第44話 【side笹良橋志帆】しーちゃん、啖呵を切る
「――隷属のロープ、ですか……?」
プライベートダンジョン調査の翌日。
わたしは、上司である稲葉課長補佐から問いかけを受けた。
「知っているかい?」
「ええ、まあ……」
たしか、投げ縄の輪っかを巻きつけると、その生物をあやつることができる魔道具だ。
モンスターのテイム道具だと思われていたが、ダンジョン内であれば人間にも効果があるとわかってからは、「管理区分:Ⅲ」の危険アイテムに指定されている。
「……これは他言しないでほしいんだが、民間所有のロープが盗まれたようなんだ」
「え……!? そんな話、ニュースには……!?」
「不確定事案だからな、発表はされていない。免許制度のなかったダンジョン黎明期に、アマチュア探索者が発見し、家の土蔵に突っ込んだらしい。今回、ほかの雑多なアイテムとともに盗難にあったようだ。それが本当に隷属のロープなのかは不明だが……」
「……なぜ、それをわたしに教えてくださったのですか?」
「君のお友だち、夏目くんの処遇だよ」
「夏目くんの……?」
「……そうだ。例えばだが……」
稲葉補佐は東京の地図を広げる。
「都内でも5号ダンジョン……いわゆるプライベートダンジョンがぽつぼつと発生している。記憶に新しいところでは、タワマン一室のドアがダンジョンゲート化した案件だ」
「ええ……、存じております。たしか湾岸部の……」
「ああ、そうだ。地図で言うと、ここだ」
稲葉補佐はふせんを貼る。
「そして……、ここからは仮の話になるが、気を悪くしないで聞いてくれ」
「はい」
「仮に、行政に報告がされていないプライベートダンジョンがあるとする。さらに、そこは反社会的勢力が管理しているものとする」
「一時期、そういうネット動画が流行っていましたね」
山や海に死体を捨てるより、プライベートダンジョン内で【炎魔法】などで処理したほうが足がつきにくいというやつだ。
実際のところは、監視カメラ社会の今では、どっちもどっちだと言われている。
「次の仮定だが、夏目くんの【空間転移】スキルがダンジョン外につながるゲートを作ることができるとしよう。これは、おそらく可能だ。そして、夏目くんのプライベートダンジョンから太田までは25km程度……」
「あ……」
稲葉補佐が何を言いたいのかわかった。
「こういうことですか? ……夏目くんを縄につないで洗脳し、ダンジョン間転移で都内のプライベートダンジョンに移動させる。夏目くんはそのまま監禁する。洗脳された夏目くんを起点に半径25km以内で犯罪行為を繰り返す……」
盗難はもとより、《ワームホール》から毒ガスを投げ込むなどをすれば殺人も可能だ。
大量のスズメバチを放つなどの方法なら、人為性すら疑われないのかもしれない。
「そうだ。ほかにも国会議事堂や東京駅の射程内であれば爆弾テロもできる」
「……それは」
最悪のケースだ。
「可能性はほぼ0かもしれない。しかし、0ではない。違法探索者の中にもレベル40を超えるものがいることを踏まえると、夏目くんにも自衛の力が必要なのではないかな?」
「つまり、おっしゃりたいことは……」
「ああ。夏目くんは高レベルの探索者パーティに所属させるべきではないか。栃木県協会の思川さんだったか……彼女のレベル、しかも一人では、夏目くんをダンジョン内での有事に守り切ることはできないだろう」
「それは……っ!」
たまちゃんの笑顔が頭をよぎる。
たしかに、たまちゃんは発展途上かもしれない。
だけど、だからと言って、好きな人から引きはがす権利が国にあるのだろうか。
そんなわけはない。
「思川さんとのパーティは解消してもらって、夏目くんはAランクパーティに転入させる。それが夏目くんのためになる。護衛という意味でも、成長促進と言う意味でも。夏目くんがレベル50にもなれば、ダンジョン内では最強クラスにもなるし、ダンジョン外でも残留魔素による身体強化が始まるだろう」
……勝手すぎる。
わたしは反論する。
「わたしはおかしいと思います。まずひとつ。隷属のロープが盗まれたことについて、夏目くんたちに責任はありません。ふたりが不利益を受ける理由がありません」
「ロープの件がなくても、夏目くんの能力を欲しがる連中は大勢いる。自衛問題はいずれ発生したことだ」
「もうひとつ……。補佐がおっしゃっていることは、ひとつ視点が抜けています。夏目くんの能力は、ダンジョン内限定の【空間転移】だと世間には思われています。ゆえに、情報管理が徹底されていけば、隷属のロープ所有者や悪だくみをする者が、先ほどの発想に至ることはありえません」
「……情報が漏れないと思うかい?」
「そうしなくてはなりません」
