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エピソード3:芸術家村『色彩の園』壊滅・死刑執行編


〈プロローグ:無垢なるキャンバスと、二つの破壊者〉


山あいにひっそりと佇む村『色彩の園』。世俗を嫌い、美だけを求める芸術家たちの共同体。

彼らにとって価値があるのは「新しさ」「衝撃」「美」だけ。既存の価値観を拒絶する彼らは、常に「次の美」を飢えていた。


村外れの丘から、コウタが村を眺める。手には分析データ。

「理想的だ。彼らは“常識”という免疫を持たない。カナ、お前の“可愛さ”はここでは“新美学の宣言”として完全に受け入れられる」

「えへへ……カナがこの村の“新しい神様”になっちゃおうかな?」

カナの装いは「可愛さの概念の具現化」だった。ピンクと白のレースの重なり、背中で広がる巨大なリボン。

「否定しない。そして私が彼らの“創造プロセス”を最適化する。霊感待ち、試行錯誤……全てをデータ化し、最短で“最高の作品”を生産するシステムを構築する。芸術の“産業化”だ。我々は“美の工場”を築く」


彼らの目には、既に村が「実験場」として映っていた。


〈第一段階:歓迎される“ミューズ”(1-3日目)〉


Day1:新たな“美神”の降臨

中央広場にカナが颯爽と舞い込む。歩く芸術品。画家はパレットを落とし、詩人は言葉を失う。

「わあ……すごい……“新しい”……!」

カナは満面の笑み。「カナ、ここに住みたくなっちゃった! みんなをとーっても可愛くしてあげたい!」

その日、村に“新たなミューズ”が誕生。彼女は瞬く間に中心に据えられた。


Day3:可愛さの“優しい専制”

カナは“お願い”を始める。「ねえ、その絵の色、暗くない? もっとピンクを入れたら“幸せ”になるよ」「その彫刻、もっと“ふわふわ”にしてよ」

芸術家たちは戸惑うも、彼女の“可愛さ”という絶対的権威に抗えなかった。批判は“新しさ”の否定と同じ──そう思い込まされていく。


そしてコウタの“効率化”が侵入。

「君たちの制作時間は無駄が多い。霊感待ち、筆の悩み……全て排除する」

制作管理表が配布される。午前6時から8時:構想(指定テーマのみ)。8時から12時:制作(休憩10分のみ)……

「バカな! 芸術にタイムスケジュールなんて!」老画家が怒鳴る。

「黙れ」コウタの声は金属。「あなたの過去作品を分析した。完成まで平均47日、そのうち32日は“筆を止めてぼーっとする時間”。その無駄を排除すれば生産性は300%向上する。より多くの作品を世に残したいとは思わないのか?」

その言葉は、芸術家たちの“焦り”を巧妙に突いた。


〈第二段階:均質化という侵食(4-7日目)〉


Day5:風景の変容

村の風景が変わり始める。家々の壁がピンクや水色に。庭には不自然に整えられた花。キャンバスはカナを彷彿させるふわふわした人物画で埋め尽くされ、詩には「リボン」「レース」「甘い」が頻出する。


彫刻家が苦悩の末に完成させた抽象作品。頂点に無理やりリボン状の装飾がつけられている。

「……これで、どうだ?」達成感より諦念。

「パーフェクト!」カナが拍手。「ほら、リボンつけるとぐーんと可愛くなるでしょ?」

コウタが記録。“対象No.24:彫刻家ガルム。導入前作品:評価8.7。導入後:6.2(但し生産数350%増)。効率性と芸術的価値のトレードオフを確認”


村は“カナ色”に染まる。悪意ではなく、一方的な“可愛くしてあげたい”という愛の結果。


〈第三段階:破壊の本格化(8-10日目)〉


〈Day8:数値化される魂〉


ヴェルデのアトリエには、古いキャンバスの匂いと、松ヤニの甘い腐敗が混ざり合っていた。彼は『曙光と崩れゆく塔』──着手して三ヶ月、まだ最初の筆致すら入れられていない巨大なキャンバスと向き合っていた。左手の指が、無意識にパレットの縁を叩いている。トン、トン、トン。心拍に同期するそのリズムだけが、彼がまだ「生きている」ことを証明していた。


