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第1話:史上最悪の「めっ!」
魔王軍の幹部、ギルガメスが巨躯を震わせて倒れ伏す。
その周囲で、パーティー『純白の翼』のメンバーは、勝利の余韻ではなく、ドロドロとした殺意を仲間に向けていた。
「……カナ。あんた、今すぐこのパーティーから消えなさい」
リーダーのクラリスが、震える手で剣を突きつける。
その顔は怒りと、生理的な拒絶で引きつっていた。
カナは、返り血一つついていないピンクのコケット・ドレスの裾をつまみ、首をかしげた。
大量のリボンが、動きに合わせてあざとく揺れる。
「えぇーっ、どうしてぇ? カナ、さっきのトカゲさんに『めっ!』ってして、みんなを応援してあげたのにぃ……」
「それがムカつくのよ! 私たちが死ぬ思いで盾になってる後ろで、自撮りみたいなポーズで応援(笑)なんてしてんじゃないわよ!」
「そうよ! 落ちたレア素材を勝手にリボンに加工して『キラキラで可愛いぃ』じゃないわよ、このクズ!」
メンバーの魔導師や狩人も、口々に罵声を浴びせる。
カナは潤んだ瞳で、唇をぷくっと膨らませた。
「ひどぉーい。カナのこと、可愛いからって嫉妬してるんだぁ……。可哀想なカナ、一人で生きていけなーい……誰か、助けてぇー」
「二度とその声を聞かせるな! 行きなさい!」
ギルドの裏口から蹴り出され、カナは石畳に転がった。
だが、その瞳に涙はない。
「……ちっ、あいつらセンスないわね。次はもっと『強い』男を捕まえないと」
ドレスの汚れを払い、リボンの位置をミリ単位で調整する。
カナは、路地裏に座り込み、M字開脚気味に脚を広げて「獲物」を待った。
そこに、一人の男が歩いてくる。
名はコウタ。
この界隈で、あまりの堅物さと正論のうざさで誰からも相手にされない、孤高の嫌われ者だ。
カナは瞬時に、肩のストラップを少しだけずらした。
「あ……あのぉ、騎士様ぁ……。カナ、捨てられちゃった仔猫さんなんですぅ……」
上目遣いで、男の胸当てを見上げる。
コウタは足を止めた。
バイザーの奥の瞳が、無機質にカナをスキャンする。
「……まず、股を閉じろ。公共の場でその姿勢は、道徳的および衛生的に問題がある」
「……えっ?」
コウタは一歩踏み込むと、カナの露出した肩に手を伸ばした。
触れられる——そう思った瞬間、彼はカナのドレスの襟首を掴み、喉が詰まるほどきつく引き上げた。
「服が乱れている。そして、声帯の使い方が非効率だ。そのような発声は喉を痛める原因になる。……あと、そのリボンの数は何だ? 重心バランスを著しく損なっている。即刻排除すべきだ」
「……っ、う、うざっ……」
カナは思わず本音を漏らしそうになった。
だが、この男の装備は一流だ。そして、何より自分を「女」として見ていない——つまり、利用価値がある。
「ひどぉーい。騎士様、カナに説教するのぉ? でもぉ、カナ、一人じゃ歩けなーい……抱っこしてぇ?」
「拒絶する。足があるなら歩け。……だが、追放されたというなら、社会復帰のための更生プログラムを組んでやる。私の後についてこい、リボン女」
「えぇー、リボン女じゃなくてカナですぅ! もう、コウタってば、いけずぅー!」
「馴れ馴れしく名前を呼ぶな。それと、その『語尾』を1センチ短くしろ。命令だ」
こうして、世界一あざとい追放ヒロインと、世界一うざったい追放主人公の、終わりのない「追放ループ」への第一歩が刻まれた。
エピソード1:オタサーの姫崩壊編
〈プロローグ:絆という名の“汚物”〉
朝日がキャンプサイトを優しく照らす。漂ってくるのは、具だくさんの野菜スープの香り。重戦士バルカス、魔法使いアルト、斥候のレオン──三人の男たちが囲む煮込み鍋の傍らで、一人の女性が笑みを浮かべていた。
