第36話 4人の秘密基地①
「こ、子ども……?」
「はい……。わたしのこと、嫌いじゃないのなら……」
黒髪の美人は、人差し指を自分の唇に当て、俺を見上げる。
「え、え……?」
「どうですか……? わたし、光一さんと一緒にいたいんです……。どうしても、ダメですか……?」
頭がついていかない。
この人は誰だ? いったい何の話をしているんだ? 新手の詐欺師なのか?
混乱する俺を気にせず、女性はじっと俺を見つめる。
吸い込まれるような大きな瞳が、まっすぐに俺の目に向けられている。
耐えきれず目をそらすと、ゴムボールが2つ入っているような大きな胸が視界に飛び込んでくる。
正直、目のやり場に困る。
戸惑っていると、黒髪の美人は目を潤ませて、
「やっぱり……わたしなんてイヤなんですね……。性格も暗いし、誰かに大切にしてもらえるような価値はないんです……。光一さんも、そう思うんですね……」
ポロポロと涙をこぼした。
「あ、いや、その……」
「ごめんなさい、わたしなんかが光一さんの近くに来てしまって……。帰ります……。光一さんのおかげで、わたしなんかに魅力はないんだって再確認させてもらいました……。これからは誰にも迷惑をかけないように一人で生きていきますね……」
涙を流しながら、弱々しく微笑む。
「え、あの……」
「また明日から、がんばってひとりで生きていかなきゃ……。できるかな……、ううん、やるしかないよね……。だって、わたしに魅力がないのが悪いんだから……」
こらえきれず、俺はつい声をかけてしまう。
「その、魅力がないなんてことは……」
「ホントですかっ!?」
食い気味に近づいてきて、俺の右手を両手で包みこむ。
そのまま息がかかるような至近距離で、俺の目を覗きこむ。
「光一さんは、わたしのこと、少しくらいはかわいいって……思ってくれるんですか……?」
「あ、ああ……」
……まずい。
だんだんこの人に取り込まれてきている。
「じゃあ、人助けだと思って、わたしのこと、ぎゅーっと抱きしめてください……。言葉だけじゃどうしても信じられなくて……。それから……おうちのなかに入って……」
「い、家の中に?」
「この書類に署名を……」
「あー! こーちゃん、そのひと誰!?」
「おタマちゃん!?」
そのとき、探索者協会の車から、おタマちゃんが降りてきた。
「……チッ」
ん……? この美人、いま舌打ちしたような……。
「これから協会に行くっていうのに、玄関先で……、あれ?」
おタマちゃんは、黒髪の美人をじっと見ている。
美人は横を向き、おタマちゃんから顔をそらす。
おタマちゃんは横から顔を覗きこんだ。
「まさか……」
「まさか?」
おタマちゃんは、ぱぁっと顔が明るくなり。
「まなみん! まなみんでしょ!!」
黒髪の美人の手をにぎった。
「うわー、ひっさしぶりー!!」
「まなみん? まなみんなの!?」
俺はいまだに頭がついていかない。
かつて秘密基地で一緒に遊んだメンバーのひとり。
気弱で、あまり話は得意ではなくて、でも、たまにぼそっと的を射た毒舌を吐く。
アニメ・プリティアが大好きで、グッズをいつも持ち歩いている。
まなみんこと、宮の原まなみは、そういう女の子だった。
この積極的な様子は、あのころとは全然違くて……。
「え、あの、どちら様ですか……? なんかこわい……」
「あはは、ごまかせないでしょ。メイクバッチリだけど、わかるよー」
「……チ、しゃあねぇ」
すると、黒髪の美人は、髪の毛をぐちゃぐちゃにかきあげ。
「バレちまったら、しかたねーな……。久しぶりだな、こーちん、たまたま」
悪だくみをしているような笑顔をした。
「まなみーんっ!」
おタマちゃんは、まなみんに抱きつく。
「う、うおっ、やめろよ……。胸のパッドがズレるだろ……」
「久しぶり! 元気だった!? 美人になったね! こーちゃんに何の用なの!?」
「お、おい、離れてくれ。大事な紙が折れちまう」
「大事な紙? 何コレ?」
「勝手に見るなよ。たまたまにも後で書いてもらうけど、お前はまだ先にやることがあるだろ」
「先にやること?」
「そうだよ。まずはこーちんと結婚しろ」
「は、はぁ!?」
「次に子どもをつくれ」
「は、はぁぁ!?」
「やりかたは教えてやる」
「は、はぁぁぁぁぁ!?? まなみん、朝から何を……」
「養子縁組届? なんだ、この書類?」
俺はまなみんが隠していた書類を覗 きこんだ。
署名欄以外、ほとんど書き込まれている。
「チ……、見られちまったらしかたねぇ」
「まなみん、誰かを養子にとるのか?」
「んなわけないだろ、常識で考えろよ」
「え、え?」
頭がついていかなくなる。
常識? なんの?
