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エピソード6:吟遊詩人ギルド『千年詩篇』黙過編
〈プロローグ:音という名の“記憶”〉
大陸中央に位置する学芸都市アーケディア。ここには、千年にわたる歴史と神話を歌い継ぐ『吟遊詩人ギルド・千年詩篇』がある。
彼らは単なる演奏家ではない。旋律に魔法を込め、歌詞に歴史を刻み、「音」そのもので世界の記憶を保持する者たち。最大の禁忌は、「伝承の歪曲」と「旋律の無断改変」である。
「……ふむ」
ギルド本部の向かいの酒場で、コウタが資料を広げている。
“対象No.6:吟遊詩人ギルド『千年詩篇』。登録詩人287名。保持楽曲:約3万。そのうち『神代旋律』と分類され、一切の改編を許されない楽曲:142曲。……『不変性』を至上価値とする、極めて保守的な組織だ”
彼の目に、わずかな挑戦の色が宿る。これまでの失敗(騎士団での敗北、村での溶解)の後、彼は「効率化」という武器が通用しないこの場所で、新たなアプローチを模索していた。
「でも、とっても素敵な音が聞こえてくるよ?」
カナは窓辺に寄り、ギルド本部から流れてくる複雑なハープの調べに耳を傾けている。彼女の装いは、過剰な装飾を排した、ベージュと白の清楚なドレス。髪には、羽根の形をした小さな髪飾り。
“カナ、あの音……なんだか、すごく『古い』って感じがする。もっと……軽くて、可愛い音にしたら、もっとたくさんの人が好きになると思うんだけどなぁ”
コウタは彼女の言葉を聞き、ある計画を思いつく。
“……カナ。お前の『可愛くする』技術を、ここでは『現代化』『大衆化』という形で適用してみないか?”
“え?”
“彼らが守ろうとする『古い音』は、確かに歴史的価値はあるが、一般市民への普及率は低い。お前がそれを『可愛く』アレンジし、多くの人に親しまれる形に変える。それは『破壊』ではなく……『進化』として提示できるかもしれない”
カナの目がぱっと輝く。
“わかった! カナ、あの重たい音楽を、みんなが口ずさめるような可愛い歌にしちゃう!”
彼女は、悪意など微塵もない。純粋に「古臭いものを、もっと可愛く、親しみやすくしたい」と思っているだけだ。
その「善意」が、千年の伝統という氷山を、一撃で砕く刃となることを、彼女は知らない。
〈Day1: “無垢な楽譜改変”〉
ギルドの練習室。老いた首席詩人オルフェが、弟子たちに神代旋律『竜王の哀悼歌』を教授していた。
「……この一節だ。ここでのハープのアルペジオは、竜王が最後の息を吐く時の、天空を震わせるような悲しみを表している。一音たりとも間違えてはならん」
厳かな旋律が部屋に満ちる。その重厚な悲しみに、弟子たちは息を飲む。
そこへ、ドアがそっと開く。
「こんにちはー! すごくきれいな音楽ですね!」
カナが、小さく手を振りながら入ってくる。彼女の出現そのものが、場の空気を一変させた。
“あの……カナ、新任の『音楽普及係』ってことで来たんだけど……ねえ、この歌、とっても素敵だけど、ちょっと……難しすぎない?”
オルフェは眉をひそめる。
“お嬢さん。これは千年の伝承だ。『難しさ』がその価値だ”
“うん、わかる! でもね──”
カナは、無邪気な笑顔でステップを踏む。
“もっとリズムを軽くして、例えば……こうやって?”
彼女は、『竜王の哀悼歌』の冒頭の旋律を口ずさみ、そこに明るいスキップのリズムを加え、最後に思いつきのように「ぴょん!」という擬音をつけた。
“ほら! こうしたら、子どもたちも真似して歌えそうじゃない?”
一瞬、水を打ったような静寂。
弟子の一人が、思わず笑いを噛み殺した。それは、あまりにも神聖なものを冒涜する、罪悪感に満ちた笑いだった。
オルフェの顔が紅潮する。
“ふ、不敬な……! この旋律は、竜王の魂が宿っているのだ! お前のような……!”
“え? でも、カナ、竜王さんがずっと悲しい歌で歌われてるの、可哀想だなって思っただけなんです”
カナは、本当に心配そうな目をする。
“だって、もしカナが死んじゃったら……みんなに明るい歌で覚えられたいな、って思うよ? 竜王さんだって、きっと同じだと思う!”
