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コハクが訓練を始めて数ヶ月が経った。
プラモデルは何とか1体、まともなものが出来上がった程度だ。時々セキトが様子を見に来てくれてはいるが、遅々として進まない成長速度にコハクは落ち込んでいた。
「語学なんかと一緒で、訓練を積み重ねて積み重ねてある瞬間突然わかるようになるんだよ。コップから水が溢れるようにね。だから焦らない焦らない」
普通に生きていれば全くすることのない動作をやろうとしているのだ。セキトはそう言ってコハクを元気づけてはくれたが………
「でもさすがに果てしなさすぎて凹む〜」
「なんだ。疲れ果てたヨボヨボのじじいみたいになってんぞ」
テーブルに溶けるように突っ伏しているコハクを見て、ちょうど帰ってきたキトラが呆れる。
「あ。キトラ。おかえり〜」
「ただいま。またプラモデルやってたのか」
「うん。早くできるようになりたいからね」
ルームメイトの帰宅に尻尾をふって喜ぶ姿に、先ほどまでのヨボヨボはどこへいったのかとキトラは笑いそうになった。
「あんま根つめすぎるなよ。焦ったってどうにもならないんだから」
「う〜。でも焦ったいよ。自分が全く成長してない気がして」
「そんなこともないだろ。兄貴も頑張ってるって褒めてたし」
「え?そうなんだ」
セキトの話題が出ると、コハクはなぜか嬉しそうな顔をする。
「なんだ?どうした?」
「いや、褒めてもらえたのも嬉しいけど、キトラがちゃんとセキトさんと連絡とってるのが嬉しくて」
「………仕事でたまたま会ったから話しただけだ。わざわざ会いに行ったりしねぇよ」
プイッとそっぽを向く姿にコハクはクスクス笑う。
「と言うか、訓練を頑張んのもいいけど仕事を疎かにすんなよ」
「それは大丈夫!訓練のおかげで感覚が鋭くなってるのか、指先を使う作業が前より丁寧になったって褒められたんだよ」
「へぇ〜。それは良いことだな」
「俺達ももう2年目に入るんだもんな。うちは後輩は入らないけど、キトラのとこは?」
「うちは1人入るって言ってたな。そうだ。明日寮に入るって言ってたから会えるもな」
「ほんと⁉︎楽しみだなぁ」
歓迎しないとねと、とにかく嬉しそうにするコハクにキトラは温かい眼差しを向けていた。
翌日。コハクが仕事を終えてリビングで訓練をしていると、インターホンの音が聞こえた。
「はいはい。どちらさんですか?」
玄関を開けた先にいたのは見知らぬ青年だった。
赤みがかった紫の髪から、宝石のようなピンクの瞳がのぞく。エキゾチックな雰囲気のあるその青年は、コハクの姿を見るとピシッと伸びた背筋で敬礼をした。
「失礼いたします。明日付けで2班に配属になりました、シエンと申します。隣の部屋を使用させていただくことになりましたので、ご挨拶に伺いました」
一分の隙もない姿に、ダルダルの部屋着姿だったコハクは完全に迫力負けしてしまう。
「あ、はい。えっと、よろしくね」
「ありがとうございます。先輩の所属はどちらですか?」
「先輩………」
初めての先輩呼びに、コハクが感極まる。
「あの……」
「あ。ごめんな。俺はコハク。13班所属だよ」
「13班……。ということは先輩は腕付きなんですか?」
「そうだよ。珍しい?」
「………私も腕付きなんです」
「へ?」
思わぬ告白にコハクが間抜けな声を出したところで、キトラが帰ってきた。
「コハク?誰だ、そいつ?」
「キトラ!おかえり!昨日話してた2班の新人さんだよ。お隣さんになるんだって」
「シエンです。よろしくお願いいたします」
「ああ。キトラだ。同じ2班所属だ。よろしくな」
再び背筋の伸びた敬礼をするシエンにキトラが手を差し出す。シエンが握り返すと、キトラは何かに気づいた顔をした。
「お前、もしかして」
「シエンくんは腕付きなんだって!」
横からコハクが嬉しそうな声をあげる。
「凄いよな!腕付きの捜査官だなんて!セキ」
「そうか。初っ端からうちに配属されるくらいだ。優秀なんだろう。期待してるぞ」