癒し手のエレン。このパーティー『絆の盾』の、文字通りの心臓だ。
「エレンさんのスープは、どんなに疲れてても元気が出るよな」
「うん。これがあるから、俺たちは戻って来られる」
男たちの褒め言葉に、エレンは照れくさそうに頬を染めた。そんな何気ない、温かい時間。それを、少し離れた木陰から二人の人影が、まるで汚物でも見るような冷たい目で観察していた。
「……ねぇ、コウタ」
カナが、柔らかな栗色の髪に結った大きなピンクリボンを弄りながら、甘ったるい声で囁いた。
「あんな『普通』の優しさなんて、すぐ飽きちゃうと思わないぃ? だって、誰にでもできるじゃん。お料理して、笑って、『ありがとう』って言うだけよ?」
隣に立つコウタは、無機質な眼鏡の奥で目を細めた。彼の手には、分厚い羊皮紙のメモ。そこには、今朝のパーティーの動きが、秒単位で記録されていた。
「肯定する」
コウタの声は平坦で、温度を感じさせない。
「あれは知性を放棄した家畜の安らぎだ。効率性ゼロ。感情的な相互依存が、戦闘パフォーマンスを平均12.3%低下させている事実に、彼らは気づこうともしない」
「ふーん……」
カナの唇が、ゆっくりと弧を描いた。それは、純粋な笑顔ではなかった。何かを壊したくなる時の、幼子のような残酷な笑みに近い。
「じゃあ……カナたちが、ちょっとだけ『手伝って』あげよっか?」
「ああ。観察記録のためにも、介入は必要だ。彼らの非効率なシステムを、一時的にでも『最適化』してやろう」
そう言ってコウタは、メモを閉じた。その表紙には、すでに新しいパーティー名が記されていた。
『観察対象 No.1:絆の盾(仮)』
災害の、静かな始まりだった。
〈Day1:小さな“違和感”の植え付け〉
パーティーへの同行が決まった初日。冒険の準備で小競り合いが始まる。
「お荷物はバルカスが持つって約束でしょ? なんでカナの可愛いリュックまで持たないのぉ?」
カナは、ピンクのフリルでデコられた小さなリュックサックを、重戦士の巨人のような男──バルカスに押し付けようとしている。
「い、いや……エレンの医療道具の方が優先だから……」
バルカスは戸惑いながらも、カナの「ぷくっ」と膨れた頬と、潤んだ大きな瞳を見て、言葉を詰まらせた。
「カナちゃん、それくらい自分で持てるでしょ?」
エレンが優しく、しかししっかりとした口調で割って入った。
「バルカスさんは、みんなの盾を背負ってるんだから。無理をさせちゃダメよ」
瞬間、カナの目が一瞬で潤んだ。
「……え? お姉さん、カナがわがまま言ってるってことぉ? カナ、ただ……バルカスさんが強くてカッコいいから、お願いしちゃっただけなのに……」
「あ、いや、そうじゃなくて……!」
エレンが慌てるよりも早く、バルカスが動いた。
「わ、わかったよ! ちょっとだけなら! えっと、これとこれだけだろ?」
彼は、カナのリュックと、もう一個の小さなポーチを受け取った。エレンは言いかけの言葉を飲み込み、少し寂しそうな目をした。
その隙に、コウタが斥候のレオンの傍らに立っていた。
「レオン。君の現在の装備重量は、最適値より1.7kg超過している。それにより、索敵行動時の初動速度が0.08秒遅延。即座に不要品を廃棄しろ」
「は? なに言ってんのお前……この短剣は相棒みたいなもんだぞ?」
「感情的理由による装備選択は愚の骨頂だ」
コウタはメモをぱらりとめくる。
「その『相棒』のせいで、先週の戦闘で君は一度、左脇腹を切りつけられている。効率が悪すぎる」
レオンの顔が一瞬で強張った。彼の短剣には、師匠から受け継いだという深い思い出があった。
「……とりあえず、行くぞ」
リーダーのアルトが、重苦しい空気を切り裂くように言った。
「今日の目的地までは、通常で3時間だ。余計なことはやめよう」
