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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

8月7日 当時の広島で

私の曾祖母は被爆者だった。

もう10年以上前、たった一度だけ、当時の広島での出来事を語ってくれたことがある。

1945年当時、曾祖母は広島県の庄原に住んでいた。看護学生だった曾祖母は原爆投下の翌日、救助のために鉄道に乗って広島市内へ向かった。


市内に入った彼女は瓦礫の街を見たそうだ。黒焦げの人間が街を歩く風景、橋の桁に引っかかって川を埋め尽くす死体たちを。

これまでに語り部の人に聞いたことのあった話と一致していて、当時本当にあったことなんだろうなと思う。被爆した人は皆、その光景を見たのだろう

曾祖母の口から聞かされたことで、どこか本や映画のように思っていた光景が、やはり現実にあった事なのだと、その時ひどく実感させられた事を記憶している。

市内に着いてから曾祖母は、どこかの小学校か中学校(詳しい場所は覚えていない。多分小学校だったと思う)に臨時に設置された医療施設に配属になった。私が聞いたのは主にそこでの話だ。

医療施設と言っても、当時の焦土と化した市内で出来ることは少なかった。包帯含めあらゆる物資は欠乏していて、溢れかえる患者を寝させられるベッドはおろか、建物の中にすら収めることが出来ていなかった。

8月だから真夏だ。せめて日陰に置いてやろうと、廊下に負傷者をずらりと並べて横たえる。それで亡くなった人から外で運び出して、まだ外に放置されている患者を中に運び寝かせる。そんな作業に曾祖母は従事していたそうだ。

何日目かは分からない。ある時、廊下で寝ていた児童に曾祖母は呼び止められた。酷い傷をおっていたようで(怪我なのか火傷なのかは分からない)、曾祖母に向かって

「お姉ちゃん、痛い、痛いよう、お薬をちょうだい」

とせがんだという。全てが枯渇していた当時、当然やれる薬など存在するはずがない。それでも曾祖母は、

「ちょっと待っててね、もうすぐお医者さんが診てくれるから、それまでの辛抱だから」

とその子に言って聞かせ、その場を離れたと言う。

それから少しあと、次に曾祖母がその場を通った時、児童は死んでいた。


もうすぐ死んでしまうのだから、せめて最後まで一緒にいて、手を握っていてやれば良かったと曾祖母は言った。痛い、薬をちょうだいと、死にかけのまだ小さな子供がねだっていたのだから、せめてそれぐらいはしてやればよかったと。


これを語る、つらそうな、こらえるような曾祖母の声を今でも覚えている。決して忘れてはいけない声だし、忘れられない声だ。


働いていた曾祖母には食事が支給された。表面が黒焦げになったツナの缶詰だったそうだ。開けてみると中身は普通の見た目で、少し臭いはしたそうだが曾祖母はそれを食べた。

焦げた缶詰の影響なのか、それとも市内に降り注いだフォールアウトの影響なのか、少しあとから曾祖母の腕には直径5センチもある巨大なイボが膨らみ始めた。中には汁が溜まり球のようになっていて、ひどく痛みを伴ったと言う。

最初の数日は我慢していたが、とうとうあまりの痛さに眠る事も出来なくなって、医者に行って注射器をもらってきたそうだ。曾祖母はそれを自分の腕に刺して、中の汁と吸い出して捨てて、ということを繰り返し、それで数日後イボは治まったと言う。

その話を聞いた時、曾祖母の腕を見せて貰ったが齢70を超えたその細く青い血管の浮き出た腕にびっくりした。イボの跡は特に見当たらなかったが、途端に目の前の曾祖母が直ぐに死んでしまいそうに思えて、不安になった。

イボの原因が何かは分からないが、ともかくも曾祖母はそれで被爆者手帳を貰うことになった。今考えると、曾祖母は原爆投下時に市内にいなかった自分が被爆者として扱われ、医療代を免除されていることに若干後ろめたさを感じている節があった。しかし、話を聞くにどう考えても被爆している。

それが理由かは分からないが、曾祖母は自分が被爆者であるとか、あるいは当時の出来事を語ることはほとんどなかった。語り部なんかは当然やっていなかったし、私の母も、この時に初めて当時の話を聞いたと言う。


そんな曾祖母も、数年前ガンで死んだ。コロナ禍だったから葬儀には出れなくて、祖母と母が代わりに出席した。今となってはもう 二度と聞けない話になってしまったのだ。


毎年この日が来ると思い出す。私が聞いたのは、戦争のたった一つの側面でしかない。こんな話はいくらでもあったはずて、それでも確かにあった悲劇なのだ。


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― 新着の感想 ―
当時起きた大事件の小さなモザイク かけら一つとて失われてはならない事実 貴重な思い出をありがとうございました 曾祖母様が安らかでありますように
投稿ありがとうございました。
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