根拠のない理想論。
それに対し、補佐は言う。
「……私はね、いずれ気づかれると思うよ。太田の住民がゲートの開閉状況をずっと見ていたとしたら? 配信映像のなかで、転移ゲートを通してプライベートダンジョンが映っていたら?」
「……っ!」
両方ともありえるケースだ。
いや、むしろ夏の景色は《ワームホール》から見えていたのではなかったか。
「時間はないんだ。少なくともダンジョン内で夏目くんが捕まり、隷属化されることは避けなければならない。ダンジョン外であれば監視カメラで追えるかもしれないが、ダンジョン間で【空間転移】された場合は、追いきれるとは思えない」
「補佐は、どうするおつもりですか……?」
「平和的な案としては、君から夏目くんを説得してほしい。思川さんとのパーティなんてお遊びはやめて、第一線のAランクパーティに入ってくれと」
「……思川さんも私の親友です。業務でもそんなことは言えません」
わたしだって、だんだんイライラしてきた。
みんなみんな、大人は勝手なことばかり言う。
夏目くんやたまちゃんは、資源でも道具でもない。
好きなことをしたり、友だちと一緒に過ごすことを楽しむ人間だ。
どうして大人には、いろいろなしがらみがあるんだろうか。
……補佐は予想どおりといった顔をして、ため息をついた。
「もちろんセカンドプランもある。日本探索者協会を通して、栃木県支部に圧力をかける。思川さんが折れればそれでよし、折れなければ業務命令違反でライセンス取り上げも視野に入れる」
「協会が従いますか?」
「従うさ。【空間転移】を有効活用できれば、『スキルの書』や『エリクサー』などのレアアイテムを大量に調達できるかもしれない。探索者支援の実績づくりにはちょうどいいだろう」
「そう……ですか……」
わたしの様子を見て、補佐は言う。
「どちらにせよ、結果は同じだ。夏目くんは栄光の道を歩き、思川さんは身の丈にあった道を歩く。だが、私も無駄にモメたくはない。笹良橋探索官、ふたりを説得したまえ。平和的に、円満に」
――あ、ダメだ。
頭から、すっと感情が抜けていく。
わたしは怒ってもどならない。
でも、心が氷のように冷え込むのだ。
いまなら何でも言える。
気が弱いからって、いつもだまっているとは思わないでほしい!
わたしはポツリと言った。
「――補佐のロジックは、ひとつだけ可能性の見落としがあります」
「見落とし?」
「――はい」
わたしは、補佐をまっすぐに見据えて。
「夏目くん、たまちゃんのパーティがAランクになることです。夏目くんがいるのなら、それも可能です」
「何年後、って話じゃないの? それに2人パーティじゃ対応能力も欠けるでしょ」
「2人じゃありません。あと2人候補がいます」
「2人?」
「はい。ひとりは宮の原まなみ。夏目くん、思川さんの幼なじみで、現在【緑】免許です」
「【緑】? 素人じゃないか。で、もう1人は?」
「はい。許可さえいただければですが――わたし、笹良橋志帆が回復と防御を担当します」
「ふぅん……。パーティ登録は?」
「これからです。でも、名前はおおむね決まっています」
「名前は?」
わたしは勝手に断言する。
「――チーム《秘密基地》です」
「なるほど……」
稲葉補佐は困ったような顔をする。
「君は優秀だけど、子どもっぽいところがあるよね……」
「……友だちを大切にするのは、大人にとっても美徳ではないでしょうか?」
「はは……しょうがないね」
補佐は真顔になって言う。
「どうせ、夏目くんの受け入れ先候補となるAランクパーティをリストアップする時間がいる。協会に圧力をかけてもらうにしても、資料を準備する必要もあるしね」
「では……」
「――ひと月だけ待とう」
「ひ、ひと月だけですか……!?」
それじゃ、ほとんど時間がない。
「そうだ。待ってやるだけありがたいと思ってほしいな。そして、もうひとつ。君の参加は認める方向で調整する。しかし、君が主体的に戦うことは許さない」
「それは、どういう……?」
「簡単に言えば、君は夏目くんの護衛だ。彼を守ることを最優先としなければならない」
「……わかりました」
あくまでも、残り3人の力でなんとかしろということなんだろう。
「目標地点は……地元で設定してあげよう。宇都宮ダンジョン20階層。Aランク昇格試験はそこで行う」
「宇都宮ダンジョン……!」
宇都宮ダンジョンは、市街地から離れた大谷地区という場所にある。
有名な採石場があり、その奥がダンジョンゲートになっている。
岩のモンスターが多く、物理攻撃主体の夏目くんとは相性が悪い。
「……どの道が本当に夏目くんのためになるのか、見定めさせてもらうよ」
第2章はざまあ展開です!