一同が歩き出す。エレンは、何だかいつもよりバルカスとの距離が遠いように感じた。レオンは、無意識に腰の短剣に手をやっていた。
カナとコウタは、列の最後尾で、静かに笑っていた。
一つ、リボンの端を結び始めるために。
〈Day2:“侵食”の開始〉
キャンプサイト。夜の帳が下り、疲れた一行がくつろぐ時間。
カナが、バルカスの傍らにふわりと寄り添った。
「バルカスさん、今日も一日お疲れ様ぁ」
「あ、ああ……カナちゃんも、疲れたろ?」
「うん! でも……見てよ、これ」
カナが、小さなピンクのリボンを取り出した。それは、光沢のあるサテン地で、中央には小さな人造真珠が縫い付けられている。
「カナ、今日バルカスさんの盾を見てて思ったの。こんなに傷だらけで、可哀想すぎるって」
「え? いや、盾は傷つくものだし……」
「ダメぇ!」
カナは、突然強い口調で言うと、またすぐに甘い声に戻した。
「だって、バルカスさんを守ってくれてるんだもん。ほら、このリボン、すごく強い魔法がかかってるの。これを結べば、盾も少しは休ませてあげられるよ?」
「魔法……?」
「そう! ほら、今すぐ結んであげるねっ」
カナは待ち構えていたように、魔法接着剤の小瓶を取り出した。バルカスが「待て」と言う間もなく、彼女の細い指が素早く動き、盾の把手の根本に、大きなピンクリボンをがっちりと固定した。
「……あれ? 取れない……?」
バルカスが引っ張ってみるが、リボンは微動だにしない。魔法接着剤は、鉄をも癒着させる特製だ。
「もちろん取れないよぉ? だって、一生バルカスさんの盾の一部なんだから」
カナは満足そうに頷いた。
「よし! これで、この盾もカナの家族入りだね! ね、可愛くなったでしょ?」
バルカスは、自分の誇りであり、相棒である盾に結びつけられた、異様に目立つピンクリボンを見つめた。複雑な表情が一瞬よぎったが、カナの「ねぇ?可愛いよね?」という期待に満ちた瞳を見て、うつむいた。
「……ああ。……可愛い、かもな」
その言葉を聞いたエレンの顔が、少し青ざめた。
そして、食事の時間。コウタの「最適化」が本格化する。
「エレン、それで満足か?」
コウタが、エレンが配るスープの椀を指差して言った。
「このスープ、タンパク質含有量が不足している。さらに、香草の過剰投入が、胃腸の消化負担を14%増加させている。明日からは、私が指定する材料と分量で調理しろ」
「……え?」
「拒否権はない。パーティーの健康状態は、戦闘効率に直結する。君の『思いやり』など、数値に勝る要素は一つもない」
エレンは、握った杓子の手に力が入った。そのスープには、バルカスが好む根菜、アルトが疲れた時に欲しがる酸味、レオンの故郷の香草──一人ひとりのことを考えて入れたものが、全て詰まっていた。
「ちょっと、コウタ」
アルトが眉をひそめて言った。
「エレンの料理に文句つけるなんて、失礼じゃないか」
「失礼だと? それは感情的な反論だ」
コウタは眼鏡を押し上げる。
「数字を見ろ。彼女の現在のレシピでは、全員の基礎筋力回復に0.3時間の無駄が生じている。『美味しい』という感情的な満足が、効率を阻害している。君たちは、戦うために生きているのか、食べるために生きているのか?」
食卓が水を打ったように静かになった。エレンは俯き、スープの香りが、急に味気ないものに感じられた。
カナはその様子を、嬉しそうに眺めていた。そして、そっとコウタに囁く。
「……ねぇ、次はアルトさんの杖、お願いしていいぃ?」
「了解した。あの木材は、リボンを結ぶには十分な強度と表面積がある」
侵食は、確実に、静かに、パーティーの核へと向かっていた。
〈Day3:日常の乗っ取り〉
朝、目覚めたアルトは、自分の手にした杖に目を疑った。
「……な、なんだこれはっ!?」
