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いつも通り出勤したコハクだが、表情は晴れずに仕事をしていた。

その様子に心配したアギが声をかける。


「コハクちゃん。元気ないわね。何かあった?」

「アギさん………」


その優しさに先ほどは出なかった涙が溢れそうになるが、グッと堪えてキトラとのことを話す。


「そう。酷い事件だものね。キトラちゃんが怖くなるのもわかるわ」

「気持ちがわかるから、捜査官に反対だと言ったことは納得できるんです。でもキトラのほうが傷ついた顔をしてて。助けてあげたいのに、俺がそばにいれば余計キトラを傷つけてしまうんじゃないかと思うと、何もできなくて」

「ジレンマね」


アギもどうしていいか分からず言葉に詰まる。2人で逃れられない沈黙に包まれていると、リトが部屋に戻ってきた。


「コハク君。悪いけど2班の応援に行ってくれないかな。雑用の手が足りてないらしくて」


2班の応援ということはキトラの様子が見れるかもしれない。顔を合わす気まずさも考えたが、やはりどうなっているか心配なコハクは二つ返事でリトの命令を受けた。


「コハクちゃん……」


席を立とうとするコハクに、アギが真剣な顔で声をかける。


「人同士だもの。どうしたって傷つけてしまうこともあるかもしれないわ。でもね。キトラちゃんにはコハクちゃんの愛が必要だと思うの。大切な人なら手を離しちゃダメよ」


優しく、見守るような声にコハクは心が軽くなる。「はい!」と少し元気を取り戻した声で返事をすると、しっかりした足取りで部屋を出て行った。




2班の応援は本当に雑用といった感じで、資料や必要な物の手配、各所への連絡、リストの照合など、コハクは言われるままに走り回っていた。

忙しい中でキトラの姿を探すが見つからず、給湯室でお茶の用意をしているとシエンがやってきた。


「コハク……先輩。お疲れ様です」

「お疲れ様。本部に持っていくお茶の用意してたんだけど、シエンくんも飲むかい?」

「いただきます」


紙コップをもう一つ用意し、お茶を淹れて渡す。シエンは一気に飲み干すとフゥッと息を吐いた。


「大変みたいだね。みんなバタバタしてる」

「大きな事件ですから。遺族やマスコミの対応に、まだまだ捜査しないといけないことも多いです」

「被害者の腕が見つかってないんだろう?」


雑用で走り回る中で聞いた話を、意外にも冷静にコハクは口にした。


「聞いたんですね。はい。処分されたにしても痕跡が無さすぎる。どこかに持ち去られたとしか考えられないです」

「なんのためにそんなことを………」

「キトラさんは腕の捜索にでてますよ」


キトラの名前に、弾けるようにコハクがシエンの方を向く。


「私も同行していましたが、報告がてら一度戻ってきたんです」

「そう。どうりで姿が見えないわけだ」

「何かありましたか?」


どうしてこの後輩は、こう鋭いのか。

それはコハクへの想いゆえなのだが、そこまで考えの至らない本人はキトラとの微妙な関係を隠すことすらしない。


「疲れてるみたいだったから。たぶん、心も。助けたいけど、腕付きの俺が側にいたら余計傷つけるかもしれない」

「それが普通の人と腕付きの関係です」


至極当然のことだと言わんばかりに、感情のこもらない声が返ってきた。


「私の両親は優しい人でした。でも腕付きである私をとても心配して。腕付きの事件が起きると過剰なまでに怯えて、私が何をするにも反対した。それでなくても私には普通の人の感覚がわからないし、両親にも腕付きの思いは理解できなかった」


淡々と語るシエンの過去は、腕付きが少なからず体験することだった。


「私を心配することに疲れきった両親といることに耐えられず、私は寮のある学校に進学しました。そこは珍しく腕付きが多い学校で。やっと気持ちをわかってくれる人といられると喜んだんです」

「気持ちを……」


私ならあなたの気持ちをわかってあげられる。シエンはコハクにそう言った。


「最初は嬉しかった。話が通じる相手に会えて。でも、仲間達はみな、一様に普通の人への憎しみを語るだけ。自分の境遇をただ嘆いているだけで前に進もうともしない。そんな人達といるとどんどん沼に沈んで息ができなくなる気がして、私はそこも逃げ出したんです」


