54
開いた扉の先は独房のような所だった。
かろうじて奥にトイレとシャワー用のスペースはあったが、あとはベッドが置いてあるだけで何もない。
そのベッドの上に、探していた姿はあった。
「ウタハくん……?」
書類通りなら10歳になるはずのその少年は、歳よりもはるかに幼い体つきをしていた。
「おにいさん、だれ?」
まるで5歳から成長していないような話しかたに、コハクは全てを悟った。
『教育も、栄養も、安心も。成長するのに必要なものがここには何もない。こんな中で何年も………』
激しい怒りが込み上げてくる。それをグッと押し込めて精一杯優しい声で語りかけた。
「ウタハくんだね。俺を君を」
「こないで!」
ウタハに向けて1歩近づこうとした瞬間、全力の拒絶が飛んできた。震える小さな体を必死に抱きしめてウタハはコハクを遠ざける。
「きたら、おにいさんもしんじゃう。あのおじさんたちみたいに………ぼくがなくと、みんなしんじゃうの」
恐ろしさから溢れそうな涙を、ギリギリのところで堪えている。コハクは自分の身が切り刻まれるような苦しさを感じた。
「君は優しいね」
「え?」
「ずっと苦しい思いをしてきたのに。たくさん怖い思いをしてきたのに。でも君はまず俺のことを心配した」
「………」
コハクの言葉にウタハの恐怖が少し和らぐ。
「俺は君が泣いても死なないよ」
「でも……」
「君を助けたくて来たんだ」
ウタハに1歩近づく。怯えながらも今度は拒絶の言葉は無かった。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
手が届く所まできた。その時、ウタハの服の隙間から殴られたと思われるアザが見えた。
「………生きててくれて、ありがとう」
コハクが泣きながらウタハを抱きしめる。ずっと与えられていなかった安らぎに、ウタハの体から力が抜けていく。
「あったかい……おとうさんとおかあさんみたい……」
安心しきったウタハの瞳から涙が次々と流れ出てくる。
「おとうさん、おかあさん、なんでしんじゃったの……なんでほくはなぐられるの……ないたらみんなしんじゃうから……がまんしたいのに………でも、いたいの………」
わぁっと今までの苦しさを全て吐き出すかのように声を出して泣くウタハ。その体から糸が出て、黒い霧のようなものを撒き散らしていく。
「痛かったよね。怖かったよね。ごめんね。今まで助けられなくて」
2人の体を光の粒が包み、霧はコハクの体まで届かない。その光はウタハの心も優しく満たしていった。
「………ぼく、もういいの?がまんしなくて、いい?」
「うん。もう我慢しなくていいよ。泣きたいだけ泣いて、苦しかったって教えて。君を守るためにたくさんの人が待っているから」
ウタハの涙は止まらない。その全てを受け止めたくて、コハクは小さな体を強く抱きしめた。
その頃。地上ではエダが署に連行されるために車に乗せられていた。
その姿を見ながらカグラがポツリと呟く。
「やっぱり僕には人の感情は理解できないんだね」
逃れられない孤独の中にいるようなその呟きに、隣にいたセキトが反応した。
「記憶を消せばエダが楽になると思ったのかい?」
「うん。とんだ見当違いだったけど」
「……なら君は、エダの境遇に同情し、救う方法を探したことになる。それはとても人らしい感情だと思うけどね」
カグラが驚いた顔でセキトを見る。見られた方はとても優しい眼差しでカグラを見ていた。
「人を傷つけることに何も感じなかった君が、そこまで他人のことを考えた。私はそれをとても嬉しいことだと感じているよ」
「………セキトは時々僕の親みたいなことを言うね」
その言葉にセキトは目を丸くする。そして思わず吹き出してしまった。
「ははっ。親だという感覚はなかったけど……そうだね。子供はみんなで育てるもんだもんね」
「?僕は子供じゃないよ」
不思議そうに首を傾げるカグラに更に笑いが止まらないセキトだが、一つだけ、どうしても伝えたいことがあって口を開いた。
「それにね。もしかしたら君が救える人が、君しか救えない人がすぐそばにいるかもよ」
「……誰?それ?」
「さあ。それはまだ内緒」
