11
キトラの機嫌が悪い。
シエンと別れた後、コハクが部屋に入ろうとしたらキトラが帰ってきたのだが、そこからずっと不機嫌を纏っている。
何かあったのかと聞いても「別に」と返されるだけで、コハクもほとほと困り果てていた。
一方のキトラは昨夜見た光景が頭から離れないでいた。
『なんだったんだよ、あれ。口説かれてなかったか?コハクも嫌がってなかったし……』
朝の支度をしているコハクをチラッとみる。
『何なんだよ。俺の我慢はなんだったんだよ。あんな知り合って1日2日のやつに先越されるって』
誰かに取られるよと言われたことを思い出す。1人で悩んでから回って機嫌を悪くして。何をやってるんだかと、キトラは自分が情けなくなった。
とは言えコハクを1人にしてまたシエンに手を出されるのもイヤなので、いつもなら朝早く寮を出るキトラだがコハクに合わせて出勤することにした。
「おはようございます」
ちょうど2人が部屋を出た時、シエンに声をかけられた。
「シエンくん!今から出勤かい?」
「はい。お二人もですか?」
「ああ!いつもはキトラは先に出るんだけどな。3人で一緒に行こうか」
「はい」
ニコニコとコハクに笑みを向けるシエンが、フッとキトラに視線を向けた。そこには嘲笑とも挑発とも取れる感情がのせられていた。
『コイツ、全部わかってやってんな』
その不遜な態度にキトラが敵意剥き出しにしているが、呑気なコハクはまったく気づかない。
「え?キトラが教育係なのか?」
「はい。キトラさんに教えてもらうのは勉強になりますよ」
「キトラは優秀だからな!って言うか、キトラさんて呼んでるんだな。いいなぁ。先輩呼びもいいけど、さん付けも捨てがたい」
「じゃあ署内ではコハク先輩、それ以外ではコハクさんと呼びましょうか?」
「それいいな!」
キャッキャとはしゃぐコハクに、シエンは素直で可愛い後輩を完璧に演じている。2人の会話の盛り上がりに、キトラは完全にヤカの外になってしまった。
『なんでそんなに楽しそうなんだよ』
モヤモヤと、キトラの心には悲しみが積もっていった。
それでもキトラは真面目で優秀だった。
2年目だと言うのにシエンの指導を完璧にこなし、自分の仕事も手を抜かない。周りから見れば仕事に全力投球しているように見えるが、頭の中はコハクのことでいっぱいだった。
『腕付き同士だし俺にはわからない居心地の良さがあるのかな。コハクがなりたい腕付きの捜査官だし。昨日から面倒見てて思ったけど、コイツ仕事できるしな』
勘がいいのか頭がいいのか、シエンは仕事は1教えれば10理解するし周りへの気遣いも完璧だ。まるで隙がない。
『それに…』
隣を歩くシエンを見る。スッとした目鼻立ちにスラリとした体つきで、絵本に出てくる王子様のような姿がそこにはあった。
『無駄に顔がいいんだよな、コイツ。背も高いし。コハクはイケメンに弱い気がする……』
キトラはコハクより高いとはいえほとんど変わらない身長に、黙っていると怒っているのかと間違われるくらいキツい顔立ちだ。見た目で言えば完全に負けているだろう。
あ〜!と叫びそうになりながら頭を掻きむしっていると、2班の部屋に入ろうとしたところでシエンの動きが止まった。
「?どうした?」
不思議に思っていると、キトラの耳に部屋の中の会話が聞こえてきた。
「しかし、腕付きの捜査官なんてやりにくくてしかたねぇよな」
「間違って腕の一つでも落としちまったらこっちが責任感じちまうじゃねぇか」
「主席ったって学校の中のことだろ。現場じゃそんなの通用しねぇよ」
班員達がシエンについて話している。あまりの内容にキトラが怒って部屋に入って行こうとするが、シエンに手で止められた。
「お前……」
「構いません。これが普通の反応でしょう。慣れてますから」
そう告げる顔は一切の表情がなく、その冷たさにゾッとするほどだった。
「今入ると空気が悪くなりますね。飲み物でも買ってきます。先輩は先に戻っていてください」
シエンはいつも通りの背筋の伸びた姿で来た道を戻っていく。でもその隙のなさに、キトラは少しの寂しさを感じとった。
その日の退勤後。帰ろうとするコハクの元にキトラがやってきた。
「あれ?キトラ。今日はもう仕事終わったのか?」
