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コハクとキトラが一緒に暮らし始めてから2ヶ月が過ぎた。
相変わらずキトラは朝早くから夜遅くまで出ずっぱりでほぼ一緒にいる時間はない。それでもコハクのご機嫌は続いていた。
「コハク君。この資料を2班に届けてきてくれるかい?」
「了解です。すぐ行ってきます」
機嫌の良さは仕事にもいい影響を与えている。もともと仕事はきちんとするタイプのコハクだが、最近はやる気が加わって頼もしさもでてきた。
『キトラいるかなぁ』
ワクワクしながら2班の扉を開ける。
だが、期待するルームメイトの姿はなかった。
『外に行ってるのかなぁ』
少しガッカリしながら、報告書を渡すために奥のゼンの席を目指す。
「ゼン班長。報告書です」
「ありがとう。………キトラがいなくてガッカリかな?」
わかりやすく顔にでていたコハクに、ゼンが気遣って声をかけてくれる。
「あ、いや。……はい。会えるかなぁと思ってたので」
「彼は外にいることが多いからね。活躍してくれてうちは助かるけど、寮にいる時間も少ないからコハク君は寂しいよね」
「そ……ですね。ルームメイトが来てくれただけで嬉しいですけど、欲を言えばもう少し一緒にいたいですね」
「すまないね。今の仕事が終われば休ませてあげれると思うから、あと少し辛抱してくれるかい」
困ったように笑うゼンに気づかわせないように、「仕事第一ですから」とコハクは元気なふりをしてその場を去った。
その夜。キトラは街はずれの廃工場に来ていた。
スーツの男に封筒を渡している。
「これが今の捜査状況だ」
「ご苦労さま。うまくやってるじゃないか」
「工房一つ潰してんだ。今や2班のエースだぜ」
普段のカチッとした雰囲気からは程遠い、粗野で乱暴な態度でキトラは男に対応している。
服装もスーツではなく、Tシャツとスウェットとラフな格好をしていた。
「はは。まさかお前が警官とはな。寮にも入ってるんだろ?」
「やりとりの痕跡残すようなヘマはしねぇよ。俺の部屋見たら綺麗すぎて驚くぜ。まあ、そこまでしなくても同室のヤツはボンヤリした腕付きだからバレねぇだろうがな」
「へぇ。腕付きと同室なのか。ソイツ仲間に引き入れられないか?腕付きが1人でも多く欲しいんだよ」
「やめとけ。下手なことになったら俺の努力が無駄になんじゃねぇか」
「はは。そりゃそうだな。じゃあな。また報告待ってるよ」
男は笑いながら手を上げて去っていく。
その姿が見えなくなるまで待ってから、キトラは廃工場を後にした。
キトラが寮に戻るとコハクが待ってましたとばかりに出迎えてきた。
「おかえり!」
「あ……ああ。ただいま」
やたらとテンションの高い出迎えにキトラが気圧されていると、コハクが手に何か持っているのが見えた。
「なんだ、それ。チョコレート?」
小さな箱に色々な形をした粒が並んでいる。
「そう!キトラ、ずっと働き詰めだろ。疲れてるだろうから甘いもんでもと思って。アギさんにおすすめを聞いたんだ!」
褒められるのを待っている犬のように、コハクは箱を持ってキラキラした目を向けてくる。
「俺に?わざわざ?なんでそんなこと……」
「ルームメイトだろ!疲れてたら心配するのは当たり前じゃん!」
ニコニコと更に褒められ待ちをされ、キトラは観念する。
「……ありがとう」
小さく礼を言うと、何倍もの大きさで「どういたしまして!」と返ってきた。
先程までの殺伐とした雰囲気と違い、あまりにも平和な空気にキトラは気が抜けてしまう。
それは鉄壁の防御に僅かなヒビを入れた。
数日後。非番のコハクがリビングの掃除をしていると、部屋の隅に小さな紙切れを見つけた。
『端が焼けてる?』
ただの紙切れであれば何も気にしなかっただろう。だが、何かを燃やした残りと思われるその破片は、コハクの心に微かな引っかかりを残した。
「コハクちゃん!ちょっと聞いてよ〜!」
翌日。出勤したコハクを待っていたのはアギの愚痴だった。
「ダーリンったら、最近ぜんっぜん帰ってこないのよ!忙しいのはわかるけど働きすぎじゃない?心配して連絡しても『大丈夫』の一言しか返ってこないし!」
スマホの画面を見せながらアギはずっと怒っている。プリプリという擬音が聞こえてきそうな姿に、「そうですか」「それは寂しいですよね」とコハクは優しく相槌をうった。
「やだ。私ったら自分の話ばっかりしちゃってごめんね〜。そういえば、コハクちゃんはキトラちゃんと仲良くできてるのかしら?」
ひとしきり話して落ち着いたアギが、コハクの同室事情に話題をうつす。
「相変わらずですよ。夜少し会えるくらいです。あ、でもこないだのチョコは喜んでくれたみたいです。甘い物が好きなのかな。アギさん、またオススメ教えてください」
「あら〜。いくらでも教えちゃうわよ。あ、そうだわ。2班に渡しに行く資料があったのよ。キトラちゃんに会えるかもしれないし、持っていってくれるかしら?」
