追放された魔力ゼロの落ちこぼれ、押し付けられた妖刀を何故か使いこなして最強に至る~持ち主を呪い殺すらしいけど、吸い取る魔力がないので無問題!今更返せと言われてももう遅い~
厚い黒塗りの身に、不気味な紫色の線が渦巻く波のように走った鞘。
金色の目貫と黒色の柄巻、鍔には四枚花が刻まれており、頭には真っ白な筆先のような装飾がなされていた。
持ってみると、かなり重い。
少なくとも12歳の未成熟な少年の体には似つかわしくない逸品だ。
クロム・ジーヴェストはその柄と鞘を両手で握りながら、この刀を持つに至った経緯を思い出してみた。
♢♢♢
「クロム、お前をこの家に置いておくわけにはいかなくなった。今すぐ出て行ってもらおう」
パルメア王国の大貴族、ジーヴェスト公爵家の一室。
当主であるグラウス・ジーヴェストは、一応息子であるクロム・ジーヴェストにそう告げていた。
「そんな……僕はもう、ここにいることすら許されなくなるのですか?」
「ああ、そうだ。近々我が大切な息子のギリウスが、第二王女殿下と婚約を結ぶことになる。そのうえで、我が家にお前という存在がいてもらっては困るのだ」
父と言葉を交わすのは幾年ぶりだろうか。
普段は視界に入れようとすらしないのに、今日は何故か自ら声をかけてきて、自室へと招いてきた。
もしかすると、ようやく自分を|息子として認めてくれる《・・・・・・・・・・・》かもしれないという、淡い期待を抱いてここに来た、が。
その結果はまるで逆。
むしろ今より状況を悪くする、最悪の宣告がクロムを待っていた。
「お前もよくわかっていると思うが、お前には魔力を一切作り出せず、魔法使いとしての才能が全くない。魔術師の名家である我がジーヴェスト家において、お前という存在はあってはならないのだ」
「…………」
「亡き我が妻メルフェの意思を汲んで、屋敷外の者の目に触れないようにお前を生かし続けては来たが、それも限界だ。このままではいずれお前の存在が見つかり、必ず面倒ごとになる」
何も、言い返せなかった。
積もった埃を見るような目。
これは相談ではなくただの報告――いや、命令だ。
クロムに対する興味など最初からなく、できることならさっさと消え失せてくれと言わんばかりの目でこちらを見ている。
クロム自身もこの重く冷たい空気に耐えられず、今すぐこの場から逃げ出したいと思っていた。
「さあ、話は以上だ。後は私が手配した者たちの指示に従ってさっさと消え失せるがいい」
だが、不意に背後のドアが開く音が聞こえた。
「ふふ、父上。まあそう仰らず、この〝出来損ない〟にも一つチャンスを与えてやりましょうよ」
入ってきたのは、鮮やかな金髪を長く伸ばした、長身の美男子。
腰にバラを模した鍔を持つ煌びやかな剣を携え、その剣によく似合う派手だが美しい貴族服に身を包んだ青年。
ギリウス・ジーヴェスト。血縁上クロムの兄にあたる男だった。
「ギリウスか、何用だ」
「簡単な話です。今からそこの〝出来損ない〟と私で決闘をして、もし勝つことが出来れば此奴が私に匹敵する有能な人材として家にとどまることを許す。ただし負ければ我がジーヴェスト家が抱えている妖刀を持たせて魔物蠢く森の中に捨てる。如何でしょう」
「……ほう、面白い。確かに妖刀はクロムと同じくらい処理に困っていた不要なモノ。近々処分しようと思っていたところだが、丁度いい。流石は我が自慢の息子、素晴らしい提案だ」
「ありがとうございます、父上」
この状況に混乱しているクロムにはその話の内容がほとんど理解できなかった。
理解できなかったが、それが決して自分にとって有益な話ではないことだけは確かだと分かった。
父グラウスは顎に手を当て考えるそぶりを見せるが、すぐに口角を上げ、〝よし、やって見せろ〟と口にした。
その言葉を受けて兄ギリウスは邪悪な笑みを浮かべ、クロムの傍へ寄ってきた。
「くくく、最後くらい兄として可愛がってやろう。楽しみしておけ、ははははははっ!!」
その醜悪な笑い声が耳に飛び込み、クロムの体が震えあがった。
これから自分はいったい何をされるのだろうか。
それを想像するだけで、背筋が凍り付く。
しかし、父に今すぐ裏庭にある訓練場へ向かえと命令された以上、それに逆らうほうが恐ろしい目に合うと判断した。
クロムはしぶしぶながらも頷き、大人しく兄についていくことになった。
そして、到着する。訓練場へ。