彼の愛用の、年季の入ったオークの杖が、ピンクのリボンでびっしりと巻かれ、先端には大きなフリルの飾りが結びつけられていた。まるで、お祭りの縁日で売られるおもちゃのようだ。
「おはよう、アルトさん!」
カナが、朝日にきらめく笑顔で近づいてきた。
「カナ、朝早くから頑張ったんだよ! あの地味な杖、とっても可愛く生まれ変わったでしょ?」
「こ、これは……君がやったのか!?」
「当たり前じゃん! だって、魔法使いなのに杖が可愛くないなんて、ありえないよぉ? ね、みんなもそう思うでしょ?」
カナは、呆然とするバルカスとレオンに笑いかける。二人は、自分の装備に結びつけられたリボンを見て、複雑な表情を浮かべていた。バルカスの盾には新たに二本、レオンの革鎧の肩には一つ、小さなリボンが追加されていた。
「……可愛い、とは思うけどさ」
レオンが曖昧に答える。
「でもな、アルトの杖は彼の……」
「レオン」
コウタの冷たい声が割って入った。
「お前のその発言は無意味だ。装飾の有無が魔法詠唱効率に影響を与えるデータは存在しない。むしろ、アルトは以前より0.2秒早く杖を握っている。心理的負荷が軽減された可能性がある」
「心理的負荷って……! これは屈辱だっ!」
アルトが声を荒げる。
「おい、コウタ! お前も何とか言え!」
「言うことは一つだ」
コウタはメモをぱらぱらとめくる。
「今日の予定を伝える。午前7時から8時:移動。8時から8時15分:休憩(水分補給のみ、雑談禁止)。8時15分から10時:モンスター討伐(陣形は私が指定する)。10時から──」
「ちょっと待て!」
リーダーであるアルトが立ち上がる。
「スケジュールは俺が決める! お前は同行者だろう!?」
「間違いだ」
コウタの目が、冷たいガラス玉のようにアルトを見つめる。
「君が過去一週間で下した判断のうち、効率的だったものは32%。私が管理すれば、それは少なくとも78%まで上昇する。リーダーとしての君は、『非効率』そのものだ。従え」
「…………」
アルトは言葉を失った。彼の胸中には、怒りと同時に、コウタの指摘があまりに的を射ていて、反論の余地すら見出せないという絶望が押し寄せた。
「……わかった」
アルトはうつむき、力を抜いた。
「今日だけだ。お前のやり方でやってみろ」
その瞬間、エレンが感じた。今まで結束していたパーティーの「核」が、かすかだが確実に、ひび割れていく音を。
〈Day4:孤立という名の刑〉
パーティー内の会話が、変わった。
「バルカスさん、そのリボン、ちょっと曲がってるよ? 直してあげるね」
「あ、ありがとう、カナちゃん……」
「レオンさん、今日の動き、コウタさんに褒められたんだって? すごいじゃん!」
「……まあな。お前のおかげで、確かに動きは軽くなったかも」
会話の中心は、いつしかエレンからカナへと移り、話題は「コウタの評価」と「カナのリボン」で占められるようになった。エレンが口を開こうものなら、コウタが即座にデータを突きつけ、その発言を「無駄」と断じる。
昼休憩。エレンが差し出した水筒を、バルカスが曖昧に避けた。
「あ……ありがとう、エレン。でも、コウタが指定した量はもう摂取したから……」
エレンの手が、わずかに震えた。
そして夜、決定的な瞬間が訪れた。
コウタが、全員を集めて淡々と告げた。
「本日より、パーティー内での私的な雑談、特に『思い出話』『感謝の言葉』『励まし』を禁ずる。これらはすべて、集中力と戦闘準備時間を奪うノイズだ」
「……ちょっと待ってよ」
エレンが、震える声で立ち上がった。彼女の目には、初めて怒りの色が宿っていた。
「それじゃ、みんなロボットじゃない! 絆を育てるために、そういう会話は必要だって、私は──」
「『絆』?」
コウタが、エレンを初めて真正面から見た。その視線は、実験対象を観察する学者のようだった。
