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次の日。コハクは全くと言っていいほど仕事に身が入ってなかった。
『昨日のは……何?俺からかわれたの?弄ばれたの?だってあんな顔で迫られたら抵抗なんてできな……』
そこまで考えて昨日のキトラの顔を思い出し、頭から追い払おうとブンブンと手を振る。そんな様子にアギが心配しながら話しかけてきた。
「コハクちゃん、どうしたの?体調でも悪い?最近忙しかったものね」
少し困った顔をしているアギ。心配をかけて申し訳ないと思いつつも、コハクはなんと答えたものかと苦悶する。
「あ、いや、え〜っと………キスされかけたんですけど、弄ばれたのかわからなくて………」
混乱した果てによりにもよってな言い方になってしまった。
「ええっ⁉︎ちょっとどういうこと⁉︎詳しく話しなさい!」
アギはなぜか少し楽しそうにコハクの肩を揺さぶる。
「いや、どういうことなのか知りたいのは俺で………キスされると思ったら、慌てる俺を見て大笑いして離れていきました」
「んまぁ、なんなの!そいつ誰よ!」
「ん!……そ、それは……」
『言えない。キトラだとは口が裂けても言えない』
言い淀むコハクにアギは何か察したのか、そのまま追求するのをやめた。
「コハクちゃんはいい子な分、隙が多いんだから。変なやつに近づかれないように気をつけなきゃダメよ」
「………はい」
前にも同じようなことを言われたなと、コハクは昨日会った男の事を思い出していた。
『そういえば名前も聞いてないな。次会ったら聞こう』
「でも笑い話じゃなく、本当に気をつけたほうがいいかもね。2班で捜査情報漏洩疑惑が出たらしいから」
2人の話を静かに聞いていたリトが物騒な話題を放り込んでくる。
「ええ!本当ですか⁉︎」
「うん。ゼンが今調べてる」
「まあ。大変じゃない」
「………キトラ、大丈夫かな……」
ルームメイトの班が大変なことになっていると知り、コハクは不安になる。
「彼は優秀だからね。大丈夫だよ」
「そうよ。キトラちゃんなら大丈夫よ」
顔を曇らせるコハクを2人が慰める。その優しさが嬉しかった。
とは言え、やはりキトラのことが気になるコハクはつい2班の部屋の前まで来てしまった。
『でも用もないのに部屋に入るのもなぁ。でも気になるしなぁ』
うんうん唸っていると誰かが戻ってくる話し声が聞こえ、思わず物陰に隠れてしまった。
『何で隠れちゃったんだよ。別に悪いことはしてないのに』
わーと1人コントをしていると、3人の男達が話しながら帰ってきた。
「しかし、漏れたのは密造銃の情報なんだろ。あの新入りが怪しいんじゃねぇの?」
「あいつだけ単独行動多いしな。班長も何で許してんだが」
「何だよ。嫉妬か〜?」
ゲラゲラ笑いながら男達は部屋に入っていく。コハクは話の内容に衝撃を受けて動けないでいた。
『漏れたの、密造銃の情報なのか?と言うか、キトラ疑われてる?でもキトラがそんなことするなんて……』
考えながら、ふとある事が頭をよぎった。
『……あの紙、何だったんだろ。普通に暮らしてたら紙を燃やすことなんてないよな。なんであんなもの………』
小さなひっかかりは火種となり、少しずつ大きな炎へと変わろうとしていた。
結局疑いは持ちつつも何もできず、コハクは帰路についていた。
すると昨日の場所にまた男が立っていた。コハクを見つけると微笑みながら近づいてくる。
「こんばんは」
「ああ」
「今日も会えましたね」
「………君を待っていた」
「俺を?……あ!相談したいことができましたか!」
前のめりになるコハクに、男は微妙な顔になる。
「いや、そうではないんだが………ただ話がしたくて」
「?そうですか」
ひとまずベンチに移動して隣同士に座る2人。だが、男はなかなか口を開かない。
『どうしたんだろう?』
痺れを切らしてコハクが何か声をかけようかとすると、ようやく男が話しだした。
「君はなぜ警官になろうと思ったんだ?」
「へ?」