外見はドーム状の建物で、壁に当たった魔法を吸収しエネルギーに変換する最新技術を用いた造りとなっている。
中は一対一の勝負をするには広すぎるくらい余裕がある。
兄ギリウスは奥の方で立ち、それに対峙する形でクロムが立つ。
クロムには訓練用の刃をつぶした剣が与えられ、ギリウスはどこからともなく取り出した魔法使い用の杖を握っていた。
「ルールは簡単だ。先にどちらかが意識を失うか、降伏宣言を行うまで戦う。まあ安心しろ、すぐに終わらせてやるから余計なことは考えなくていい」
「た、戦うって、どうやって……」
「ふん、お前がこそこそ訓練場で何かをしていたのは知っている。何をしていたのかは知らないが、雑魚は雑魚らしく醜く抗って見せればいい。せいぜい私たちを楽しませるんだな」
「…………」
戦う。魔法使いと、戦う。生憎とクロムにはその経験がなかった。
確かにクロムはこの訓練場を用いて毎日のように剣の修行をしていた。
クロムは魔術師としての才能が全くない故に、どうすれば自分が必要とされる存在となれるかを考えた結果、剣術を鍛えることを選んだのだ。
しかしクロムの対戦相手になってくれる魔法使いなどいるはずもなく、どうやって戦えばいいのか、そもそも魔術師はどのような攻撃をしてくるのかすら分からなかった。
その上ギリウスは魔法使いの家系として高名なジーヴェスト家の中でも、特に優れた魔法使いの才能を持つ男だという。
普通に戦っては、まず勝てない。
「では始めたまえ」
「喰らえ! ファイアーボール!!」
開始の合図と共に、ギリウスは杖を高く構えて無数の火球を打ち出してきた。
魔法としては初歩中の初歩。しかし生身の人間が喰らえば軽い火傷では済まされない。
魔法を知らないクロムでも、これは危険なものだと本能ですぐに理解できた。
〝出来損ない〟を処理するだけならこの程度の魔術で十分。
そういう自信の表れだったのだろう。
しかしギリウスは知らなかった。クロムに剣を持たせるということと、その才能を。
「至天水刀流・波流し!」
迫りくる十に近い火球。
その全てがクロムを焼き尽くさんと襲い掛かってきていた。
だがクロムは退かない。それどころか、火球群に向かって走り出した。
そして己の体をまるで波のごとく滑らせ、避けきれない火球は剣で優しく受け流す。
まるで火球と火球の間を縫うように進み、全ての火球が着弾するころにはクロムはギリウスのすぐ近くまで迫っていた。
「なっ!? バカなっ!!」
その驚きは兄ギリウスのものか、父グラウスのものか、或いはその両方か。
目の前で起きている〝出来損ない〟の信じがたい動きに困惑していた。
だからこそ、対応が遅れた。
「はあああああああっ!!」
無我夢中だった。
クロムは目の前で動けないギリウスの首を狙い、思いっきり剣を振っていた。
やらねば、やられる。その思いだけを胸に秘めて。
そして、
ガンッ――と、鈍い音が響いた。
ギシギシと、硬い者同士が競り合う音が鳴る。
恐る恐る面を上げて、その様子を見てみると……
「は、ははっ、ははははははははっ!!! 驚かせやがって! 斬れない、そうだ斬れないんだよ!! 魔力を乗せていない剣は、魔術師を絶対に斬れないっ!!」
剣は、止まっていた。
ギリウスの首の数ミリ手前。目には見えぬ壁に遮られて、止まっていた。
そう。クロムは後になって知ることだが、この世界の魔法使いに単純な物理攻撃は効かないのだ。
魔法使いの体の中から生成される魔力が、その体の表面を覆うように纏わりつき、ありとあらゆる物理攻撃をはじき返す。
その壁を貫通できるのは、同じ魔力を宿した剣を振るうものだけ。
つまり魔力を持たず、魔力を宿していない武器を振るったクロムは、最初からどう頑張ったってギリウスに傷一つつけることなんてできなかったのだ。
大量の冷や汗を流したギリウスは、己の無事と安全を再確認し、叫んだ。
そして焦りと恐怖は、段々と怒りと屈辱へと変化する。
いくら油断していたとはいえ、己の魔法をすべて見切られ、斬られかけた。
それも常日頃から見下し、蔑んできた〝出来損ない〟の弟に。
許せない。許してはならない。その感情が暴発し、いまだ何が起きているのか理解できていないクロムを強く睨みつける。
そして――
「この出来損ない野郎があああああっ!」
「うっ!? うあああああああっ!!?」