「その『絆』が、先週の戦闘で君を一度死なせかけたことを、君は忘れたのか? レオンが危機に陥った時、君は理性を失い、無防備に飛び出した。その結果、君は重傷を負い、パーティー全体の戦闘継続時間が43%短縮された」
「それは……!」
「データは嘘をつかない。エレン、君の『絆』は、単なる自己満足の危険思想だ。他人を傷つけ、自分を傷つける。そんなものを、なぜ美徳だと思う?」
「…………」
エレンの唇が震えた。反論の言葉は、コウタの完璧なまでの「正論」の前に、粉々に砕け散った。彼女は、バルカス、アルト、レオン──三人の顔を見た。誰一人として、彼女を助けようとしなかった。いや、できなかった。
彼らはすでに、コウタの「正しさ」とカナの「可愛さ」に、思考を支配されていた。
カナが、エレンの耳元にそっと唇を寄せた。甘い香りと共に、冷たい呪いの言葉が流れ込む。
「……ねぇ、おばさん。あんたの席、もうないよぉ? だってあいつら、エレンのスープより、カナの『あーん』の方がいいんだって。あはは、滑稽ぇ」
エレンの目から、大きな涙が一粒、こぼれ落ちた。彼女は何も言わず、自分のテントへと消えていった。その背中は、まるで骸骨のようにやせ細って見えた。
〈Day5:崩壊、そして──〉
ダンジョン『緑哭の迷宮』深部。パーティーは、巨大な蔓植物モンスター「アシッド・ラペンダー」と対峙していた。
「バルカス! 盾で挑発だ! レオンが左から回り込む!」
アルトが指示を出すが、その声には力がなかった。
「了解!」
バルカスが前に出る。しかし、彼の盾に結びつけられた巨大なリボンが、茂みに引っかかる。
「っ!?」
「バルカス! 動きが止まった!」
「計算通りだ」
コウタが平然と言う。
「レオン、今だ。モンスターの根元を狙え。角度は45度、力は7割で」
「お、おう……!」
レオンが飛び出す。しかし、彼の体はコウタの指示通りの「効率的な動き」に慣れておらず、ぎこちない。攻撃はわずかに外れ、逆にモンスターの反撃を誘発した。
「ぐああっ!?」
レオンの体が吹き飛ばされる。
「レオン! エレン、回復を──!」
アルトが叫ぶが、エレンは呆然と立ち尽くしていた。コウタから「戦闘中の回復魔法は非効率」と繰り返し刷り込まれ、彼女の手が震えて動かない。
「……だめ……どうすれば……」
その隙に、モンスターの触手が、無防備なエレンへと襲いかかる。
「エレン! 逃げろっ!!」
バルカスの悲鳴。
しかし、遅かった。
──その時、一人の男が、無謀にも盾ごとモンスターに突撃した。
「バルカス!? お前、何を──!」
「うおおおおおおおおおっ!!!」
ゴドォォォン!!!
バルカスの渾身の体当たりが、モンスターの体勢をわずかに崩した。触手はエレンをかすめ、地面を抉る。
「はあ……はあ……!」
バルカスは盾を突き、必死に息を整える。彼の盾には、リボンがズタズタに引き裂かれ、汚れていた。
沈黙が流れた。
その沈黙の中で、アルトが初めて気づいた。自分たちが、何を失いかけていたのかを。
彼は、ズタズタのリボンを見つめるバルカスの背中、負傷しながらもエレンを守ろうとしたレオンの顔、そして、何もできずに震えるエレンを見た。
「…………」
アルトの目に、静かな炎が灯った。彼はゆっくりと杖を構える。そのピンクのリボンが、愚かしくも滑稽にも見えた。
「……俺は、リーダーをやってて、ずっと思ってた」
彼の声は低く、震えていた。
「効率も、強さも、確かに大事だ。でも……それ以上に大事なものが、このパーティーにはあったはずだ」
コウタが眉をひそめる。
「今さら感情的な──」
「黙れっ!」
アルトの咆哮が、洞窟を震わせた。
「お前のデータも、カナの可愛さも、全部ひっくるめて言ってやる! 俺たちが守りたかったのは──」
彼の杖が、自らの装備に結びつけられたリボンを、力いっぱい引きちぎる。
ビリッ!