突拍子もない質問に間抜けな声が出る。
「なぜ、と言われても………腕付きができる仕事の中から自分に向いてそうなのを選んだだけなので………あ、でも人を守る仕事に誇りは持ってますよ」
我ながら信念も何もない理由だなと思いながらコハクが話すと、男は「そうか」と一言発してまた黙ってしまった。
「あ、そういえば名前は何て言うんですか?聞いてませんでしたよね?」
「そうだったか?」
「はい。俺はコハクです」
「キタカだ」
「………キタカさん?」
ルームメイトの顔がコハクの頭をよぎる。キタカの金色と目が合い、自然と質問が口をついて出た。
「あの………弟がいませんか?」
「ああ。いるが?」
コハクの鼓動が早くなる。
「弟さんとは最近会えてますか?」
「いや…………弟は、俺のせいで間違った道に行ってしまったから………」
コハクの鼓動は更に早くなる。「それって……」と話を続けようとしたが、キタカが急に立ち上がった。
「やはり今日は帰るよ。話をしてくれてありがとう」
そのままキタカはいつもの方角へ立ち去ってしまった。残されたコハクは複雑な顔でベンチから動けずにいた。
寮に帰ってからもコハクは今日あった出来事に頭を悩ませていた。
『キタカさんはキトラのお兄さんなんだろうか?そんな偶然って………でもお兄さんは腕付きだって言ってたし、瞳の色もよく似てる。怪我が絶えない人らしいから手の傷だって説明がつくよな。だとしたら………』
「間違った道って何なんだろう?」
「何の道だって?」
いきなりかけられた声にコハクは飛び上がる。
「うわ!キトラ!帰ってたのか!」
「今な。部屋に入ってもこっちを見ずに考え事してるから、何事かと思ったぜ。どうしたんだ?」
覗き込んでくる金色に昨夜のことを思い出し、コハクは思わず顔を背けてしまった。
「いや、何でも。………今日は早かったんだな」
「昨日みたいに遅くなって質問責めされたくねぇからな」
ニヤッと笑うキトラにコハクの顔が再び赤くなる。
「もうしないよ!………でも2班は大変なんだろ。情報が漏れたって………」
「ああ。聞いたのか。班長が調べてるから心配すんな」
コハクを安心させようとキトラは軽い感じで答えるが、積もりに積もった不安は消えない。
「漏れたのって、密造銃の情報なんだろ」
「………なぜ知ってるんだ?」
キトラの表情がかたいものに変わる。コハクは圧倒されそうになるが、必死に言葉を続けた。
「2班の人が話してるのを聞いた。お前は大丈夫なのか?」
「何がだ」
キトラの雰囲気が更に険しいものになる。しかし表情に怯えを滲ませたコハクを見て、慌てて攻撃的な態度を消した。
「とにかく。署内に内通者がいるかもしれないんだ。お前は下手に関わるな。うちのヤツが話してたことも忘れろ」
無理やり話を終わらせようとするキトラに納得がいかなくて、コハクが食い下がる。
「なんで!俺も警察の一員だ。それにルームメイトの班の話なんだから心配になるなってほうが無理だよ!」
「………専門職のお前に何ができるんだ。腕付きが無茶をして、取り返しのつかないことになったらどうする」
「腕付きじゃなくたって危ない目にはあうだろ!」
「うるさい!なんで俺の気持ちがわからないんだよ!」
「………俺だって信じたいよ」
燃えた紙のことも。2班の人達の話も。キタカのことも。わからないことが多すぎてコハクは怖かった。
でも何より怖いのは、キトラがどんどん自分から遠ざかろうとすることだった。
「少し前に、リビングの掃除をしてたら燃えた紙の破片を見つけたんだ」
キトラがピクッと反応する。
「あれは何なんだ?お前は何をしてるんだ?」
「………」
「キトラを信じたい。だから話してよ。言ってくれないとどうしていいかわからない」
「………今日は署に泊まる。とにかくお前はこの件に関わるな」
そう言うとキトラは部屋から出て行ってしまった。
ひとり残されたコハク。その瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。