杖を高く振り上げたギリウスは、その先端に巨大な水球を宿し、それを思いっきりクロムに叩きつけた。
慌てて剣を両手で持ちその杖を受け止めたが、その剣は所詮訓練用。
ギリウスの怒りの一撃を受け止めて、耐えきれるはずもなかった。
その刃はぽっきりと折れ、水球を叩きつけたことで発生した滝のような水流の衝撃をその体全体で受け止める羽目になったクロムが、思いっきり地面へ叩きつけられる。
そのまま倒れこんだクロムの腹に、ギリウスの靴がめり込んだ。
「うぐっ!! あぁっ……」
「この出来損ないがっ! この俺に、なにをした!? お前ごときがこの俺に一撃を加えようだなんて、夢見てんじゃねえよ!!」
「ぐっ、あっ、うぅっ……」
何度も何度も執拗にクロムを踏みつけるギリウス。
息も口調も荒くなり、激情に支配されている。
年も離れ、体格も全然違うギリウスの暴力。その恐怖から、クロムは一切抵抗が出来ないでいた。
もはや勝負と言えない一方的な蹂躙となっているが、父グラウスはこの試合を終わらせようとはしなかった。
「よく見ろ。ファイアーボールだ。さっきてめえが生意気にも避けやがったこの魔法、今度はちゃんと喰らって見せろよ」
「や、やめ……」
「やめる分けねえだろうがっ! いけっ!!」
「ひっ――あ、あああああああっ!!」
そこで、クロムの意識は途切れた。
それを確認したギリウスは、ようやく杖を下ろして息を整えた。
全力に近いファイアーボールを叩き込まれたクロムの体は、酷い火傷を負っていた。
「はぁ、はぁ。チッ、こんな奴につい熱くなっちまった。クソが」
まるでゴミを見るような目で倒れたクロムを見下し、ギリウスはグラウスに一言〝後はお任せします〟とだけ言って去っていった。
グラウスは愛する息子に〝よくやった〟と声をかけ、
「……おい、妖刀を持ってこい。ただし持ってくる際に絶対に鞘から抜くなよ。アレは抜いたものの魔力を全て食らいつくす呪われた刀だ」
近くで待機させていた従者を呼び出し、そう指示をした。
そしてグラウスはクロムのもとへ歩き寄り、はぁとため息をついた。
「妙な技術を身に着けたようだが、結局は魔法使いの成りそこないであることに変わりはなかった。やはりお前は我が家には不要な存在だよ」
その言葉はクロムの耳には届いていないだろう。
もう顔を見ることもないであろう、息子だった少年に、背を向けた。
「あの呪われた妖刀は大昔、我が祖先が使っていた刀らしい。だからなかなか捨てる決心がつかなかったが、いい機会だ。どうせ誰も扱えやしないあの刀は、お前にくれてやろう。まあ、名目上は盗まれたことにしておくがな」
♢♢♢
「うぅ、痛い……」
思い返すだけで、傷が痛む。
ギリウスに撃ち込まれたファイアーボールによって負った大火傷は、もちろん治してなんてもらえるはずもなく、ボロボロになった状態のままこの森の中に捨てられたのだ。
今、クロムの手にあるのは〝抜いたら終わり〟とだけ告げられ押し付けられた妖刀一本。
「……僕はここで、死ぬのかな」
正直、どうしようもない状況だ。
もう立ち上がる気力すらもなく、地を這ってでも生きようという気概も消え去ってしまった。
〝僕なんて、生まれてこないほうがよかったのかな〟
そう、考えてしまった。
今まで抑え込んできた、ずっとずっと抱え込んできたその言葉。
母にその言葉を言ったとき、思いっきり頬を叩かれたのを今でも覚えている。
〝この世界に生まれてきてはいけない命なんてありません〟
そう諭されて、その時は納得した振りをした。
でもいつまでたってもその疑問は頭の中から消えなくて、とうとう死を目前として我慢が利かなくなってしまっていた。
「ごめんなさい、お母さん、師匠。僕はもう……」
その先の言葉は、猛獣の咆哮によって遮られた。
耳をつんざくような爆音だ。
思わず体が震えあがり、傷がさらに痛みだした。
「ひっ……」
現れたのは、巨大なクマのような生物だった。
鋭い爪、鋭い牙。クロムの身長の倍はありそうかという巨大な魔物を前に、クロムは恐怖した。
だが、震えは間もなくしてピタリと止まった。
「……そうか、キミが僕を殺すのか」
そう分かった瞬間、不思議と恐怖はなくなった。
死んだら余計なことを、考えずに済む。
こんな惨めな思いを、しなくて済む。
死んでしまえば、全てが――
――ふざけるな! 死んでは何も為せぬだろうが! 死んでも生きろ! 生きて我が剣術を極めて見せよ!!
