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Dingon・Dingon~『誰が為に鐘は鳴る』~  作者: 井口亮
第一章 『ヨッドヴァフの魔王』編
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第1章 『最も弱き者』 1


 夜空を覆った雲が静かに雨を落とす。

 ヨッドヴァフ王国首都グロウリィドーンを静かに霧の中に沈め、路地をふらふらと歩く少女を叩く。

 目深に被ったフードの先から水滴がしたたり、その水滴の向こうに酒場の明かりが見えた。

 酒場の明かりの上に立てかけられた古びた看板にはリバティベルと描かれている。

 じんわりと明るい光の中から、雨を抜けて喧噪が柔らかく響く。

 雨に追い立てられ人気の無くなった町の静けさの中、その喧噪が妙に暖かく聞こえた。

 少女は吸い寄せられるようにリバティベルに入ってゆく。

 ドアがキリキリと音を立て、鐘が鳴る。

 活気がある、といえば聞こえはいい。

 冒険者と呼ばれる人種が集まる酒場は大概がこんなものだ。

 響き渡る下卑た笑い声に、カップが打ち合わされる音が混ぜられ反響する。


 「リバティベルへようこそ」


 店主が力なくそう告げるが少女は目もくれずに店の奥へと歩を進める。

 店主はその後ろ姿をほんの少しだけ見つめると、また、黙々と食器を運ぶ作業に戻る。

 少女はちらりと後ろを見てその姿を確認すると冒険者の背中にぶつかりながらテーブルの間を縫うように歩く。

 少女の纏った汚れた外套は悪臭を放っていたが、冒険者が集まる店では気にはならない。

 むしろ、新品を誇らしげに使っているのは仕事をすれば汚れることを知らない駆け出しの冒険者と見られ、稼げる仕事を斡旋してもらえない。

 だが、少女はたまたま着られる服がそれだけしかなかっただけで選んだわけでもなく、また、仕事をもらいに来た冒険者でもない。

 仕事が無いから泥棒をしにきたのだ。

 店の中を素早く見て、獲物になりそうな人間を捜す。

 店の奥で強い酒気を放ち、寝ている男が居た。

 少女はその男に決めると歩み寄る。

 男の腰にぶら下げられた袋を奪うと自分の懐に入れる。

 男が僅かに身じろぎし、心臓を掴まれたような悪寒が背筋を走った。

 だが、男がそれでも起きることなく寝返りを打つのを見て少女は胸をなで下ろしそそくさとその場を離れる。

 怪しまれないように誰かを探す素振りを装い、テーブルの間を抜ける。

 店の入り口まであと少しというところで、誰かに襟首を掴まれた。


 「誰かを探しているんですかね?」


 店主の男だった。

 よく見れば、まだ若い。

 がしかし、だらしなく曲がった背中と、力なく落ちた肩、どこかとぼけた顔が貧弱な印象を与える。

 だけど、自分を片腕で吊り上げる膂力はそれなりに鍛えているものだとわかる。

 少女の心臓が早鐘のように鳴り響き、口の奥がからからに乾く。


 「少し、待ってみた方がいいですよ。うちのお客さんは僕と一緒でルーズな人が多いからね」


 店主は少女の襟首を掴んだまま、カウンター席に運ぶ。

 堅い椅子に半ば無理矢理座らされた少女は、自分のやったことを咎められるのではないかと気が気ではなかった。


 「お腹も空いてるでしょう。何か食べていくといい……ラナさん。なんか作ってくださいな」


 店主は少女の隣にどっかりと座り込むと、厨房の奥に視線を走らせる。

 厨房の奥から不機嫌そうな顔をした女性がパスタの盛られた皿を持って来る。

 少女の前に置かれたパスタが湯気を立て、バターの匂いが少女に空腹を思い出させた。

 ここ三日、食事にはありついていない。

 人の家の瓶に入った水を舐めるように飲む日々で、食事らしい食事をしていなかった少女には安酒場の食事でも凶暴なまでに食欲をそそられた。

 危うく手を伸ばしそうになって、店主の方を見てしまう。


 「おごりらしいですよ?シャモさんの」


 店主の隣に、いつの間にか先程の酔客が座っていた。


 「なんでぇ、俺のおごりなのかよ」


 未だ酔いの抜けきっていない鈍い瞳をじろりと店主に向けて酔客――シャモンはカウンターにだらしなく肘をついた。

 汚れた金髪に褐色の肌、無精ひげの並ぶ顎の上にけだるげな瞳が酒気を帯びている。


 「そこは、それ、なんだ。あれだ。可哀想な浮浪少女がお腹を空かせてお店に入ってきた。おじちゃんは泥棒されていることに気がついてても気がつかないフリをして優しさを世知辛い世の中に伝えたってのに、スタさんはそこから巻き上げるのかい?」