「──このリボンじゃない! エレンの笑顔だっ!!」
その叫びを合図に、バルカスも、レオンも動いた。彼らは、自分たちの装備からリボンを引き剥がし、地面に叩きつけた。
「こんなもの……! 俺の盾には、必要なかったんだ!」
「思い出の品を……装飾品にされるなんて、まっぴらごめんだぜ!」
カナの顔から、血の気が引いた。
「な……なんで? 可愛くしてあげたのに……!」
「可愛いもクソもない!」
レオンが、初めてカナを真正面から睨みつけた。
「お前……人の思い出を、なめてんじゃねえよ」
そして、最後にエレンが立ち上がった。涙で顔はぐしゃぐしゃだが、その目はまっすぐだった。
「……帰って」
彼女の声は、静かで、しかし揺るぎない意志に満ちていた。
「あなたたち二人。もう、ここにはいらない。私たちの……私たちの『普通』の日常を、これ以上壊さないで」
コウタは一瞬、計算外の事態に目を見開いたが、すぐに平静を装う。
「……理解した。我々の介入は、予想以上に非効率な反発を生んだようだ。撤退を提案する。カナ」
「……うん」
カナは、引きちぎられて汚れたリボンの残骸を見つめ、唇を噛んだ。
二人は、罵声と怒りの視線を浴びながら、ダンジョンの出口へと後ずさる。背中には、泥やモンスターの体液が飛び散っていた。
〈エピローグ:鏡合わせの拒絶〉
ダンジョンの外、夕暮れの森の中。
二人は、ぼろぼろの姿で立ち尽くしていた。
足元には、引きちぎられ、泥にまみれたピンクのリボンの残骸が、無惨に散らばっている。
カナは、自分の髪に残った最後の一本のリボンを指先でなぞりながら、ぽつりと呟いた。
「ねぇ、コウタぁ。……カナたち、なんで追い出されちゃったのかなぁ……」
その声には、いつもの芝居がかった甘さはなく、純粋な困惑が混じっていた。
カナは、遠ざかる『絆の盾』のメンバーたちがいた方向を、悲しげに振り返る。
「カナ、みんなをもっと仲良く、もっと可愛くしてあげたかっただけなのにぃ……。バルカスさんの盾もお花みたいにして、アルトさんの杖も可愛くして……。みんな、あんなに喜んでくれてたと思ったのになぁ」
コウタは、汚れた眼鏡を服の裾で丁寧に拭い、再び鼻梁に押し戻した。
その瞳には、反省も後悔もなく、ただ冷徹な「観測結果」だけが浮かんでいる。
「……ふむ。個体差による価値観の相違だな。私の管理も、彼らの生存率を飛躍的に高める最適解だったはずだ。だが、彼らはそれよりも『以前の非効率な日常』を選択した」
コウタは一度言葉を切り、エレンたちが去っていった暗い森の奥を見つめた。
「……おそらく、彼らにとっては、エレンの方が『可愛かった』んだろう。君の提示した理想よりも、彼女の稚拙な献身の方が、彼らの情緒には適合したというわけだ」
「……そっかぁ。エレンお姉さんの方が、可愛かったんだぁ……」
カナは、コウタの言葉をそのまま受け入れ、納得したように頷いた。
嫉妬でも怒りでもない。
ただ、**「自分たちの善意が、相手の好みに合わなかった」**という、ファッションの不一致を嘆くような軽さで。
「……カナ、次はもっと頑張るねぇ。もっと、もっと誰からも『可愛い』って言ってもらえるように。ねぇ、次はどこに行くのぉ?」
「……東の街に、商人ギルドがある。そこなら、君の『装飾』の価値を理解する個体がいるかもしれない。……行くぞ、カナ。次はもっと、データの精度を上げる必要がある」
二人は、泥だらけの道を、一度も振り返らずに歩き出した。
自分たちがどれほど相手の心を殺し、誇りを踏みにじったか。
その事実に、一生気づくことはない。
彼らにとって、世界は自分たちの色で塗りつぶすべき「キャンバス」でしかなかった。