ドアが開いた。レースのざわめきが、静寂を切り裂く。


「あらあら、ヴェルデさん。また白いままなんて……寂しいすぎるよぉ?」

カナの声は、蜂蜜が滴るように滑らかだ。彼女はふわりと傍に寄り、キャンバスに触れようとする手を、わざとらしくひっこめた。

「カナ、今日は特別なリボンつけてきたんだ。ヴェルデさんだけに、一番最初に見せてあげようと思って」


彼女は胸元から、真珠とレースで編まれたリボンを取り出した。それは確かに「美しい」ものだった。が、ヴェルデの網膜には、その一針一針が蟻の這い回る軌跡のように映った。


「……出ていけ」

彼の声は、錆びたパイプを通る息のように軋んだ。

「お前たちの……色など、俺のキャンバスを穢すだけだ」


その時、影が動いた。コウタはドア枠にもたれ、タブレットの光に顔を半分照らされていた。その目は、ヴェルデを「見て」いない。計測している。


“ヴェルデ・アランフェス。年齢七十二。過去作品総数八十四。平均制作日数:五十六点三日。そのうち、筆を動かさず『思考に耽る』と称する時間:三十八日。非生産率:六十七・八%”


数字が、ヴェルデの鼓膜を直接叩く。


“あなたの代表作『落日と老いた樫の木』。制作期間二百四十二日。構想から下絵までに要した日数:百六十二日。この期間、あなたは毎日平均三・二時間、キャンバスを『眺め』ていただけだ”


「……黙……れ……」


“黙る必要性はない。事実は数値に宿る。仮に私が管理していたなら、その作品は六十日で完成し、残りの百八十二日でさらに四点七作品を生み出せた計算になる。あなたは『天才の熟成』と呼ぶが、私は『怠惰の集積』と定義する”


ヴェルデの額に、冷や汗がにじむ。彼の頭の中で、あの樫の木が揺れ始めた。夕陽の茜色が、RGB値に分解されていく。(R: 218, G: 85, B: 47) 木の肌の質感が、粗さの数値(3.2μm)に変換される。風の音が、周波数(約320Hz)に置き換わる。


「や……めろ……」


“やめる理由がない。さあ、描け。このキャンバスに、我々のミューズを”


コウタが一歩前に出る。その動きは、機械の作動音のように正確だ。彼はカナの肩をそっと押し、キャンバスの前に立たせる。


カナは、少し照れたように頬を染め、俯く。その仕草は、千年の時を経た彫像にも似た「完璧な可愛さ」だった。ヴェルデの目が、その笑顔の「構成要素」を分解し始める。口元の曲線:曲率0.23。睫毛の長さ:均一12mm。頬の赤み:彩度35%。


「ねぇ、ヴェルデさん」

カナが、少し不安そうな目を上げる。

「カナ……こんなので、いいのかなぁ? ヴェルデさんみたいなすごい人が描くのに、カナなんかじゃ……足りないよね?」


その言葉が、最後の一撃となった。


彼女の「謙虚」は、本物の不安など微塵も含んでいない。それは、完全なる「勝利の確認」だった。ヴェルデは理解した──この少女は、自分が彼女を「描けない」ことを、最初から知っていた。いや、描かせないために来たのだ。


“選択肢は二つだ、ヴェルデ”

コウタの声が、冷たい金属片のように脳髄に刺さる。

“一つ。今すぐ彼女を描き、あなたの『新たな代表作』とする。二つ。拒否し、あなたの全作品の『非効率性の分析レポート』を、美術界全体に公開する。あなたの『伝説』は、『無能の証明書』に書き換えられる”


ヴェルデの右手が、震え始めた。彼は筆を取ろうとする。しかし、指が動かない。かつて竜の瞳のように輝いていたあの筆が、今はただの「棒」に感じられる。


彼は筆を握った。重い。鉛のように。


パレットに手を伸ばす。チューブから出した青が、かつては「海の深淵」だった。今はただの「Pthalo Blue, 価格12.3ギルド/チューブ」。


筆先がキャンバスに触れる。白い地が、絵の具を吸い込む。


──何を描けばいい?

──どう描けばいい?


カナの顔が、数字の羅列に分解されていく。コウタの声が、脳内でループする。“効率性。生産性。数値化。最適化。”


「あ……」


ヴェルデの喉から、かすれた息が漏れた。彼の目から、一滴の涙がこぼれ、パレットの上に落ちた。それは青と混ざり、薄汚い水色の染みを作った。


彼は描き始めた。線は震え、色は濁っていた。それはもはや「絵」ではなかった。数値への恐怖を、キャンバスにぶちまけた嘔吐物だった。


カナは、嬉しそうに手を叩いた。

「わあ! すごい! カナ、こんな風に見えるんだ!」

彼女の笑顔は、ヴェルデの描いた歪な肖像画を見て、心から喜んでいるように見えた。その「無邪気さ」が、全てをさらに深く破壊した。


コウタがタブレットに記録する。“対象『ヴェルデ』、屈服確認。精神の数値化プロセス、進行中。予想より早い崩壊。興味深い”