唇に指を当てるセキトは、楽しくてたまらないという顔をしていた。
泣くだけ泣いて少し落ち着きを取り戻したウタハを連れて、コハクが地下から出てきた。防護服に身を包んだ人達に囲まれて、隔離施設へと向かう車へと乗り込んでゆく。
その途中、心配して様子を見にきたキトラと目があった。
その金色は、コハクの無事を喜び、見事に少年を救ったことへの賞賛に溢れていた。
『この瞳があれば、俺は大丈夫。たとえキトラと離れることになっても』
そうしてある決意をかため、コハクはウタハと繋いだ手を強く握りしめた。
隔離施設へと移動し、ウタハと共に完全に外部と隔絶された部屋へとコハクは連れて行かれた。知らない場所にウタハは怯えてコハクにしがみついている。その背中をコハクは優しく撫でた。
そうしていると、すぐにガラスを隔てた向こう側にコセがやってきた。後ろにゼンもいる。
「コハク君。ご苦労だった。見事に少年を保護してくれて感謝する」
スピーカー越しに労われ、コハクもガラスに向かって答えた。
「ありがとうございます。でもウタハくんが助かったのは、彼が絶望に負けず闘い続けたからです」
「そうだな。はじめまして。ウタハ君。私は今回の作戦の指揮をとったコセだ。まずは君を長年救い出せなかったことを詫びさせてくれ。すまなかった」
大の大人に謝られたことでウタハは戸惑っている。コハクは変わらず背中を撫で続けた。
「そして、もう一つ謝らなければならない。君の毒がコントロールできない状況にある限り、我々は君をその部屋から出すことができない。やっと暗い地下の部屋から抜け出せたのに、何も自由を与えられないことを許してくれ」
辛そうに、自分の身を切るように言葉を放つコセの気持ちは、ウタハにしっかりと届いた。
「だいじょうぶ。ここはこわくない。みんな、やさしいひとだって、わかるから」
コハクの服を握る手に力が入る。その手を優しく包んで、コハクが再びガラスに向き直った。
「その件に関してお願いがあります。俺がウタハくんと一緒にこの部屋で過ごすことを許してください」
思わぬ提案にコセが驚く。その横でゼンが険しい顔でコハクに問いただしてきた。
「それは、たまにこの部屋に来て話し相手になると言うことかい?」
「いえ。違います。ずっとここで一緒に過ごすという意味です」
「……なぜ?」
ウタハの手を包む指に力が入る。それは決して離さないという意思の表れのようだった。
「ウタハくんはずっと悪夢のような中にいた。それは彼の幼い心をどれほど傷つけたのか……誰かがずっと一緒にいて、安心を与えてあげたいんです。それは俺しかできない」
その覚悟にゼンが了解の意を伝えようとした時、部屋のドアが開いて派手な声が飛び込んできた。
「コハク君だけじゃないぞ!」
セキトが話を遮るように部屋へ乱入してくる。驚きにかたまる一同の視線がそちらに向いている間に、隔離部屋の扉が開いた。
「僕だって解毒できるからね」
カグラがのんびりした口調で部屋に入ってくる。呆気にとられたコハク達の前まで来て、ウタハと視線をあわせるように屈んだ。
「はじめまして。僕はカグラ。コハク君の……友達なのかな?」
疑問符をつけながら友達枠におさまるカグラに、コハクは何からつっこんでいいのかわからない。
「僕もコハク君と同じで君の毒が効かないんだ。だから君と一緒にいれる。ねえ、僕の部屋においでよ。多分そこなら寂しくないよ」
とんでもない誘いをしてくるカグラにコハクが待ったをかける。
「何言ってるんですか!そんなの無理」
「無理じゃないよ。僕はエダの記憶を解析して自分以外の解毒方法も学んだ。だから僕の部屋に誰か来てる時にウタハ君が毒を出しちゃっても、僕がいれば問題ない。僕はずっとあの部屋にいるし、これほど良い案は無いと思うけど。ついでに言うとウタハ君の糸の研究もできる」
最後の一言が目的なのでは疑ってしまうが、確かにカグラの提案はウタハにとって一番良いもののように思えた。
「でも、なんでカグラがそんなこと……」
「よくわかんないけど、子供はみんなで育てるもんなんでしょ?」
全員が唖然とする中、その一言にセキトだけが大きく笑い声をあげた。