「ありがとうございます」
セキトの話題を出そうとしたコハクの口を手で塞いで、キトラは話題を変える。その様子に出してはいけない話だったかとコハクも口をつぐんだ。
「寮に腕付きは俺だけだったから、仲間が増えて嬉しいよ。困ったことがあれば何でも相談してね」
「ありがとうございます。先輩がいてくださって心強いです」
「聞いた!キトラ!心強いって!俺がいて心強いって言ってくれてるよ!」
腕付きの仲間が増えたためか、コハクのテンションがやたらと高い。キトラが鬱陶しそうに止めに入る。
「わかった。わかったから。ほら、シエンも来たばっかで疲れてるだろうから、いい加減解放してやれ」
「あ。そうだよな。ごめんな。今夜はゆっくり休んでね」
「お気遣いありがとうございます。では、失礼いたします」
そのままクルリときびすを返して帰っていく姿は、やはり背筋が伸びていて美しかった。だが、隙がなさすぎてどこか近寄りがたさも感じさせた。
リビングに戻るとコハクがずっと疑問に思っていたことを口に出した。
「何でセキトさんのこと隠したの?」
「ん?ああ。一応あれで公安の人間だからな。警察内とはいえ、不用意に情報を出すこともないだろ」
「でも腕付きの捜査官が入ったなんて、喜びそうだけどなぁ」
「兄貴の耳には入れとくよ。その後どうするかは兄貴次第だろ」
「ふ〜ん」
なぜかコハクがニヤニヤする。
「なんだよ」
「やっぱりちゃんと連絡はとれるようにしてるんだ」
「………兄弟なんだから仕方ねぇだろ」
やたらと自分達の兄弟仲を気にするコハクに、キトラはなんとも言えない気持ちになった。
翌日。2班の部屋ではシエンが新しい仲間として紹介されていた。
「腕付きの捜査官ということで驚いていると思うが、彼は学校も主席で卒業した優秀な捜査官だ。みんなしっかり鍛えてやってくれ」
「よろしくお願いいたします」
初めての腕付きの捜査官に、班員達の反応はやはり戸惑いが大きかった。ザワザワと話し合う声があちらこちらであがる。
そんな中をかき分けて、ゼンがシエンを連れてキトラの所へやってきた。
「キトラ。ちょっといいかい?」
「班長。どうしました?」
「いや、シエンの教育係を君にしようかと思って」
シエンとキトラが2人して驚きでゼンを見る。
「俺が……ですか?でも俺はまだ2年目ですよ。もっと適任がいるんじゃないですか?」
「う〜ん。私も色々考えたんだけど、彼は腕付きだろ。みんな萎縮してしまうと思うんだよね。その点、君はルームメイトも身内も腕付きだ。彼にみんなが慣れるまでの間だけでも面倒見てあげてくれないかな」
「……わかりました。でも仕事を教え込むのは期待しないでくださいよ」
「はっはっは。そんなに謙遜しなくていいじゃないか。君はうちのエースなんだから。じゃあ、シエン。あとはキトラの指示に従ってくれ」
「了解しました。キトラ先輩、よろしくお願いいたします」
「先輩はいいよ」
「では、キトラさんで」
どこまでも態度のかたいシエン。後輩ができるのも教育係も初めてなキトラは、さてどうしたものかと頭を悩ませていた。
その頃。コハクはご機嫌で過ごしていた。
「コハクちゃん。寮にお仲間ができて良かったわねぇ」
「はい。しかも捜査官だなんて。俺が捜査官になれたら逆にシエンくんのほうが先輩になりますね」
「そうなったら、うちも新人入れないとね〜」
あははと笑いながら、13班の3人は話に花を咲かせている。
「それで、訓練のほうは順調なの?」
「う〜。なかなか難しいです。手を使うのとは感覚が違うので」
「そう。私もやってみたけど、やっぱり何をどうしたらいいかさっぱりわからなかったわ」
「今日はキタカさんに会うので、ついでに糸の手について聞いてみようかなぁと」
「いいわね。私も応援してるから頑張ってね」
はい!と元気に答えるコハクに、「でもコハクちゃんが捜査官になっちゃうと寂しくなるわ〜」とアギが抱きついてきた。
「アギくん、手は動かして〜」と注意する班長の声を聞きながら、自分は人に恵まれてるなぁとコハクは幸せな気持ちだった。