「こーちんとたまたま、お前らが親になるんだろ?」
「あ、あたしたちが?」
「誰の……?」
「さっきから言ってるじゃねーか」
すると、まなみんはクネクネと品を作り、上目遣いで俺を見つめる。
「……わたしのこと、あなたの子どもにしてください。パ・パ」
「うおっ……」
警戒していても、一瞬で意識を持っていかれる。
なんだ、この破壊力は……。
「はぁぁぁ!? だ、だって、同級生だよ? 何言ってんの? てか、その話し方なんなの!?」
おタマちゃんの冷静なツッコミがなければ、危険だったかもしれない。
まなみんはイタズラがバレたときのように笑い。
「ブリッ子バカ女のマネだよ。善良な男ほど騙せる強スキルだ。出会い系のサクラで身についたんだ。ま、たまたまには、こういう方が効くのかもな」
まなみんは、急にキリッとした表情になり、
「――民法第793条には『尊属又は年長者は、これを養子とすることができない』とあります。これ、すなわち反転すれば、翌年2月生まれのわたくしを、5月生まれの思川様および8月生まれの夏目様は養う義務があることになります。ここまではよろしいですか?」
「は、はいっ! そうだったんだ……」
「立派な社会人である思川様ならお分かりでしょう。では、この書類にサインを……」
「はいっ!」
「……ちょっと待て」
「チッ……」
おタマちゃんからボールペンを取り上げる。
「は……! あたしは、何を……?」
「むずかしい言葉で混乱したみたいだな……。てか、まなみんはなんでそんなに多芸なんだ? 友だちの影響なのか?」
「……おいおい、言っちゃならねえことを言ったな」
まなみんは憎々しげに言う。
「あたしにお前ら以外の友だちなんかいるわけねーだろが。世のバカ女とクソ男に表面上合わせるための能力だ。擬態だよ、擬態」
「まなみん、こんなに面白いのに友だちいないの? あたしは大好きだよ」
「たまたま……。やっぱりアタシのママはたまたまだけだぜ」
「お、親にはならないよっ!」
「ま、おいおいお願いするわ。久しぶりに素が出せて楽しかったぜ。ああ、そうそう。この前の配信見てたぜ。無事帰れてよかったな。アタシもコメントしたかいがあったぜ」
「まなみんも見ててくれたんだな」
「ああ。こーちんは、早く年収数千万円のオファーを受けな。金がサイフからあふれたとき、そこにはアタシがいるからな」
「……嫌な妖怪みたいだな」
そのとき、おタマちゃんは、急に両手を打ち鳴らした。
「あー! そうそう! 言うの忘れてた! 今日の太田ダンジョンのヒアリング調査、国の探索官も同席したいってさ!」
「国?」
また話が大きくなってきた。
「国からも注目されてるのか……」
プレッシャーである。
「で、さ。その探索官って、誰だと思う?」
「誰って言われてもな……」
国に知り合いはいない。
「それはね……」
おタマちゃんは、人差し指を立てて得意げに言う。
そのとき、俺の家の前を、オレンジ色のSUVが徐行してきた。
車の上部には、探索者仕様のルーフキャリアがついている。
「……ん?」
運転席に乗っていたのは。
「あれ……みんな、どうして……?」
「しーちゃん!」
俺たちの幼なじみ、笹良橋志帆だった。