第32話 決戦開始
地下14階層は、がらんとしたフロアだった。
モンスターも分かれ道もなく、広い部屋の中にはところどころに石づくりの太い柱があるだけだ。
奥には下に降りる階段が見える。
階段の左右には、紫色に灯る篝火が置かれていた。
「……いかにも、という感じだな」
この下には、強力なモンスターがいることがうかがわれる。
いよいよ第2のボスフロア、というところなんだろう。
「……こーちゃん、ありがとね」
「どうした? 急に……」
おタマちゃんは、しおらしい様子で言う。
「……あたし、11階層で独りになったとき、このまま死ぬんだって思ってた。もう諦めてもいいかなって、刀を握る力もわかなかった……」
「……やっぱりそうだったか」
俺がプライベートダンジョンに入る直前、配信画面で最後に見たのは、今にも泣きそうな様子で座り込んだおタマちゃんだった。
もう何にも期待せず、自分のことすらどうでもよくなったという表情……。
おタマちゃんのあんな顔は、はじめて見た。
「こーちゃんが来てくれるなんて夢にも思ってなかったよ。だからね、こーちゃんが来てくれて、ビックリしたけど、本当にうれしかった……」
「そうか……」
『思川さん、よろしいですか?』
ドローンの映像越しに、山田さんから声をかけられた。
「あ、はい、山田さん。大丈夫ですよ」
『コメント見ていましたか?』
「コメント?」
俺も一緒に画面をのぞき込む。
《こーちゃん「俺……このボス倒せたら結婚するんだ」》
《ふたりは付き合ってないの?》
《おら、たまたま、こーちんにキッスぐらいしてやれよwww》
「は、はあ!? やっぱりろくでもないヤツらしかいないですよ!」
『思川さん! まったく……この様子じゃ、コメントは追えていませんでしたね』
「もしかして、救助が早まったとか……」
『いえ、そうではなくて、ボスモンスターの話です』
《月虹のハーミットさんのコメントか!》
《さすがAランク》
《山田さんも同じ判断なの?》
《オレはハーミット非実在派》
《オレはょぅι゙ょ派》
『リスナーの方にも探索者の方がいて、次のフロアボスはグリーンドラゴンだという意見があります』
「ドラゴン……!」
ダンジョン知識が浅い俺でも知っている。
最強とも言える種族のひとつで、どんな色の個体であろうが、探索者にとっては大きな脅威となる……。
『私もドラゴンがボスである可能性を否定できません。どうしますか、そのフロアであれば長時間の滞在には支障ないでしょう。救助を待ちますか?』
「そうですね……。こーちゃん、どうする? 待つ?」
「そうだな……。ステータス、オープン」
名前:夏目光一
レベル:31
経験値:132/2977
HP:277/295
MP:101/125
攻撃:133(うちボーナス+23)
防御:109( 〃 +13)
速さ:181( 〃 +17)
賢さ:84( 〃 +2)
スキル:【童心】、【アイテムドロップ強化】、【水耐性(小)】、【睡眠技無効】、【水上歩行】、【斬撃強化(小)】、【蝶の舞】、【警戒】、【毒吸収】
特技:魔生物図鑑、集団襲撃、魔生物捕獲ネット(Lv1)、虫相撲(クワガタ)、応援、ワームホール、糸(Lv1※レンタル中)
《見えない》
《ドローン、角度変えろ!》
《見えない》
《みえ》
《みえ》
「正直、俺はまだ余力がある。使ってないスキルもあるし、どこまで自分の力が及ぶか試してみたい気持ちもある。それに……」
ゴゴゴゴ……。
「きゃっ……!」
そのとき、ダンジョン内に地震のような振動が発生した。
すると。
「え……」
俺たちの少し先、柱と柱の間に新しい壁が発生していた。
《ダンジョンが変化した!?》
《成長ってやつ!?》
《貴重な映像だ》
《てか、危険だろ》
《壁にはさまる可能性ある?》
《壁のところにいたらどうなる?》
《ヤバイよ》
『夏目さん、そのフロアは……!』
「はい。成長しているみたいですね……」
これは想定外だった。
しかし。