あぁ、そうだ。一度、師匠に向かって〝もし死んじゃったら、楽になれますか?〟って聞いてしまったことがあった。
それは無念のうちに死んだらしい師匠を激高させ、その日の修行が一段と厳しくなったことをよく覚えている。
生きていれば、何でもできる。
本当に、こんな僕でも、生きていれば、何かできるのかな。
死んでしまえば、掴めたはずの幸せが、掴めなくなってしまう。
「やっぱりちょっと、死ぬの、怖くなっちゃった」
そして、クロムは手をかけた。
抜けば死ぬと言われた、妖刀の柄に。
あれだけクロムを始末したがっていた父たちが言うのだから、きっとこの妖刀の呪いは本物なのだろう。
だけど、このまま何もしなければ、クロムはただ殺されるだけだ。
だったら一縷の望みにかけて、抗ってみよう。
殺されるのではなく、自らの意思で死んで見せよう。
「はああああああっ!!!」
ボロボロの体に鞭を打って立ち上がり、迫りくる魔物に向かって思いっきり妖刀を振り下ろした。
そして、世界が割れた。
「……え?」
鞘から解き放たれた妖刀は、魔物だけに留まらず、その直線状にあったすべてを斬り裂いた。
木も、岩も、大地すらも。
「ガ、ァ……」
魔物が、落ちた。
クロムは、目の前の状況に唖然としていた。
そのまま妖刀に突き動かされるように再び刃を鞘に納め、座り込んだ。
そして――
「……あれ、生きてる?」
クロムは生き残っていた。
鞘から抜いたら終わりといわれた妖刀を抜き、そしてその力を行使したにも関わらず、クロムは生き残った。
さらに――
「うわっ!!」
妖刀からもくもくと紫色の煙が噴き出し、クロムの体全体を包み込んだ。
すると体の痛みと傷がすべて消え、妖刀のサイズがクロムの体格に合わせるように小さくなっていた。
妖刀が、クロムを主として認めた、何よりの証拠だった。
「ぼく、助かったんだ……」
だけど今のクロムはそんなことはどうでもよくて。
クロムは死ぬ覚悟で妖刀を抜き、結果生き残った。
その事実をただ、喜んでいた。
これもまた、後になって知ることだが、実は魔物もまた、魔法使い同様物理攻撃が利かない存在であった。
しかしクロムは、魔物を斬った。
魔力を一切持たないクロムが、斬った。
つまり今この瞬間――この世界に、魔法使い及び魔物を斬れるただの剣士が誕生したのだ。
♢♢♢
人は生まれながらにして平等ではない。
貴族に生まれるか、平民に生まれるかという環境の差。
容姿が優れているか否かという個体差。
そして、そんなことよりもずっと大事なこと――魔法使いとしての才能をもって生まれるか、否かという、この世界における絶対的な力関係の差があった。
クロム・ジーヴェストは、持たざる者だった。
大貴族ジーヴェスト家の末っ子として生まれ本来ならば何一つ不自由することなく育つはずだった彼は、わずか12歳にして家を追い出されることになった。
その理由は単純にして明快。
クロムはこの世界において最も重視される魔法使いとしての才能――いや、魔法を行使するうえで絶対的に必要な魔力というエネルギーを一切生み出せない体に生まれてしまった。
ただ、それだけだ。
それだけの理由で、彼はその家名を名乗ることすら許されなくなるのだ……
♢♢♢
「あ……おはよう、ございます」
たまたま廊下ですれ違った使用人の女性に挨拶をする。
だが、彼女からの挨拶が返ってくることはなく、一瞬だけ哀れみすら含んだ冷たい目でこちらを見て、そのまま去って行ってしまった。
それからも誰かが近くを通るたびに挨拶をするが、誰一人として彼に挨拶を返す者はいなかった。
「…………」
クロム・ジーヴェストは、存在しない人間だった。
いや、存在しないものとして扱われている、というのが正しいか。
そのことをよく理解していても、声をかけた相手は一瞬だけ振り返って自分を認識してくれるという小さな反応を得るためだけに、挨拶を欠かしたことは一度とてなかった。
わずか12歳の少年であるクロムは、そうでもしないと心が耐えられなかったのだ。
