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エピソード5:田舎村『絆の郷』溶解編


〈プロローグ:穢れなき日常という幻想〉


山間にひっそりと佇む村『絆の郷』。ここには、派手な冒険も、巨大な組織もない。あるのは、代々続く家族の絆、隣人とのゆるやかな繋がり、そして何より「変わらない日常」という、穏やかな価値観だけだった。


村の入り口で、カナが深く息を吸い込む。

「わあ……すごくいい匂い! パンの焼ける匂いと、干し草の匂いが混ざってる!」

彼女の装いは、過剰な装飾を排し、淡い水色のワンピースに小さな麦わら帽子。あえて「村の娘」を意識した扮装だ。

「ここなら……きっと、カナのことも、素直に受け入れてくれるよね? だって、みんな優しそうだもん」


コウタは、村の簡素な家屋を、データではなく直感で見つめていた。これまでの観察対象とは明らかに次元が違う。ここには「効率化すべきシステム」も「塗り替えるべき美学」もない。あるのは、自己完結した生命体のような有機的な繋がりだけだ。

“……興味深い。非合理的な感情のネットワークが、極めて高い安定性を維持している。崩壊させるには……あるいは、『より良くする』には、根本からのアプローチが必要だろう”


彼は、内心で違和感を覚えていた。この村は、彼の「効率化」という武器が、最も無力化される場所かもしれない。そして、カナの「可愛さ」も、ここでは単なる「若い娘の愛嬌」で片付けられる危険性がある。


しかし、カナの目は輝いていた。

「ねえ、コウタ。カナ、ここに住みたくなっちゃったかも。だって……みんな、本当の『家族』みたいで」

彼女のその言葉には、ほんのわずかだが、これまでにない渇望が混じっていた。壊すことではなく、「 belonging(帰属)」 を得ることへの。


コウタはそれを敏感に察知する。

“……我々は観察者だ。住み着くわけにはいかない”

「えー……でも、ちょっとだけ長居してもいいでしょ? カナ、みんなと仲良くなりたいんだもん」


彼らは、無意識のうちに役割を入れ替えつつあった。

コウタが警戒し、カナが前のめりになるという、初めての構図。


〈Day1: “理想の娘”の侵入〉


村の中心にある広場。井戸端で女たちが洗濯をしながら世間話をし、子どもたちが駆け回っている。そこへ、カナがふらりと現れた。

「こんにちはー! あのう、ちょっと道に迷っちゃって……」

彼女は、少し困ったような、しかしどこか愛らしい笑顔を見せる。


最初に声をかけたのは、村長の妻、マルタだった。

「まあ、可愛いお嬢さん! どちらから?」

「えっと、遠い町からです。でも、ここ、すごく穏やかで素敵な場所ですね。カナ、ちょっと休憩させてもらっていいですか?」

彼女の態度は、完璧に計算されていた。わざとらしさを排し、自然な「困った旅人」を演じている。しかし、その「自然さ」自体が、彼女の最強の演技だった。


マルタはすぐに心を開き、カナを家に招き入れた。温かいスープと自家製のパンを振る舞う。

「ほんとに、いい子だねえ。こんなに礼儀正しい子は久しぶりだよ」

「ありがとうございます! カナ、お手伝いしますね!」

カナは進んで食器洗いを始め、子どもたちに優しく話しかける。彼女の「可愛さ」は、ここでは理想的な娘、あるいは妹として、完璧に機能した。


一方、コウタは村の外れに佇み、ただ観察していた。彼はここでは「カナの付き添い」という役割に甘んじるしかない。村の男たちが、怪訝そうに彼を見る視線を感じる。

(……ここでは、私は「役に立たない」)

その認識が、彼に初めて焦りに近い感情を芽生えさせた。


〈Day3: “より良い絆”の提案〉


カナは、あっという間に村の「人気者」になった。彼女は老人の話を聞き、母親の家事を手伝い、子どもたちに遊びを教える。全てが自然で、そして全てが「彼女のため」に見えた。


そして、彼女はそっと「提案」を始める。

「マルタさん、ここのお野菜畑、とっても立派ですね! でも……隣のハンスさんちの畑と、この柵、ちょっとギクシャクしてるみたい。もっとみんなで協力して、大きな共同畑にしたら、もっとたくさん収穫できるんじゃないですか?」

彼女は、無邪気な目で言う。

“だって、聖典にも『隣人と分かち合え』ってあるよね? みんなで一緒に働いたら、もっと仲良くなれるし、収穫も増えるし、一石二鳥だよ!”


