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人が急に暴れる事件は、キトラの一件以来ピタリと止んでいる。その静けさが不気味ではあるが、捜査官達の奮闘のおかげで金髪の青年に関する情報は少しずつ集まりだしていた。
「男の名前はナトリ。出身は北国だが2年前にこっちに出てきたみたいだな。工場勤務で真面目に働いているようだし、いたって普通の青年だな」
「現場の近くにいたって言ってもな。糸で人を操るってのがそもそも信じられないような話だし」
「拘束する理由がなけりゃ、ヘタに接触しても逃げられるだけだぜ」
経験したことのない犯罪に、捜査官達は青年に手を出せずにいた。
「こちらから行けないなら向こうから来てもらえばいい!証拠がないなら作ればいい!」
2班の扉がバン!と勢いよく開かれ、セキトが部屋に入ってきた。
『うわぁ。おいでなすった』
もはや2班の中で有名人になっているセキトの登場に、捜査官達の間に呆れを通り越して諦めの色が浮かんだ。
「セキトさん。何か案があるんですか?」
「よく聞いてくれた!ゼン君。ここ数日、カグラと色々話していてね。犯人が何を考えているか推測してみた」
「いや、何やってんだよ!」
兄がいつのまにか危険人物と交流を持っていたことにキトラのツッコミが飛ぶが、セキトは気にせず意気揚々と自分達の推理を披露していく。
「この犯人、ナトリはいわゆる典型的な愉快犯だ。人が苦しんでるのを見て楽しんでいる。しかも糸で人を操るのだから、犯罪を証明されることもない。やりたい放題だ。……だが、天敵が現れた。コハク君だ」
セキトがピシッとコハクを指差す。
急に話を振られてコハクが背筋を伸ばした。
「ナトリは被害者の恐怖の内容を知ることができると考えられる。遠隔で恐怖が発動したこともね。だからキトラの件のあと、きっと糸を暴走させて恋人を殺してしまった警察官のニュースが流れるだろうと、今か今かと待ち侘びていたはずだ。だが、そんなニュースは一切流れず、キトラもコハク君も元気そのもので暮らしている。ナトリは理解できなかったはずだ」
キトラの件は人への被害が出なかったため、報道されることはなかった。
情報を流さないことで犯人への手がかりにもなると考えてのことである。
「今犯行が止まっているのは、ナトリが警戒しているからだ。なぜ自分の糸が解除されたのか。解除される可能性があるなら対策を講じなければいけない」
「でも、俺は多分キトラ相手しか糸の解除はできませんよ」
「そうだね。素晴らしい愛の力だ」
親のように微笑まれて褒められるが、みんなの前でされても恥ずかしいだけである。
コハクは体をすくめて小さくなっていった。
「だがナトリは、誰が解除したのか、誰を解除できるのか、何もわからない。わからないので犯行を再開できないが、この手のタイプは犯行をやめられない。今頃、人を操りたくてウズウズしているはずだ。だから、そこを突く!」
やっと本題に入り、セキトの熱弁が激しさを増してゆく。
捜査官達は、不可能に感じていた犯人の逮捕に現実味が増していく様に聞き入っていた。
数日後。ナトリの働く工場に捜査官が2人やってきた。
「急に人が暴れた事件を調べてて。そう。なかなか情報がなくて」
工場長に聞き込みをしていると、捜査官の1人のスマホが鳴った。
その場から少し離れて着信をとる捜査官の様子を、ナトリが隠れて盗み見ている。
「キトラの件だ。…そうだ。コハクが明日、同じ時間に現場に行ってみるって。アイツがキトラを止めれた理由がまだわかんねぇもんな。…いや、1人で行くって言ってる。アイツも一応捜査官なんだから大丈夫だろ。…わかった。予定通り聞き込みしたら戻る」
会話を終えて捜査官が工場長の所に戻っていく。その姿を見送りながら、ナトリは堪えきれない笑いを漏らしていた。
翌日の夜。コハクはキトラが暴れた現場に来ていた。
破壊されたベンチは撤去されコンクリートは修復されているが、傷つけられた木はそのままになっている。
『こうやって見ると、誰も怪我せずキトラを止められて本当に良かった』