「……今日も挨拶、返してくれなかったな」
当たり前のことだ。
それでも、これが異常であるということを忘れないために、ちゃんと自分の口で言葉にした。
そしてちょっとだけ潤んだ眼をこすってごまかし、その身を投げるようにベッドへと飛び込んだ。
屋敷の隅にある小部屋。ベッドと机と椅子と、その他ちょっとした小物以外置かれていない雑なこの部屋が、クロムの自室だ。
これでは住み込みの使用人の部屋のほうがまだマシだ。
それでも、今のクロムは部屋があるだけありがたいと思うしかなかった。
だからうつ伏せになって枕をかぶり、余計なことを考えないように抑え込む。
そしてしばらく待っていると、コンコンと、軽く扉がノックされた。
それを聞いて飛び上がったクロムは、大急ぎで走ってドアノブを引く、が。
足下にお盆に乗せられた食事が置いてあるだけで、それを持ってきた主はすでにその場から消えていた。
いつも通りだ。存在しない者であるクロムは、家族とともに食事をとることも当然許されていない。
基本はこの小さな部屋で、運ばれてきた食事をとる。
それがクロム・ジーヴェストの――この屋敷の主であるジーヴェスト公爵家の末子の日常だった。
「……なんで僕だけ、魔法使いの才能がなかったのかな」
いったい何度、その問いを口にしただろうか。
クロムは生まれながらにして魔力――魔法を行使するために必要なエネルギーを生み出すことが出来ない体だった。
それはこの世界において非常に珍しい、ある意味希少な体。
だが、それは代々優秀な魔法使いを輩出する名門貴族であるジーヴェスト公爵家においては、その存在自体があってはならないものだった。
母の体から生まれ落ちたばかりの赤子を殺すべきかどうかを悩まれたくらいだという。
しかしそれは第二夫人である母がそれを全力で拒絶したおかげでクロムは生かされた。
それでも世間的にはクロムは生まれなかったことにされ、屋敷の中に閉じ込められてその存在を完全に隠匿されてしまった。
そのうえ当主である父グラウスは、クロムのことを〝お前など生まれてこなければよかった〟とすら言い放ち、兄弟を含めた屋敷のすべての人間にクロムと関わることを禁じたのだ。
唯一母だけはそれに背いてこっそりとクロムに愛情を注いでくれたが、その母もクロムが7歳の時に病で命を落としてしまった。
それからこの家で彼を味方してくれる人は、一人もいなくなった。
「……剣の修行、しよう」
味気のない料理を乱暴に胃へと放り込んで、クロムはさっと動きやすい服装へと着替えた。
そして〝ごちそうさまでした〟と書いた紙きれを乗せたお盆をドアの外へと置き、窓から外へと飛び出した。
クロムはこの屋敷で暮らすにあたって主に二つのことを禁止されている。
それはこの屋敷の外へ出ること。そしてこの屋敷内で客人の目に触れること。
つまりクロムは正面玄関を使うことが出来ないのだ。
しかし逆に言えばこの二つさえ守れば基本的に何をしても咎められることはない。
部屋の窓から出た先は基本的に客人の目に触れることのない屋敷の裏側。
そして彼が走った先には、広い訓練場があった。
外見はドーム状の建物で、壁に当たった魔法を吸収しエネルギーに変換する最新技術を用いた造りになっている。
早朝や夕方などは父や兄などがこの訓練場を使うので近寄れないが、この時間はほとんど人が来ないので実質貸し切りのようなものだ。
クロムはさっそく簡単に準備運動をして体をほぐす。
そして、
「ふーっ……」
大きく息を吸い込んで、吐いた。
ここには様々な訓練道具があるが、クロムにはそれを扱う権利がないので、持ってきた剣代わりとなる重い鉄の棒をぐっと両手で握りしめた。
そして目をつむり、深く集中し、頭の中でゆっくりと思い出す。
「――いいか。お前の動きには無駄が多すぎる。如何にその場から最短で敵を斬るか。それだけを考えろ」
剣の師匠がクロムに叩き込んだ動き、心得を何度も反復し、それに合わせて舞を踊るように体を動かした。
師匠――クロムは彼のことをそう呼ぶことしかできない。