「ああ。一緒に帰ろうかと思って」
「ほんと⁉︎今日はどうしたんだ?朝も帰りも一緒だなんて」
「まあ。そういう日もある」
本当は仕事が山積みなのだが、どうしてもコハクと話がしたくて全て放って帰ってしまったのだ。明日のことを考えると頭が痛いが、キトラは考えないことにした。
ちなみにシエンはゼンが話があるというので、まだ仕事中だ。
2人並んで帰り道を歩く。
キトラの不機嫌はおさまったが、今度は落ち込んだような暗い雰囲気になっているのでコハクは心配する。
「コーヒーでも飲まねぇ?奢るぜ」
そう言ってキトラは自販機で2本の缶コーヒーを買ってきた。コハクには微糖を渡し、自分はしっかりミルクたっぷりの甘いカフェオレを買っている。なんだかおかしくてコハクはクスッと笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ」
「なんでも。あそこのベンチに座って飲もうぜ」
ベンチに座って並んで缶コーヒーを飲む。普段は一緒に過ごすと言えば寮の部屋なので、その新鮮な体験にコハクは嬉しくなる。
かたやキトラは浮かない顔だ。
「しかし珍しいな。初めてじゃないか、一緒に外でゆっくりするなんて」
「カフェには行ったじゃねぇか」
「あれは仕事だろ」
ノーカウントだよと笑うコハクの笑顔が眩して。キトラは胸につかえている思いを自然と口にしていた。
「なあ。腕付きで苦労したことって、どんなことがある?」
「何?急に?」
質問の意図をつかめないコハクが微妙な顔をしたのを見て、キトラは今日シエンにあったことを話した。
「なるほど。そうだよな。そういうこともあるよな」
「俺は兄貴が腕付きだけど、アイツは規格外過ぎてそんな苦労なんて微塵も感じさせなかったからさ。身近に腕付きがいるのに、本当は苦しみを理解してなかったんだろうなと思って」
「そっか。ん〜。でもそれは腕付きとか関係ないんじゃない?」
重い雰囲気のキトラに対して、コハクはケロッとしている。
「だって、誰だって他の人の経験はできないんだから理解できるはずないだろ。キトラの気持ちだって俺はわからないし」
「……まあ。それはそうだが」
「そりゃ腕付きは下に見られて腹が立ったり、必要以上に心配されて息苦しかったり、危険に対して不安も大きいけどさ。でも俺は意外と周りに恵まれたからそこまでシンドい思いはしたことないんだよ。だから同じ腕付きでもシエンくんの気持ちは俺にはわからないよ」
普段は人懐っこくて人に寄り添おうとするコハクの、意外な冷静さにキトラは心の重荷が軽くなっていく。
「お前は意外と強いんだな」
「ん〜。そうでもないよ。ここまで考えられるようになったのはキトラのおかげだから」
「俺の?」
そんな覚えはないキトラが疑問を顔全面に出すと、コハクはあの美しい笑みを浮かべて言葉を続けた。
「初めて会った時、金色の王の話をしてくれただろ。持って生まれた物をどう使うかは本人次第だって。その言葉は俺を変えたんだよ。できるところで妥協してるだけだって諦めてた心を、今いるところで頑張ろうって気持ちに」
あの言葉がそこまで影響を与えていたなんて、キトラは考えもしなかった。
『ああ。そうか。コイツは、コイツの心は本当に真っ直ぐなんだな』
腕付きだからと勝手に心配したり、誰かに取られるかもと不安になっていた自分が恥ずかしくなった。
『好きだって伝えるのは、やっぱりまだやめとこう。俺を好きになってもらって、コハクから好きだって言ってもらえるくらいになってやる』
すっかりいつもの雰囲気に戻ったキトラにコハクも安心して、気になっていたことに話題を戻した。
「それでも、気持ちがわからないとは言え同じ腕付き。シエンくんには俺からも話をしてみるよ。可愛い後輩のことは心配だからね」
ニコッと満面の笑みを浮かべるコハクに、キトラは愕然とする。
『しまった………墓穴掘ったかも………』
翌日。今度はシエンと共に帰路に着くコハクの姿があった。話がしたいと仕事が終わってから2班をのぞくと、ちょうどシエンも帰るところだったからだ。
キトラが「俺も一緒に」と帰りたがったが、昨日放って帰った仕事の山がさらに積み上がっており、「どこに行くつもりだい?」とキレかかったゼンに無理やり席に座らされたためその願いは叶わなかった。
