたという誇りだけは、決して、決して忘れません」

 「ご立派にございます……ご立派に、ございます」


 アルマリアは何が正しいのか、わからなくなった。

 貴族として生きる心構えだけを教えることに腐心し、愚かな行いをした娘は、それでも、ひたむきに自分を愛している。

 それが、全てを失った少女が生きる為にすがるために振る舞う愛かどうか尋ねられればアルマリアは首を振るだろう。

 では、そのメリグレッタの為に、彼女の無知を諫め、雄鳥を突き返し、正しく金の価値を迫るべきなのだろうか。

 果たして、それはこの愛を前に、正しいかどうか、わからなくなった。


 「いつまでも、私を正しく導いてください。アルマリア」


 だが、しかし、それでも、だ。

 誰かを愛せる優しさを育んだことは、間違いではなかったはずだとアルマリアは思うことにした。


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