何故なら名前も、顔すらも知らないからだ。
だけど、師匠は母親を喪ったあの夜に、突拍子もなく現れた。
「小僧、なかなかいい才能を秘めておるな」
母の死を知り、その死に目に立ち会うことすら許されなかった彼は、真夜中に人知れず飛び出して一人で泣いた。
声が屋敷の中にすら届かない裏庭の隅で、涙が枯れるほど泣いた。
泣いて泣いて泣き疲れて、これからどうしようとうずくまっていたところに、彼は現れた。
果たしてそれは寂しさからクロムが作り出した幻覚だったのか、あるいはその場に棲みついた幽霊だったのか。
その真相は今でもわからないけれど、うっすらと浮かび上がった映像のような体でクロムに近づき、剣を教えようかと言い放ったのだ。
「……強くなれば、みんな僕のこと、ちゃんと見てくれるかな」
「ああ。高みに辿り着けば、いつか必ず貴様の剣を称える者が現れる。魔法使いになれなかった小僧ではなく、強き剣士となったクロムとして見てくれる者が、必ずな」
どういうわけか、彼はクロムのことをすべて知っていた。
クロムは彼のことを何も知らないのに。
でも、それに〝どうして?〟という疑問を抱くことよりも、目の前に現れた希望に縋りつくことを選んだクロムは、何も聞かず彼に剣を教わることにしたのだ。
それからの二年は、あっという間だった。
屋敷の中では誰も相手をしてくれないけれど、外に飛び出せばクロムを弟子として扱ってくれる師匠がいる。
剣の修行は途轍もなく苦しく大変だったけれど、それでもとても楽しかった。
師匠の言う通りクロムには才能があり、みるみるうちに師匠の教えを吸収し、体格も年齢に見合わぬほどしっかりとしたものに仕上がっていった。
そして母の死からおよそ二年と三か月経ったある日。
いつになく重い雰囲気を纏いながら、クロムにこう言った。
「剣を教えるのは、今日が最後だ」
「えっ!? ど、どうして!?」
「この二年で貴様に教えることはなくなった。ワシは次の才ある者を探しに行く」
「そ、そんなっ! まだ僕なんて――」
「剣を執れ。最後にワシを打ち破って見せよ」
そう言って師匠は一振りの刀をどこからともなく取り出して、クロムに投げ渡した。
クロムはいつものようにそれを受け取り、無言で鞘から刀身を抜き出した。
当然父には剣など買い与えられるわけもなかったので、こうして師匠が謎の力で用意した刀を借りて修行をしていたのだ。
師匠は〝我が流派を一人でも多くの者に受け継がせたい〟と言っていた。
だからこそ死してなお現世を彷徨いながら、クロムのような才ある者を探し求めているのだという。
「……さあ、来るがいい」
「――いきます」
いまだ自分は未熟者であり、もっと教えを請いたいということ。
そして何より、また一人ぼっちにさせないでほしいという引き止めの願い。
言いたいことはたくさんあった。
だけど、刀を抜き己を倒して見せよと立つ師匠を前に、それを口にすることはできなかった。
クロムは大きく息を吸って、師匠の足の指先から頭まで、その動きを余すことなく観察し様子を伺う。
先に仕掛けたのは、師匠だった。
幾度となく見て、真似をした動き。己の体を水流のごとく滑らかに滑らせ、敵に迫り、相手が防御行動に入る前に斬る。
凄まじい速さ。だけど僕はその動きを完璧に目で追い、頭が指示を出すよりも前に体を動かしていた。
「――っ、はぁっ!!」
クロムの刀が、師匠の刀に触れる。
だがそれは単純な力の競り合いとはならず、クロムがその衝撃をやさしく受け流すと同時にその下に潜り込むように体を滑らせ、そして斬った。
「ぐ……」
勝負は、一瞬だった。
クロムの勝利だ。
わずか9歳にして彼は師匠を上回っていたのだ。
「……見事だ」
「ぼくの、勝ち……?」
「そうだ。これで本当にワシが教えることはなくなった。あとは貴様自身でその腕を磨くがいい」
「……でも」
「……さらなる極意が知りたければ、さらに腕を磨き、ワシが死した地へと来るがいい。ただし生半可な強さでたどり着ける場所ではないぞ。だがもし、その地へ達することが出来たならば、貴様はこの世界における最強の剣士を自称することが許されるだろう」