「……ここにもモンスターが生まれないとは限りません。どのフロアも安全とは言い切れないと思います」
『……そうですね、わかりました。思川さん、ドラゴン種の弱点はご存知ですか?』
「はい、確か日本のダンジョンでは、喉元に逆鱗とかいうウロコがあって、そこが弱点だとか……」
『そのとおりです。いいですね。では、思川さん、実際にドラゴンが出てきたら、どのような戦術で戦いますか?』
「そうですね……」
おタマちゃんは少し考えて。
「あたしが前衛で逆鱗を狙いにいきつつ隙をつくる。こーちゃんはその隙をついて、虫で攻撃する……、こんなところでしょうか」
『いいですね』
山田さんはにこやかに言った。
『後は勝つだけですね。私はふたりならできると考えています。頑張ってください』
「はい!」
『あ、思川さん。ドラゴンに限らず、前衛は回復の余裕がないかと思いますので、回復は今のうちにしてください』
「わかりました!」
おタマちゃんは、回復薬と魔力薬を飲み、万全の状態となった。
「こーちゃんがこれ持ってて。危なくなったら使ってね」
おタマちゃんから、回復薬などが入った袋を渡される。
「わかった。……あ、これって……」
袋の中には、薬瓶のほかに指輪が入っていた。
『10階層フロアボスがドロップした、毒攻撃付与の指輪ですね……。すみません、何かに使えるかと思ってお渡ししましたが、なかなか使い道がありませんでしたね』
「あたしは速さの指輪をつけるから大丈夫として……。こーちゃんはどうする?」
「ボスに毒攻撃は効くのか……?」
『たいていのボスは毒を無効化します。たまに効くボスもいますが……。もっとも無効化されるのは毒の追加効果だけで、物理ダメージ自体は普通に通ります』
「なるほど……」
要するに、ボス相手には意味がないことが多い、と。
『ちなみに、グリーンドラゴンは無効化しますね』
「まあ、一応つけておくか。マイナスではないだろうからな」
俺は左手の中指に指輪をはめた。
「……よし」
何も変化は感じられない。
まあ、いい。
「さあ、いくか。家に帰るところまでが探索だからな」
「うんっ!」
俺とおタマちゃんは、地下15階層への階段を降りていく。
……おタマちゃん。
おタマちゃんは、さっき俺に「ありがとう」と言ったよな。
だが、お礼を言いたいのはこちらも同じだ。
たしかに、俺がおタマちゃんを助ける力を手に入れられたのは、あのプライベートダンジョンのおかげである。
しかし……。
――あのプライベートダンジョンが発生したのは、誰のおかげなのだろうか。
「運がよかっただけ」、そういう考え方もあるだろう。
――でも。
普通の土地であったら、あんなふうに虫とりや水遊びができるダンジョンが生まれただろうか。
太田と同じように石づくりで、中にはゴブリンなどの下級モンスターがいて……、虫がいたとしても、ムカデやクモなどだけだったはずだ。
もちろん、ステータスもスキルも最低だと思われていた俺は、中にすら入れなかっただろう。
……プライベートダンジョンの中で、いもむしにご飯を食べさせているときに、改めて思った。
おタマちゃんを助けられる力を手に入れられたのは――。
俺、おタマちゃん、まなみん、しーちゃん……4人で過ごした秘密基地の思い出があったからだ。
大切な思い出が、山に残り、プライベートダンジョンを生み出した。
俺たちみんなの思いが結晶化したのだ。
俺たちは、離れていても、思い出でつながっている。
おタマちゃんを始め、みんながいたから、俺はこの場所に立っている。
――こんなこと、恥ずかしくて言えないけれど。
「こーちゃん、いくよ」
「ああ」
地下15階層に降りる。
すると、そこには。
「ギャアオオオオオオオオオッッ!!」
2階建て一軒家程度の大きさを持つ、深緑色のドラゴンがいた。
「……よし。やるか……」
そのとき、配信を通して山田さんの声が響いた。
『夏目さん、思川さん!! それはグリーンドラゴン亜種です!! その個体には、弱点の逆鱗が存在しません!!』