「はい!喜んで!」
アギの気遣いに尻尾を振りながらコハクが部屋を出ていく。その後ろ姿に「可愛いわねぇ」とアギはほんわかしていた。
2班の部屋に着くと恒例のようにコハクはキトラを探す。大概は外出しているのだが、今日は珍しくデスクにいた。
「キトラ!やった!今日はいた!」
大声でキトラに近づいていくコハクに、周囲は「何だ?」と視線を向ける。
「コハク?」
いきなりの大声と周りの視線にキトラが呆気に取られていると、コハクがデスクに到着した。
「いっつも外出ばっかだからさぁ。今日は内勤なのか?」
「いや。出さなきゃならない書類が溜まってたから片付けてただけだ。すぐまた外に出る」
「そうか。ギリギリ間に合ったな」
はっはっはと明るく笑うコハクにキトラの顔も穏やかになる。
「お前は?何か用があってきたんじゃないのか?」
「そうだった。アギさんに資料を渡すように頼まれてたんだよ。ゼン班長は……」
「班長は外に出てる。俺も合流して一緒に戻ってくる予定だから、渡しといてやるよ」
「本当か?助かるよ」
コハクが資料を手渡すと、キトラが軽く目を通して呟いた。
「……こないだの銃の資料か」
「そう。キトラが大活躍した事件のだよ」
「大活躍って。内容は知らないだろ」
「知らなくてもキトラは絶対活躍したってわかる!」
なんだそれはとキトラから苦笑が漏れる。
だが、すぐに真剣な顔に戻ってしまった。
「少しクセのある銃だな」
「そうなんだよ。職人の手癖というより、デザイン側の問題かな。……て、キトラ銃に詳しいな」
「ああ。今回の潜入のために少し勉強したからな」
『少しじゃこの銃の違和感には気付けないと思うけどなぁ』
思っている以上にキトラは優秀なのかもと考えながら、コハクは資料を任せて部屋を後にした。
その日の夜遅く。コハクはリビングで何かを作っていた。
「このパーツをここにつけて……」
テーブルの上に広げられているのはプラモデルのパーツだった。それを説明書を読みながら器用にはめていく。
「ただいま。……何してんだ?」
「あ。おかえり〜」
キトラが帰ってきた。テーブルに向かって眉間に皺を寄せているコハクに気づいて奇妙な顔をする。
「訓練用のプラモデルだよ。久しぶりにやってみようかと思って」
腕付きは細かな作業を担当するため、手先の器用さを鍛えるために様々な道具が用意される。一見すると遊んでるように見えるが、これも立派な訓練の一環なのである。
「へぇ。話には聞いてたが、こんなことやってんだな。でも何で寮でやってるんだ?別に訓練なら勤務中にできるだろ」
「へ?ああ。いや、俺もお前を見習おうかなぁと思って。お前は本当に仕事のために努力してるからさ」
昼間の会話や朝早くから夜遅くまで働くキトラの姿は、コハクに良い影響を与えていた。前向きな努力をする気持ちが芽生えてきたのだ。
「お前は凄いよなぁ。潜入捜査もきちんとやりきって。そのための勉強もしっかりとやって。疲れてるだろうに何も手を抜かない」
真っ直ぐに自分を見て賞賛してくれるコハクに、キトラはむず痒い気持ちになる。
「そんなに褒めることじゃない。仕事をしてるだけだ」
「謙遜するなって。あ、でも無理し過ぎたらダメだぜ。こないだアギさんにもらったココアがあるから淹れてやるよ」
そう言ってコハクはポットを取りに行こうと立ち上がるが、足元のコードに足を取られてバランスを崩した。そして思わず手をついた先にあったニッパーで怪我をしてしまった。
「あいて!」
「大丈夫か!」
キトラが慌てて駆け寄ってくる。傷を確認してホッと息を吐いた。
「軽く切っただけみたいだな。全く。せっかく訓練してるのに大切な仕事道具を傷つけるなよ。今手当してやるから待ってろ」
そう言うとキトラは自室から絆創膏を持ってきて傷に貼り付けた。
「ありがとう。………キトラは手当てに慣れてるな」
「ん?」
コハクの呟きに要領を得なくて、キトラは聞き返す。
「いや。普通は手を怪我してもすぐ治るから、こんなにさっと手当てできるヤツってなかなかいないんだよ。腕付きは珍しいから」
ああ。とキトラは合点がいったようで説明しだした。
「兄貴が腕付きだったんだよ。それも凄くやんちゃな人でな。いっつも怪我して帰ってくるから手当するのに慣れてんだ」
「……お兄さん、腕付きだったのか」
キトラが自分と同じ腕付きの身内だと思うと、コハクはなんとなく嬉しくなった。
「お兄さんにはよく会うのか?仲良いのか?」
テンションが上がり早口になるコハクに対して、キトラは急に歯切れが悪くなる。
「………最近は、会ってない。仲は悪くはない」
「?」
なんとなく話したくないのかなと、コハクもそれ以上は聞かないでおいた。
「そうか。あ、ココア淹れるって言ってたな。ちょっと待ってろよ」
そのままコハクはキッチンに向かう。キトラも帰ってきたままになっていた荷物を片付けに行ってしまった。
縮んだと思った距離がまた開いたような。コハクは嬉しいのか寂しいのかわからない気持ちだった。