最強の剣士。
その響きに、クロムは強く惹かれた。
最強になれば、誰もがクロムのことを認める。
出会ったときに師匠が言っていたように、出来損ないのクロム・ジーヴェストではなく、最強の剣士クロムとして見てくれる。
「最後に、我が流派の名前を教えておこう」
「流派の、名前?」
「至天水刀流。流れる水の如き刀は、やがて天へと至る。今は廃れたこの流派は、古代剣術において最強と呼ばれていた。今日より貴様の剣術をそう称することを許そう」
「至天水刀流……」
「これからもその名に恥じぬ剣士となれるよう精進するがいい。では、さらばだ」
「あっ、師匠――」
別れの言葉すら言わせてくれぬまま、師匠はどこかへと消え去ってしまった。
酷い人だ。でも、こうしてくれたほうが、クロムにとって良かったのかもしれない。
取り付く島もなく去ってしまった師匠を、クロムは追おうとしなかった。
どうせ何を言ったとしても無駄だっただろうと理解していたのもある。
また孤独になってしまったという事実から目をそらすために、クロムはいつも通り、そこに師匠がいるものとして剣の修行を再開するのだった。
♢♢♢
鳥が鳴き、木々が揺れ、動物たちの声が響く。
世界が斬られるという異常事態に、森の喧騒は消え、ほんの一瞬だけ静寂が場を支配したが、すぐに森はいつもの活気を取り戻す。
否、むしろ以前より激しくなった森の声は、クロムの耳に強く響き、彼を現実へと引き戻す。
「……これからどうしようかな」
彼の手には鞘に収まった妖刀が一振り。
先ほどまで禍々しい妖気を放っていたそれは、一転して大人しいただの小振りな刀となっていた。
目の前にはこの刀が切り開いた一直線の道が彼方まで伸びている。
ただし地面も大きく切り裂かれているので、そのまままっすぐ進むことは出来ないが。
「傷……は塞がってるけど、服がボロボロだなぁ……」
首を下に向けて、自分の体を確かめる。
妖刀が放った不思議な煙に包まれた影響でギリウスから受けた傷は全て回復しているが、彼の身を包む服はその大半が焼け焦げて失われてしまっている。
ここまで運ぶ上で不都合だったのか、全てが燃え尽きる前に消火されていたようだが、当然着替えなんてものが用意されているはずもない。
「ま、いいか。もともと死んじゃうはずだったから、生き残れただけでラッキーだよね」
しかしクロムはこの状況を前向きにとらえることにした。
死ぬ覚悟で抜いた妖刀がまさか自分を救ってくれるだなんて思ってもいなかったのだ。
これを幸運と言わずしてなんと言う。
とはいえ、これからどうするかという問いへの答えはまだ見つかっていない。
そもそもクロムは生まれてこの方、一度もジーヴェスト公爵家の敷地外に出たことがないのだ。
だからこそこの森がどこにあるのかも知らないし、どこへ向かえば人に会えるのかも分からない。
「ここにいても仕方がないし、とりあえず歩いてみようかな」
クロムには今思っていることを口に出す癖があった。
誰とも会話をして貰えない状況に置かれていたクロムは、こうして時々言葉を発しないと喋ることを忘れてしまう恐れがあったのだ。
いつ誰に話しかけられてもちゃんと言葉を話せるように。
自分が言葉を口にする一人の人間であることを忘れないようにするために。
独り言をぶつぶつと呟きながらクロムは歩き出した。
当然行く当てなどあるはずもないので、妖刀が切り開いた道を進むことにする。
木々が生い茂っていてあまりよく見えないが、その先はどうやら山があるようだ。
人、いなさそうだなぁと思いながら、崖のようになっている大地の傷跡のすぐ横を歩く。
「グルルルルルル――」
「ん?」
道中、腹の虫と勘違いするような音が聞こえてきたので振り返ってみると、そこには鋭い牙を白く光らせる凶暴そうな狼型の魔物が数匹。
こちらを威嚇しながら食らいつくタイミングを窺っているようだ。
それを見たクロムの手は自然と妖刀の柄に伸びていた。
「……大丈夫、だよね?」