彼女は、神話の悲劇を「個人の感情」に還元し、その感情を「より幸せにすべき」と主張した。
オルフェは、言葉を失った。千年の伝承を「可哀想」という主観で塗り替えられることの恐ろしさを、直感した。
〈Day3: “可愛い記憶”の浸透〉
カナは、ギルドの若い見習い詩人たちをターゲットにした。
「ねえ、あなたたち、あの古い歌、全部暗記してるの? すごい! でも……本当に、全部の歌が今の時代に必要かな?」
彼女は、古びた楽譜の山を指さす。
“カナが思うに、歌ってのはね……みんなが『楽しい!』って思うものじゃないとダメだよ。ほら、これ”
彼女は、自分でアレンジした『竜王の哀悼歌(カナVer.)』の楽譜を取り出す。五線譜には、ところどころに小さなハートや星のマークが描かれている。
“カナがちょっとアレンジしてみたの! 難しいところは省いて、覚えやすいメロディーにしたよ。それにね、歌詞も──『悲しみの竜王』じゃなくて、『空を飛びたい竜王』にしちゃった! こっちの方が、夢があっていいでしょ?”
見習いたちは、複雑な表情を浮かべた。彼らは何年もかけて古い旋律を体に刻んできた。しかし、カナのアレンジは確かに──「楽しい」。
一人が、恥ずかしそうに言う。
“確かに……こっちの方が、街の人に聴かせやすいかも……”
“でしょ? じゃあ、ほかの古い歌も、カナと一緒に『アップデート』しちゃおうよ!”
その日から、ギルド内で「カナ式アレンジ」が密かに広がり始める。重厚な叙事詩が、軽快なワルツに。悲劇的な神話が、ハッピーエンドの童話に。
それは「改変」ではなく、「現代的な解釈」という名の、緩やかな伝承の溶解だった。
〈Day5:コウタの“分析的支援”〉
コウタは、カナの行動をデータで裏付け始める。
彼はギルドの記録庫に赴き、淡々と報告する。
“分析結果:ギルドが保持する楽曲のうち、過去十年間で一般市民に演奏された回数は、全体の7%に過ぎない。特に『神代旋律』は、ほとんどがギルド内部での研究用だ”
老詩人たちが、苦い顔をする。
“つまり、あなたたちの『伝承』は、死蔵されているに等しい。カナのアレンジなら、少なくとも市場での流通可能性は300%以上向上する。伝承とは、聴かれてこそ意味があるのではないか?”
“しかし、形が変われば、魂も変わる!”
“魂?”
コウタは、無機質な笑みを浮かべる。
“面白い表現だ。では、その『魂』とは何か? 具体的な周波数か? 和声進行のパターンか? それとも……ただの『変わってはいけないという思い込み』か?”
彼の論理は、感情ではなく「実効性」を突く。
“カナのアレンジは、『魂』を変えているのではなく、『パッケージ』を変えているだけだ。中身──つまり『物語』の核心は残している。より多くの人にその核心を届けられるなら、それは『進化』と言うべきではないか?”
老詩人たちは反論できない。コウタの言葉は、彼らの使命である「伝承を後世に伝える」という大義と、見事に矛盾していた。
効率化ではなく、「普及」という大義名分で、伝統の改変を正当化する。
コウタは、ここで初めて真の「勝利」を手にしつつあった。
〈Day7: “楽しくなければ歌ではない”という専制〉
カナの影響は、ギルドの審査基準にまで及んだ。
新入り詩人の試験で、一人の青年が、古式に則った荘厳な叙事詩を披露した。技術的には完璧だった。
審査員の一人が頷く。
“確かな技術だ。合格と──”
“ちょっと待って!”
カナが、審査員席から立ち上がる。
“その歌……すごく上手いけど、なんだか眠くなっちゃうよ? だって、ずーっと同じ調子で、全然盛り上がるところがないんだもん”
彼女は、青年に歩み寄る。
“ねえ、あなた。本当に、その歌が『楽しい』って思って歌ってるの?”
青年はうつむく。
“……楽しい、というより……伝統を重んじて……”
“だったらダメだよ!”
カナの声は、明るく、しかし確かな「拒絶」を含んでいた。
“歌ってのは、まず歌ってる本人が楽しまなきゃ! それから、聴いてる人を楽しませなきゃ! 『伝統』だけのために歌ってるなら、それは……ロボットと一緒じゃない?”