逃げ出した。それは悪いことじゃない。

コハクはそう言いたいのに、シエンの淡々とした態度に何も言えない。


「もう1人で生きていこうと決心した。そして腕付きの糸が普通の人とは違う使い方ができることに気づき、捜査官になった。職場でも誰にも心を開かず、うまく仕事だけをこなしていけばそれでいいと思っていた。思っていたのに……」


シエンの瞳が真っ直ぐにコハクをとらえる。

懇願するように。ただ一つの救いだというように。


「あなたに会ってしまった。あなたは腕付きなのに何も諦めていない。何も恨んでいない。あなたといられたら俺も、この寂しさから抜け出せるかもしれない。息ができるかもしれない」


シエンがコハクを優しく抱きしめる。

泣いているかのようなその行動に、コハクは拒絶などできなかった。


「俺を選んでください。キトラさんといてもお互い傷つけあうだけです。擦り切れてボロボロになっていくあなたを俺は見たくない」


途方もない想いだ。どこにも居場所を見つけられず1人で生きていく覚悟を決めた人間が、救いを求めてしまったのだ。

シエンの悲しみを思うと胸が苦しくなり、コハクは優しく背中に手を回した。


「………ッ!」


その手で優しく背中を撫でようとコハクが背伸びする。するとシエンの肩越しに、絶望した顔でこちらを見るキトラの姿があった。


「………キ……」


名前を呼ぶ前に、キトラは静かに走り去っていく。

宙に浮いた手を不思議に思い、シエンが「どうしましたか?」と聞いてくるが、コハクは何も答えることができなかった。




その日の応援が終わり、13班に戻ったコハクは更に元気を無くしていた。

さすがに心配になったリトがアギに一緒に帰るよう頼み、2人を早々に退勤させた。


「キトラちゃんには会えた?」


アギが寮まで送ってくれる道すがら、コハクの話を聞こうとしてくれた。


「………俺は、またキトラを傷つけてしまったかもしれないです」


給湯室でのできごとを話しながら、コハクはいよいよ涙を流してしまった。

アギが優しく背中を撫でる。


「難しい問題ね。私も腕付きだということで悔しい思いをしたことはたくさんあるわ。壁を感じたこともね。私はダーリンが同じ腕付きだから、もしかしたら恵まれているのかもしれない」


そう言って、アギは背中を撫でていた手でそっとコハクの手を握り、立ち止まった。


「でもね。腕付きであろうとなかろうと、人の心であることには変わりないわ。きちんと正面から向き合えば、気持ちは絶対伝わる」


両手でコハクの手を包むアギ。その手の温かさにまた涙が出る。


「それにね。うちのダーリンは本当に自由な人だから、私達ケンカなんてしょっちゅうなのよ。それでも好きなんだから、愛って厄介よね」


そう言いながらフフフと笑うアギが可愛らしくて、コハクはそこまで言ってもらえるアギの恋人が羨ましくなった。


「でも何より大事なのは、コハクちゃんの気持ちよね!結局どっちのことが好きなの⁉︎」


急に目を輝かせて前のめりに聞いてくるアギに、コハクは少し後ずさる。


「どっちって……わかりませんよ!人を好きになったことだってないのに」

「あら。そうなの?」

「恋愛なんて、腕付きの自分には無縁のものだと思ってましたから」


あら〜と言いながら、アギが頬に手をあてる。


「じゃあ、これが初恋になるかもしれないのね。いいわねぇ。甘酸っぱくて。コハクちゃんは2人のこと、どう思うの?」

「どうって……」


コハクは改めて考えてみる。キトラとシエンにどんな気持ちを持ったのか。


「シエンくんは……1人にしたくないと思ったんです。きっとずっと寂しい思いをしてきたから。誰かがそばにいてあげないとって」

「うんうん。そうね。あんな話を聞いたら心配になるわよね」

「あと、キトラは………」

「キトラちゃんは?」

「………ま、守りたいなって」


なぜか真っ赤になる頬を両手で包み、コハクは言葉を続ける。


「キトラが傷ついて帰ってきて、ベッドで寝てるのを見た時、そう思ったんです。守りたいって」

「………そう。素敵なことだわ」


ニコッと微笑みアギは再び歩き出す。

慌ててコハクが後に続いた。


「結局、俺はどっちが好きなんですかね?」

「さ〜あ。それは自分で考えないとね」


ウインクするアギを、「え〜!教えてくださいよ!」とコハクが追いかける。

楽しそうに笑うアギを見ていると、少しだけコハクの心も軽くなった。

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