「仕事はどうだい?大変じゃないか?」
「いえ、キトラさんがフォローしてくださりますし、やりがいも感じてます」
完璧な後輩の仮面を被った返事が返ってくる。その隙の無さにコハクは昨日のことをどうやって聞こうか悩んでしまう。
「そっか。腕付きの捜査官は初めてだから、大変なんじゃないかと心配してたんだ。何かあったらいつでも相談してよ」
「……キトラさんから何か聞きましたか?」
攻めあぐねているところを鋭く斬り込まれる。これ以上は遠回しに聞いても無駄だと、コハクは素直に白状することにした。
「班の人たちが言ってたことを聞いたんだ」
「それで様子を見にきたんですね」
「うん。……ごめん。余計なことだったかな」
しょんぼりするコハクに、シエンは隙のない態度を崩して微笑んだ。
「別にあの程度のことを言われても何とも思いませんが、あなたの心を占領できるなら悪くないですね」
「………シエンくん?」
いつもと違う雰囲気にコハクが少し怯える。シエンの手が震える頬に再び触れようとしたその時。
「キャー!」
空気を切り裂く女性の叫び声が聞こえた。
2人は弾けるように声の方へ向かう。
「うるさい!どいつもこいつもバカにしやがって!」
道の往来で男がナイフを振り回している。
振り回すと言っても手で持ってではなく、10本はあるかと思われるナイフを糸で持ち無造作に振り回していた。おかげで糸の届く数メートルに及ぶ空間は誰も近づけずにいる。
ただ1人、顔に傷をつけられ動けなくなっている女性を除いて。
「助けて……」
恐怖で男性から2メートルも離れていない距離に座り込んでしまっている女性は、今にもナイフに切り付けられそうな危険の中にいる。
「危ない!」
女性の体目掛けてナイフが振り下ろされそうになるが見え、コハクの体が自然と動いた。
「コハクさん!」
ナイフの間を掻い潜り、女性を庇うように前に立つ。
コハクの体にナイフが突き刺さるかと思われたその瞬間、男の糸からナイフが滑り落ちた。糸もそのまま地面に落ちる。
『今のは……』
信じられない光景に驚きながらも、降って湧いた好機にシエンが動いた。
次々とナイフを持つ男の糸を無力化させ、あっという間に男を拘束してしまった。
そこに通報を受けてやってきた警察官達が駆け寄ってくる。
『今の……どうすれば糸の流れを殺せるかわかった。体が自然と動いてた』
恐怖と驚きが終わると、じわじわとコハクの中に喜びが湧き上がってくる。
「コハク!」
出動してきた中にキトラもおり、コハクを見つけて駆け寄ってきた。
「お前、なんでこんなところに……」
「キトラ、俺、できた。糸を無力化できたよ」
「糸を?」
キトラが腰が抜けているコハクの腕をひいて立ち上がらせる。
「女の人がナイフで斬られそうになってて。守ろうと思って咄嗟に前に出たんだけど、その時見えたんだ。糸の流れが。自然と俺の糸でその流れを絶ってた」
微かな興奮を滲ませて一気に言い切ると、力が抜けたのかそのままキトラのほうに倒れ込んできた。
「そうか。頑張ったな。詳しくは後で聞くから、いったん署に戻ろうぜ」
優しくコハクを抱きしめるキトラ。
犯人を警官に渡したシエンがその姿を静かに睨んでいた。
何があったかの説明に一度署に戻ったコハクとシエンだったが、一通りやることが終わったので改めて帰宅することになった。
今度はキトラも一緒だ。
「シエンくん、凄かったな。一瞬で犯人を拘束して」
「いえ、コハクさんが女性を守ってくれましたから」
素直なコハクの賛辞にも、シエンは謙虚に返して完璧な後輩を崩さない。
「コハクさんこそ犯人の糸を無力化してましたけど、どこであんな方法を学んだんですか?」
「あ、いや、それは……」
まだセキトからシエンに関する許可が何も出ていないので、コハクは答えに窮する。
「お喋りはそれくらいにして、とっとと帰るぞ。シエンは事件の処理で忙しくなるから覚悟しとけよ」
キトラがうまいこと話を打ち切って、早足で歩き出す。その後をコハクが慌ててついて行った。
残されたシエンは2人を見て苦々しく呟いた。
「あんなの……うまくいかないに決まってる」