マルタは一瞬、言葉に詰まった。確かに、隣のハンスとは些細な土地の境界線で、昔からちょっとした確執があった。

「でもなあ、ハンスさんは頑固だから……」

“大丈夫! カナがお話ししてくる! きっと、カナが『みんな仲良くした方がいいよ』って言えば、わかってくれると思う!”


カナは実際にハンスのもとへ行き、同じことを言った。ハンスは最初、渋い顔をしたが、カナの「みんなのためを思ってるだけなんです」という純粋な笑顔の前には、反論できなかった。

「……わ、わかったよ。やってみるか……」


こうして、個々の家族が管理してきた畑が、「共同管理」へと移行し始めた。

それは、一見すると「より良い共同体」への第一歩に見える。しかし、その裏では、長年培われた個々の責任感と自律性が、ゆるやかに侵食され始めていた。


コウタは、その過程をデータではなく、肌感覚で理解し始めていた。

(彼女は……システムを変えているのではない。『依存の方向性』を変えている。個人から家族へ、家族から『彼女を中心とした村全体』へ……)


〈Day7: “正しい日常”という圧迫〉


カナの「改善」は、より深く入り込む。

「ねえ、みんな、朝の挨拶、もっと元気にした方がいいと思わない? だって、『明るい挨拶は一日を幸せにする』って言うし!」

彼女は、自ら範を示す。誰と会っても、大きな笑顔で「おはようございます!」。

最初は気恥ずかしがっていた村人たちも、次第にそれに合わせざるを得なくなる。カナのように明るく挨拶しないと、「暗い人」というレッテルを貼られる恐れがあったからだ。


そして、彼女は「村の伝統」にも触れる。

収穫祭の準備で、村の古老が古い歌を歌い始めた。それは少し暗く、戦争で亡くなった者たちを悼む歌だった。

カナは、歌が終わると、そっと手を合わせた。

“……すごく、重い歌だね。でも……みんな、そんな悲しい思い出ばかり思い出して、いいのかな?”

彼女は、心配そうな顔をする。

“カナが思うに、お祭りはみんなが笑って過ごすものだよ? 新しい歌、一緒に作らない? 明るくて、未来に向かってるような!”


古老は、目を見開いた。その歌は、彼の祖父から受け継いだものだった。しかし、カナの「みんなが笑って過ごすため」という大義名分の前では、反論の言葉がでない。

「……わ、わしは……いいよ。若い者たちが……楽しければ」

その瞬間、過去への敬意が、「現在の空気」のために切り捨てられた。


コウタは、カナが老人の肩にそっと手を置き、「ありがとう! 古老さんも優しいね!」と言うのを見て、あることを悟った。

(彼女は、誰も傷つけるつもりはない。ただ……『彼女の考える幸せ』を、善意の暴力で押し付けているだけだ)


彼は、自分がその暴力を止められないことに、苛立ちを覚えた。いや、止める理由すら見出せないことに。カナは、確かに誰のためを思って行動している。それが結果的に村の絆を「均質化」し、「個」を溶解させているとしても。


〈Day10:コウタの“敗北”と“気づき”〉


コウタは、最後の手段として「効率化」を持ち出そうとした。村の水汲みや薪割りの分担について、データに基づく最適案を提示した。

しかし、村人たちの反応は冷たかった。

「コウタさん、そういうのはいいんだよ。今まで通りでうまく回ってるんだから」

「数字なんかより、みんなでわいわいやるのが楽しいんだよ」


彼の正論は、ここでは「場の空気を乱す迷惑なもの」でしかなかった。そして、その彼をフォローするようにカナが現れる。

「コウタもみんなのためを思って言ってるんだよ? でもね、ここはコウタの知ってる町とは違うから。もっと……『心』で考えようよ?」

彼女は、村人たちに申し訳なさそうな笑顔を見せ、コウタの袖を引く。

その仕草は、まるで子どもが駄々をこねる親を諭すようだった。


コウタは、その瞬間、完全に立場を失った。

彼は、カナの「善意」によって、自分の「正論」が「子どものわがまま」に貶められるのを、目の当たりにした。

そして、彼は初めて、カナという存在が、いかにして周囲を“彼女の色”に染め上げるかの核心に触れた。


(彼女は、論破しない。……包囲するのだ)