ヴェルデは描き続けた。涙が頬を伝い、絵の具と混ざり、キャンバスに滲んだ。彼は、自分が何を描いているのか、もうわからなかった。


ただ、一つだけ理解していた。

自分は、もう二度と「あの樫の木」を描けないということだ。


〈Day10:無邪気な絶滅〉


宝物庫の扉が開いたとき、湿った羊皮紙と古い油の匂いが、カナを少しむせさせた。

「うぇ……なんか、くさーい」

彼女は鼻を抑え、中を覗いた。暗がりの中、無数のキャンバスや彫刻が、亡者のように立ち並んでいる。


「まあ……すごい……けど」

彼女の足音が、石の床に反響する。彼女は、一点の絵の前に立ち止まった。ルネサンス期の『聖母と幼子』。聖母の瞳は、五百年の時を経てもなお、優しさに満ちていた。


カナは、首をかしげた。

「……なんだか、悲しそう」

彼女の指が、ガラスのケースに触れる。

「ほら、このお母さん。ずっと暗いところに閉じ込められて、寂しいんじゃない? カナが……明るくしてあげようね」


彼女は振り返り、後ろで控える若い画家たち──彼らの目は既に、カナ以外の美を見失っていた──に笑いかけた。

「みんな! ここにいる絵たち、とっても可愛くできると思うんだ! ほら、ペンキ持ってきて!」


ピンクと白のペンキ缶が、石床に転がり、鈍い音を立てる。一人の少年が、缶を拾い、躊躇いながら開けた。甘ったるいピンクの匂いが、古い油の匂いを圧倒する。


「えっと……どうすれば……」

「自由にしていいんだよ!」

カナが、少年の手を取り、聖母像のケースの前に立たせる。

「ほら、このお母さん。もっと幸せな顔にしようよ。例えば……ここに、お花を描いてあげるとか!」


少年の手が震えた。彼はかつて、この絵の前で、涙を流したことがあった。その色彩の調和に、言葉にならない感動を覚えたのだ。


が、今、彼の目に映るのは「感動」ではなかった。カナの期待に応えなければという、切迫した焦りだ。


彼は筆を取った。ピンクの絵の具が、筆先に滴る。

筆先が、ガラス越しに、聖母の頬に触れる──のではない。ケースの外側から、直接ガラスに描き始めたのだ。


ピンクの線が、聖母の顔を横切る。それは、まるで傷のようだった。

「そ、そうだ……お花……お花を……」

少年は必死に、歪な花を描き足す。ピンクが聖母の青い衣を汚し、白が幼子の顔を塗りつぶす。


その傍らで、別の少女が、バロックの風景画に手を伸ばした。絵の中の空は、雷光が走る暗雲だった。彼女は白のペンキを豪快に塗りつける。

「くもり空なんて、いやだよ! 晴れの日にしちゃおう!」

白が、繊細な雲のグラデーションを食い尽くす。下からは、画家が三日かけて層を重ねたという藍色が、汚れた水のように滲み出る。


「わあ! きれい!」

カナは、拍手をした。その笑い声が、宝物庫に反響する。

「みんな、すごくセンスあるね! ほら、あっちの彫刻さんも! ちょっと固すぎるから、リボンつけてあげようよ!」


大理石のアポロン像に、誰かがピンクのリボン(紙でできた安物)を接着剤で貼り付け始めた。リボンはすぐにだらりと垂れ、神の顔を覆う。


コウタは入口で、全てを記録していた。彼の瞳には、破壊の光景ではなく、データの変動が映っている。

“文化資産の主観的価値:急降下中。対象A:市場推定価値97.4%減。対象B:99.1%減。……村民の感情的関与度:上昇。『共同作業』による帰属意識の形成、確認”