仕事のあと、コハクはキタカと待ち合わせて晩ごはんを食べにきていた。
ファミレスで向かい合って座りながら、お互いの近況を報告する。
「アイヒさんとの生活はどうですか?」
「穏やかなものだよ。シバさんがアイヒの経験を活かそうと色々と話をしにきてくれているし、アイヒも腕付きのためにとやる気になっている。セキトさんも時々顔を出してくれるしね」
「それは良かったです」
アイヒは執行猶予がつき、シバのはからいでキタカと一緒に暮らしている。
「キタカさん自身はどうですか?糸の手について研究に協力してるんですよね。順調ですか?」
「まだ道半ばといったところだね。これは私にしかできないことなのか。腕が無いからできているのか。わからないことばかりだ。でも苦しんでいる腕付きの救いになるかもしれないなら、止まってなどいられない」
出会った頃の悩み道を見失っていた姿とはまるで違い、今のキタカは意欲に満ちていた。アイヒが慕った本来の姿はこうなのだろうと、コハクは2人が救われて本当に良かったと感じていた。
「コハク君はどうなんだい?捜査官の訓練は順調かい?」
「それが、なかなか上達しなくて。糸を手のように使う感覚が掴めません。キタカさんに糸の手の話を聞けたら、何かヒントになるかなと思ったんですけど」
「そうか。私も感覚で行なっているからな。言葉にするのは難しい。今度研究資料をコハク君に見せてもいいか聞いてみるよ」
「ありがとうございます」
キタカの優しさにコハクが笑顔になる。
「あ!そういえばキトラの班に新人が入ったんですけど、腕付きなんですよ!寮も隣の部屋だし、仲良くできるといいんですけど」
嬉しそうに顔を綻ばせるコハクを見て、キタカは親のような気持ちになってくる。
「大丈夫だよ。君なら。私とアイヒのことも救ってくれたじゃないか。その優しさがあれば大丈夫」
その後も色々な話題で盛り上がったが、アイヒが待ってるとキタカがいうのでその日は8時には解散となった。
「遅くなるとうるさいんだよ。夜も一緒に寝ないと嫌だと言うし。いつまでも子供で困るね」
キタカは笑いながらそう言うが、兄弟としての距離感がおかしくないかとコハクの胸には疑問が渦巻いた。
『でも俺が何か言うことでもないしなぁ』
結局キタカが楽しそうなのでコハクは何も言わないことにした。
寮に帰るとちょうどどこかから帰ってきたシエンに部屋の前で会った。
「シエンくん。出かけてたの?おかえり」
「コハク先輩。お疲れ様です。日用品で足らないものがあったので買いに行ってました」
コハクに見せるように右手に下げた袋を持ち上げる。中には細々と日用品が入っていた。
「あ〜。寮の収納狭いから、ストックたくさんできないんだよな。急に足らなくなって困ったら俺に声かけてよ。分けてあげるから」
ヘラ〜ッと嬉しそうに言うコハクに、シエンは不思議そうな顔をする。
「あれ?お節介やきすぎちゃった⁉︎ごめんね。嬉しくてつい……」
「あ、いえ、ありがとうございます。助かります。ただ、コハク先輩はとても面倒見がいいので驚いて。もちろんいい意味でですよ」
「ああ。俺は孤児院育ちだから。みんな助け合うのが当たり前だったからさ。誰か困ってるとほっとけないんだよ」
「……そうですか」
そっとシエンの手がコハクの頬に触れる。
「先輩は心の綺麗な人なんですね。腕付きは警戒心が強くて人と壁を作る人が多いのに」
ツッと指が頬を撫ぜる。少しの熱を含んだその動きに、コハクはまるで気づかない。
シエンが愛しいものを愛でるようにクスッと笑った。
「可愛らしい人だ。純粋で。全てを受け入れる強さがある。そんな人なら俺も………」
指が顎まで来た時に、何かに気づいてシエンはコハクに触れるのをやめた。
「明日も早いのでもう寝ます。先輩も困ったことがあれば私を頼ってくださいね。おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
ニコリと笑うコハクに手を振り、シエンが自室に入っていく。
そんな2人を、物陰からキトラが険しい顔で見ていた。