(彼女の善意は、周囲に『彼女に逆らうことは、善意に逆らうこと』という、見えない圧力を生み出す。そして、その圧力の中では、私の論理など、単なる“雑音”でしかない)


彼は、カナが村人たちと笑いながら去っていく後ろ姿を見つめ、ある感情を初めて明確に自覚した。

嫉妬。

彼がどんなに正論を並べても得られない「受け入れられ感」を、カナは何の努力もせずに手にしている。いや、彼女の存在そのものが、受け入れられることを強要しているのだ。


〈Day14:溶解する“個”、残る“カナ色の絆”〉


二週間が経ち、村は確実に変質していた。

かつては各家族で決めていたことが、今では「カナちゃんがどう思うか」が基準になっている。

「この種まきの時期、カナちゃんに聞いてみようか」

「あの件、カナちゃんが仲直りさせてくれるだろう」


個人の判断が、「カナという中央集権」へと収斂していく。それは、支配ではなく、自発的な依存という、よりたちの悪い形で。


そして、カナ自身が、その依存を「絆の深化」と勘違いしていた。

「みんな、とっても仲良しになってくれて、カナ嬉しいな!」

彼女は、コウタにそう言いながら、村の子どもたちからもらった花の冠を嬉しそうにかぶる。

“ここにいると、カナもみんなの家族の一員になったみたいで……ほんとに、居心地がいいよ”


その言葉を聞いたコウタは、冷たい笑みを浮かべた。

“……家族、か。面白い。お前は、彼らを『自分の家族』に仕立て上げている。そして、彼らはそれに気づかず、喜んでいる”

「え? どういうこと?」

“つまりだ。かつては『血縁』や『地縁』で結ばれていた彼らは、今や『お前という中心』でしか結ばれていない。お前がいなくなったら……この村の『絆』は、一瞬で崩壊するだろう”


カナは、首をかしげた。

“そんなことないよ? だって、カナがいなくても、みんな仲良しだもん”

“……では、試してみるか?”


コウタは、ある実験を思いついた。


〈Day17: “中心”を失うということ〉


コウタは、カナにあることを頼んだ。

“一日だけ、村から離れよう。隣町まで行くふりをする”

「え? どうして?」

“観察だ。お前という『接着剤』がなくなった時、この村がどうなるか”

カナは少し不安そうだったが、コウタの「データのため」という言葉に頷いた。


彼女がいなくなった初日。

村は、何事もなかったように見えた。しかし、細やかな軋みが生じ始める。

共同畑の水やり当番を、誰がするかでもめた。以前はカナが「じゃんけんで決めよう!」と笑って仲裁に入っていた。

収穫祭の新しい歌の練習で、意見が分かれた。カナがいなければ、調整役がいない。

何より、村の空気が重くなった。カナの明るい笑顔と無邪気な質問が、日常の潤滑油となっていたことに、彼らは初めて気づく。


「カナちゃん、いつ戻ってくるんだろうな」

誰かが呟く。その言葉が、村中に不安を撒き散らす。


そして、決定的な事件が起きた。

隣村との小さな水利権をめぐる諍いだ。かつてなら、村長と長老たちが話し合いで解決していた。しかし、今の彼らは「カナちゃんがきっとうまくやってくれる」と依存しきっており、自分たちで話し合う術を忘れかけていた。