そんなことを考えながら立ち尽くしていると、誰かが来る気配を感じた。
「誰だ?」
見知らぬ男がこちらに近づいてくる。
ゆっくりとした足取りで、何かを呟いていた。
「……わい……が来る……いや……こわ……」
ピタッと動きが止まったかと思うと、無数の糸が体から出てきて周囲にあるものを襲う。
「ッ!!」
慌てて男から距離を取る。男は糸の中心で苦しんでいた。
「……かわいそうに。苦しいだろ。今、助けてやる」
コハクがそう言うと、男の周りにキラキラした光が舞った。しばらくすると糸は消え去り、男はその場に倒れた。
慌ててコハクが男に近寄る。
「良かった。気を失ってるだけだ」
ほっとして応援を呼ぼうとスマホを取り出すと、その手を誰かの糸が叩いた。
「こんばんは」
青年が立っていた。月明かりに照らされた金髪がキラキラと光って、とても綺麗だった。
「驚いたよ。まさか俺みたいなことをできるやつが他にもいるなんて。あんたがコハク?」
「人に名前を聞く前に、自分が名乗ったらどうだ?」
コハクの物怖じしない態度に、青年はおかしそうに笑う。
「なるほど。なかなか気が強いね。気に入ったよ。俺はナトリだ。あんたはコハクだろ?少し前にここで暴れた恋人のことも、今みたいに止めたの?」
「なんのことだ?」
あくまでシラを切るコハクに、少しナトリが焦れる。
「まあいいや。あんた自身は俺に抵抗する力はあるのかな?」
ナトリの周りにキラキラとした光が現れる。それがコハクの方まで舞ってくるが、コハクには何の変化もない。
それを見てナトリが動いた。
「やっぱりあんたには幻覚が効かないみたいだね。厄介だな。あんたみたいのがいると俺が楽しめないんだよ。趣味じゃないけど、直接始末するしかないか」
糸を出して近づいてくるナトリにコハクが構える。だが、ナトリが途中でふと足を止めた。
「待てよ。何も殺すことはないか。なあ、あんた、俺の仲間にならない?あんたの力があればもっと楽しいことができると思うんだよね」
予想外の誘いにコハクは戸惑いを隠せない。
「楽しいことって?そもそも、お前はなんで人を操って暴れさせているんだ?」
「そんなん、楽しいからに決まってんじゃん」
至極当然のことのようにナトリは答える。
「恐怖に顔を引き攣らせた人間がどんだけ滑稽か知ってる?だらしなく震えて、助けを求めることもできないんだ。それを見てると笑いが止まらないよ」
『……ああ。これが悪意か』
楽しそうに語るナトリの顔は醜悪そのもので。
コハクは、この世にはどうやっても相容れない悪魔がいるのだと思い知った。
「で?どうする?仲間になるの?」
「………なるわけないだろう」
アパートで死んでいた男の姿が頭をよぎる。苦しみ抜いて生き絶えたその表情が、コハクの怒りを駆り立てる。
ナトリは交渉の決裂を理解した。
「そう。じゃあ、死んでよ」
激しい糸の攻撃がコハクを襲う。それを次々と無力化していくが、ナトリに近づく隙は生まれない。
『なんだ、この強さは。俺だって訓練を受けた捜査官だ。なのに身を守るので精一杯だなんて』
「驚いてるね。俺は結構ろくでもない生まれでさ。ずっとやるかやられるかの中で生きてきたんだよね。だから格闘のほうも大得意なんだよ」
「じゃあ、これはどうだ?」
突然、大量の糸がナトリを襲う。
コハクへの攻撃を中断してナトリは後ろに下がり、その糸の群れを交わした。
「キトラ!」
「へえ。愛しの恋人のおでましだ」
キトラはコハクのところまで移動すると、庇うように前に立つ。だが、その姿にナトリは慌てる様子も見せなかった。
「うまいこと隠れてたね。全く気づかなかったよ。でもあんたが出てきたところで何ができるかな?もう一度、恐怖に駆られて恋人を襲ってみるかい?」
「………やってみろよ」
キトラが再び攻撃を始める。激しい攻撃は、それでもナトリに当たることはなく避けられていく。
だが、ナトリがある地点に来た時、キトラが叫んだ。
「シエン!今だ!」
乾いた音が空間に響き、ナトリが倒れる。
その肩から真っ赤な血が流れていた。