 「あれ?そのお金で何か食べなさいって意味じゃなかったんですか?」

 「そういう意味だけど、そこはあれだろ。こう、スタさんが温情かけて黙って何かを差し出すのが粋って奴だろう?」

 「こっちも商売ですからねえ」

 「商売?商売っつったか?冗談だろ?客に飯作らせて食べてる店主に商売っ気なんかあるわけないだろうに」


 店主は面白そうに笑うとパスタにフォークを伸ばす。

 店主――スタイア・イグイットもだらしなくカウンターに肘をつくとくずるずると音を立てながらパスタを飲み込んだ。


 「まぁ、冷めないうちにどうぞ」


 先程、ラナ、と呼ばれた女性がカウンターにスープを並べていく。

 シャモンはそのスープの中にパスタをくぐらせてくちゃくちゃと食べはじめる。

 少女はそこで、ようやく、自分が施しを受けたのだと気がついた。


 「ふざけんな!」


 少女がカウンターを叩き、食器が浮く。


 「喰え」


 憤る少女の鼻先にフォークをつきつけてシャモンは低く言った。


 「……立場を選べるのは強い者の特権だ。弱いモンが何言ったところで、それがどうしたって言われるだけだ」


 そう言ってパスタをまたくちゃくちゃと食い始める。

 少女の鼻頭が熱を持ち、視界を歪ませる。

 少女は手づかみでパスタを口に詰め込むと、咀嚼せずに飲み込む。

 ひったくるようにシャモンとスタイアのスープを引き寄せると飲み干そうとして熱さに咽せる。


 「皿に足が生えて逃げるわけでもあるまいに」


 スタイアは苦笑し、背中をさするがその態度が少女の癪にさわった。

 詰め込むだけ詰め込むと、ラナが店の奥から冷えた果汁を持って来たのを奪い、一気に嚥下する。

 飛び跳ねるように、椅子を降りると少女は店の入り口で鋭く二人を睨みつけて吠えた。


 「お礼なんか言わないしお金だって返さないからね!た、頼んだわけでもないし!」

 「辛い目にあってきたのは見ただけでわかる。腹が減ったら来なさい」


 スタイアにそう言われて少女はぐっと鼻頭が熱くなったが叫ぶ。


 「……っ、ばーか!ばーか!もう二度とこんな店来るか!」


 ドアについた鐘が激しく鳴り響き、少女は再び雨の中に消えてゆく。

 店の中の誰もが気には止めていない。

 いや、気に止めている者も居たが声をかけるようなことはしなかった。

 喧噪に紛らわせてはいるが、ここに居る誰もが厳しい中で生きている。

 それらは決して、人が背負えるものではなく、自分で背負っていかねばならない。

 自らの重荷に人の重荷を乗せるのは難しい。


 「世知辛いモンですねえ」


 何かを代弁するかのようにスタイアはそう呟いた。

 ラナが新たに持ってきたエールを傾け、酒気の混じった吐息を落とす。


 「……国は栄えたとはいえ、あんな子供が居るってのはやりきれないですねぇ。まだ、親に甘えたい年頃でしょうに」


 シャモンは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。


 「あんまし、背負い込むんじゃねえよ。全部を背負えるだけ、人間の背中ってのは丈夫じゃねえだろ。時折手を貸してはやれるが全部を背負っちまえば、全部を背負わせようとするのもまた人間の浅ましいところだぜ?」


 スタイアは苦笑する。


 「僕が子供の頃は奴隷制度ってのが残ってましたよね。あれはあれで酷いものなんだけど……それでも生きていくだけならいいものだったんでしょうねえ」

 「解放した奴隷の受け入れ先が無いから冒険者制度なんてモンをつくったんだろう?魔物の被害が多くなったのもあったから、働く場所が無い連中に組合はおろか騎士団、教会、王立大学、国の専門機関が広く技術を解放してその対策に当たらせる」

 「大人はいいですよ。いくらでも働ける。だけど、いつだって時代のあおりを喰うのは子供達なんですよ」


 スタイアはそれだけ言うと、席を立ちエプロンを付ける。


 「なんだよ。もう終わりかよ。付き合わないのか?」

 「野郎と二人雁首揃えて飲んでも面白くないでしょうに。仕事しますよ仕事」

 「ウェストグローリィロードの裏通りに新しいランパブができてな?ジェリカちゃんって娘がいいおっぱいしてンだよ。おごるぜ?」

 「わかりましたよ。揉みに…じゃなかった拝みにいきましょうか」


 付けたエプロンをカウンターに掛けて店を出ようとするスタイアにラナが黙って袋を投げつけた。

 後頭部に重い音を立てて当たった袋は地面に落ちて、銅貨を床にいくつかばらまいた。


 「わおう。そういやシャモさんお金全部あげたんだっけ?」

 「しまった!お釣り貰っておくべきだった!」


 ラナは大きな溜息でもって返した。


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