話し合いは平行線のまま、険悪なムードが流れる。


その時、マルタがふと言った。

「……もしかして、私たち……カナちゃんに頼りすぎてたのかもしれないね」

その一言が、村人たちの胸に刺さる。

彼らは、自分たちが自らの意志と判断を、無意識のうちにカナに預けていたことに、ようやく気づき始めた。


〈Day18:拒絶──“甘い毒”への目覚め〉


カナが村に戻った時、彼女を出迎えたのは笑顔ではなく、複雑な表情だった。

「おかえり、カナちゃん……」

マルタの声には、喜び以上に恐れが混じっていた。

「みんな、どうしたの? なんだか暗いね」

カナは、心配そうに近づく。

“何かあった? カナに話して? きっと解決してあげるから”


その言葉が、最後の一押しとなった。

「……もう、いいよ、カナちゃん」

村長が、重い口を開く。

“君は……とても良い子だ。優しいし、みんなのためを思ってくれてる。でも……その『優しさ』が、かえって……俺たちを、ダメにしているみたいなんだ”


カナの目が、ゆっくりと見開かれる。

“え……? カナが、みんなをダメに……? そんなこと……カナ、みんなを幸せにしたかっただけなのに……”

“だから……だ!”

村長の声が、思わず強くなる。

“君の『幸せ』が、俺たちから『自分で考える力』を奪ってる! 君がいないと、もう何も決められない! こんなんじゃ……俺たちは、君の操り人形と変わらん!”


沈黙が流れる。

カナは、言葉を失っていた。彼女は、ただただ理解できない。自分がみんなを幸せにしようとすることが、なぜこんな非難を生むのか。


マルタが、泣きそうな声で付け加える。

“カナちゃん……出ていってくれないか? お願い。このままじゃ……この村は、本当の意味で壊れちゃうから”


その「お願い」は、怒りではなく、哀願だった。

彼らはカナを愛していた。しかし、その愛が自分たちを窒息させるほどに強すぎることを、恐ろしいほど理解していた。


〈エピローグ:帰属のない彷徨〉


カナは、何も持たずに村を後にした。彼女がここで得たもの──花の冠、子どもたちの絵、マルタの編んだマフラー──全てを置いていった。

「なぜ……?」

彼女は、歩きながら、何度も呟く。

“カナ、ただ……みんなの家族になりたかっただけなのに。みんなが笑ってるのを見たかっただけなのに……”


コウタは、彼女の傍らを黙って歩く。彼は、ある満足感を覚えていた。カナが初めて「敗北」したのだ。いや、正確には「彼女の方法論が、ある種の共同体では通用しない」ことを証明できた。

しかし、その満足感は、すぐに虚しさに変わった。

(結局……私は、彼女を止められなかった。ただ、彼女の『失敗』を傍観しただけだ)


彼はカナに問う。

“次はどこへ行く?”

カナは、顔を上げる。目には涙が光っているが、それは悲しみというより、純粋な困惑の涙だった。

“……わかんない。カナ、もう……どこに行けばいいのかわかんない”

彼女は、初めて「次の標的」を自分で見出せなかった。

“どこに行っても……カナは、みんなを幸せにしようとするだけなのに。なんで……嫌われちゃうんだろう……”


コウタは、その言葉を聞き、ふと思う。

(もしかすると……彼女の『幸せにしたい』という欲求そのものが、彼女の“居場所”を永遠に失わせているのかもしれない)


彼は答えを出さない。ただ、次の町へ続く道を指差す。

“とりあえず、あちらへ行こう。立ち止まっていても始まらない”


カナは、うなずく。彼女はコウタの後を歩き始めるが、その足取りはかつての軽やかさを失っていた。

彼女は、初めて「世界に拒絶される」という経験をし、その傷の深さをまだ理解できずにいた。


そして彼らは、また歩き出す。

彼らが去った村には、深い後悔と喪失感が残された。彼らは「甘い毒」を追い出したが、同時に日常の輝きも失ってしまった。

窓辺に枯れていく花の冠。

使われないままの、明るすぎる新しい歌。

そして、かつては自然に交わされていたが、今はぎこちないだけの挨拶。


──そう、彼らは“家族”という幻想を壊し、その代わりに“喪失”という現実を置いていった。

カナは、永遠に“帰属”を求め続ける。

コウタは、永遠に“彼女の破壊”を記録し続ける。

それが、彼らに許された、唯一の絆の形なのだから。


(エピソード5・完)



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