妖刀に問いかける。
当然答えなんて帰ってこないけれど、口に出さずにはいられなかった。
先ほどは奇跡的にこの刀を抜いても生き残ることができたけれど、次も同じように助かるとは限らない。
せっかく拾った命だ。こんなところで失いたくはない。
だけど――
「己の刀に命を預けられぬ者に剣士を名乗る資格はない――でしたよね。師匠」
師匠が口を酸っぱくして言っていた言葉を思い出す。
どちらにせよここで抵抗しなければ自分はこの魔物に食われて終わりなのだ。
そして自分が扱える武器は現状妖刀しかなく、この魔物相手に素手で殴りかかるなんて無茶な真似はできない。
ならばもう、やるしかない。
クロムは勢いよく鞘から刀を引き出した。
鮮やかな紫色の刀身。
もしこれがショーケースの中に展示されていたら、見る者の目を奪い取るであろう美しさだ。
だがその実態がとんでもない暴れ馬であることをクロムは理解している。
この刀は〝斬れすぎる〟のだ。
でも、
「どんな剣だって扱って見せる。だって僕は――」
地面を強く蹴り、勢いよく狼の群れへと突っ込む。
水流の如き滑らかな動きで距離を詰め、反応が遅れた正面の狼に対して真向斬りを仕掛けた。
極限まで集中力を高め、最適な力加減を模索しながら刀に呼び掛ける。
自分が斬りたいものは何か――それを明確にイメージする。
「うぐっ――ああああああっ!!」
だが――その刀身は急激に重さを増し、クロムは気が付けば力任せにそれを振り下ろしていた。
自らの意思で剣を振ったのではなく、剣の意思で勢いよく振らされた。
そしてその勢いを受けた世界が割れる。
最初に放った一撃ほどではないが、大きく森が開け、大地には深い傷跡が刻み込まれた。
当然狼も真っ二つに割れ、大量の血を吹き出しながら絶命していた。
「はぁ……はぁ……凄いな、この刀。でもなんとなく分かったよ、キミのこと」
クロムは息を切らしながら、残った狼たちに目を向ける。
目の前で信じがたい現象が起こったことに驚いているのか、彼らの足は少し後退っていた。
だが、すぐに首を振り、大きく咆哮してから大口を開けて飛びかかってくる。
「ふっ――!!」
次に選んだのは一文字斬り。
妖刀を構え、横一文字に振るう。
優しく、撫でるように。それでいてその身を確実に引き裂く。
先ほどは敵を殺すという意思が先行し過ぎたのだ。
だからこそ妖刀にその意思を吸われ、望まない強力な一撃へと発展させてしまった。
ならば今度は、己の感情を制御し確実に斬りたいものだけを斬る。
そして――
「……ちょっとやり過ぎたけど、まあこれくらいならセーフだよね?」
三匹の狼の魔物は横半分に割れ、地面に落ちた。
よく見るとその後ろの大木が何本か音を立てて崩れ落ちていたが、これまでの失敗と比べたら被害はかなり抑えられたと言えるだろう。
だが、この妖刀を完全に制御するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
でもそれでいい。
この妖刀が真の意味で自分の剣と成った時、剣士としてより高みに至る。
クロムはそう確信していた。
「僕はいずれ最強の剣士になる。それが僕が初めて手に入れた生きる意味。人生の目標――夢だから」
自分に言い聞かせるように、自らの夢を再度口にした。
魔法使いになれなかったクロム・ジーヴェストは妖刀を抜いたあの瞬間に死んだ。
かつてのクロムはジーヴェスト家に認められたかった。
父に息子と呼んでほしかった。兄に弟と呼んでほしかった。
みんなと会話をさせて欲しかった。
でも。そんな過去の未練はもう捨てよう。
あんな小さな家で認められなくたっていいんだ。
僕はやがて世界で誰もが認めてくれる最強の剣士になる。
その夢さえあれば、きっと生きていける。
「見ていてください。お母さん、師匠」
今は亡き、大切な人たちに宣言する。
この瞬間、クロムの人生はようやく動き出したのだ。
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