ヴェルデは、入口の影に立っていた。彼は動かない。ただ、目を見開いている。

彼の網膜に焼き付くのは、色の絶滅だった。

かつて黄金と称された黄が、幼稚なレモン色に変えられる。

深淵を思わせる藍が、薄汚い水色に塗りつぶされる。

全てが、均一な「可愛さ」へと収斂していく。


彼の喉が、ごくんと動いた。吐き気が込み上げる。

が、彼は吐けなかった。吐くべき「美」が、もうここには存在しないからだ。


一時間後、宝物庫は別世界になっていた。

色のない世界。いや、一色の世界だ。

ピンクと白の波が、全てを飲み込んだ。絵画は塗り絵に、彫刻は幼稚園の工作に、工芸品は百均の雑貨に成り下がった。


カナは、額に汗を光らせて、満足げにほほえんだ。

「ふう……すっごく楽しかった! みんな、ありがとう!」

彼女は、ピンクのペンキで汚れた手のひらを、無邪気に見せびらかす。

「ねえ、次は外の壁もやろうよ! この村、全部ピンクにしちゃおう!」


その言葉に、少年少女たちは歓声を上げた。彼らの瞳には、もはや「過去」のかすかな影さえ映っていない。


ヴェルデは、ゆっくりと背を向けた。彼の足取りは、亡者のように重かった。

彼の耳には、カナの笑い声が、永遠に響き続けるように思えた。


〈エピローグ:ピンクの泥の海に沈む村〉


彼らが去ったのは、雨の朝だった。


雨粒が、ピンクに塗られた壁を叩く。水は色を溶かし、縞模様の汚れた流れを作り、道に滴り落ちる。その流れは集まり、小川となり、やがて村の中心広場で一つの桃色の水たまりを形成した。


水たまりの表面には、ゆがんだカナの偶像が映る。雨粒がその顔を叩くたび、像は泣いているように揺れる。


ヴェルデは、広場の縁に立っていた。彼は傘もささず、雨に打たれている。水が彼の白髪をへばりつけ、薄いシャツを肌に密着させる。彼は寒そうではなかった。ただ、空洞だった。


彼の視線の先には、かつての壁画があった。子どもたちに描いてあげた、ウサギとクマが森で遊ぶ絵。今では、ピンクのペンキが幾層にも塗り重ねられ、その下に何があったか、もはや誰にもわからない。


彼は一歩、水たまりに足を踏み入れた。泥水がくるぶしまで浸る。冷たい。が、彼は感じない。


壁画に手を伸ばす。指先が、べとついたピンクの表面に触れる。彼は爪を立て、引っかく。ペンキが剥がれる。が、その下から現れるのは、期待していた色ではなかった。


下地も、もうピンクに染まっていた。絵の具が木材の繊維まで浸透し、元の色を完全に殺していた。彼はさらに引っかく。爪が割れ、指先から血が滲む。血とピンクの泥が混ざり、不気味な紫色の染みを作る。


彼はやめた。手を下ろす。血の混じった泥水が、袖から滴り落ちる。


彼は振り返った。広場を見渡す。


家々の窓には、誰もいない。白レースのカーテンだけが、風もないのに微かに揺れている。あのカナが「統一規格だよ!」と喜んで取り付けたものだ。


アトリエの方向から、誰かの足音が聞こえる。若い画家が、ぼんやりと外を見ている。彼はキャンバスを持っている。が、筆は持っていない。ただ、キャンバスを抱え、空を見上げている。その瞳には、何も映っていない。雲の動きも、雨の冷たさも、全てが「データ」として処理されるべき対象にしか見えていない。


ヴェルデは、ゆっくりと膝を折った。泥水に膝をつく。冷たさが、ようやく皮膚を伝わり、骨に染み渡る。


彼は泣かなかった。涙腺は、乾ききっていた。


彼はただ、水たまりに映る自分自身の顔を見つめた。それは、老いた男の顔ではなかった。色を失った、白いキャンバスのような顔だった。


雨音だけが、村を覆う。

鳥は鳴かない。子どもは笑わない。画家たちは論じない。

かつて色彩が爆発していたこの場所は、今や音さえも吸い込む無色のスポンジと化していた。


遠くの道。馬車の音が、雨に消されながら遠ざかっていく。


カナの声が、かすかに風に乗ってくる。

「ねえ、コウタ。あの村、雨に洗われたら、もっとキラキラしてるかな?」

“可能性は低い。ピンクの顔料は耐水性が低い。むしろ、色が流され、より無様な状態になるだろう”

「えー……それじゃ、かわいそう」

“感情的な評価は無意味だ。次へ行こう。聖堂騎士団は、より耐久性のある『価値観』を持っている。我々の介入の影響は、より長期的に観測できるはずだ”


その会話は、雨に掻き消された。

彼らは、自分たちが何を残したのか、最後まで理解することはない。


彼らが去った地には、色の亡骸だけが残された。

乾けば、それは無気味なピンクの痂のように村を覆い、二度と剥がれることはない。


──そう、彼らは世界に「治癒不能な可愛さ」という傷を、無自覚に刻み続ける、歩く伝染病なのだから。

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