その言葉が、審査場を凍りつかせた。
カナは、一切の悪意なく、「楽しさ」という一元的な価値観で、千年の技量と修練を「ロボットの所作」と断じた。
そして、誰も反論できない。なぜなら、彼女の言う「楽しまなければ」というのは、あまりにも「正しい」感情だからだ。
青年は失格となった。彼の目から、積み重ねてきた何年もの努力が、一瞬で色を失った。
〈Day10: 旋律の“純化”と、記憶の消去〉
事態は、楽器そのものにまで及ぶ。
カナが、ギルドの宝庫に保管されていた『竜の神経でできたハープ』を見て、言った。
“このハープ……すごく重くて、音も暗いね。もっと可愛い音が出るハープに作り直したらいいのに”
“ば、馬鹿を言うな! それは、初代詩王が竜と盟約を結んだ証だ!”
“盟約?”
カナは、きょとんとする。
“でも、その竜さん、もう死んじゃってるんでしょ? だったら、この重たい思い出より、今のみんなが楽しく演奏できる新しいハープの方が、よっぽど役に立つと思うけど”
彼女は、歴史的価値を「役に立つか」という功利主義で測り、神話の証を「ゴミ」と呼びたかったわけではないが、結果的に同じ意味のことを言ってしまった。
そして、彼女の「アップデート」は、とうとう禁断の領域に達する。
神代旋律の中でも最も神聖とされる『創世詩篇』──世界の始まりを歌う、一切の改変を許されない楽曲。
カナは、その楽譜を前に、首をかしげた。
“うーん……この歌、『始まり』なのに、なんだか終わりの歌みたいに暗いね。もっと……ワクワクする始まりの歌にしたら、みんな世界のことを好きになれるんじゃない?”
彼女がアレンジを始めようとした時、オルフェがその手を掴んだ。老いた手は、激しく震えていた。
“……やめろ”
その声には、怒りではなく、絶望がにじんでいた。
“お前は……何も分かっていない。この旋律は……音ではない。『記憶』そのものだ。それを変えるとは……世界の始まりの記憶を、お前の『可愛い』幻想で上書きするということだ!”
カナは、純粋に困惑した。
“でも……悪い記憶なら、上書きした方がいいんじゃないの? みんなが笑って歌える、素敵な記憶に変えたらいいよ?”
“…………”
オルフェは、彼女の手を放した。彼は理解した。この少女を止めることはできない。
彼女は悪魔ではない。悪意のない、歩く「忘却」なのだ。
〈エピローグ:歌えなくなった詩人たち〉
カナとコウタは、追放されることさえなく、ただ自然にギルドから去っていった。彼らがいなくなった後、ギルドには深い亀裂が残された。
年長詩人たちは、古い旋律を守ろうとする。
若手詩人たちは、カナの「もっと楽しく」という言葉が頭から離れない。
そして、最も悲惨だったのは、何も歌えなくなった者が現れたことだ。
あの試験で失格になった青年は、もう楽器に触れられない。カナの「ロボットみたい」という言葉が、耳にこびりついている。自分が積み重ねてきたすべての修練が、ただの「ロボットの動作」に思えてしまう。
オルフェは、宝物庫で『竜のハープ』を抱きしめていた。彼はもう、あの旋律を奏でる気力さえ失っていた。
(あの娘が言うように……これを『楽しい』ものに変えるべきなのか?)
(だが、変えた瞬間……これはもう、『竜のハープ』ではなくなる)
彼は、伝承を守ることの意味そのものを見失いかけていた。
一方、街角では、カナがアレンジした『空を飛びたい竜王』が、子どもたちによって明るく歌われていた。彼らは、元の悲劇を知らない。ただ、楽しい歌として口ずさむ。
歴史は、確かに「より多くの人」に届いた。
しかし、それはもはや「歴史」ではなかった。
そして、去りゆく二人。
カナは、少し寂しそうに言う。
“ねえ、コウタ。あの人たち、なんでカナのアレンジを嫌がるんだろう? みんなが楽しめるようにしたのに”
コウタは、静かに答える。
“……お前は、『記憶』を『娯楽』に変えた。彼らにとって、それはある種の殺人に等しい”
“え? 殺人? カナ、誰も殺してないよ?”
“違う。……『過去』を殺したのだ”
カナは、その意味を最後まで理解できない。
彼女はただ、次なる「古くて暗い場所」を探して、歩き続ける。
コウタは彼女の後ろ姿を見ながら、思う。
ただ、この少女が、世界の「古いもの」を、一つずつ「可愛いもの」に置き換えていくプロセスを、記録し続けるだけだ。
──そう、彼らは旋律を殺し、代わりに耳障りの良い音を残した。
彼女は、世界から「重み」を消し去り、「軽さ」だけを広めていく、無垢な破壊者なのだから。
(エピソード6・完)




