ベーリング陸橋を渡った角竜
丹波の地を訪れたのは、日没がもっとも早いとされる冬至十日前頃。城跡から夕映えの篠山盆地をのぞむ。
「目の前に拡がる白亜紀の地層に1億数千万年間、眠り続けてきた丹波竜。最初の肋骨化石発見に導いてくれたのは、この若くて力強い篠山川だ。恐竜化石は<地球が私たちに遺してくれた知的財産>。丹波の大地には、苦悩しながら生きている私たち現代人に宛てた、太古の地球からのメッセージが秘められているように思えてならない。この地に赴任して四十年余り、すっかりメッセージ解読の虜に……こよなく愛している地ですね」
眼下に見晴る篠山層群を股にかける化石ハンター足立洌氏。丹波竜「タンバティタニス」を皮切りに、恐竜の陰に暮らしたほ乳類ササヤマミロス、ベーリング陸橋を渡った角竜ササヤマグノームスと、進化史の鍵を握る化石を立て続けに大発見。山麓の風景に、かつて彼らが息づいていた白亜紀の地球を重ねる。鶴瓶落としの夕陽は山の稜線に沈んでいった。
「ここは戦いを知らぬ城。江戸時代は天下泰平の代が続くわけですから。それまでは、あの八上城が室町時代からの拠点だった。」
足立氏は遠くの高城山を指さす。
「織田信長の丹波攻略の要所だったが、平和な世に山城は不便でね。慶長十四年(1609年)、家康の命でこの盆地に篠山城が築かれた。
唯一、危なかったのは幕末。戊辰戦争が勃発した。京都から出た官軍が「宮さん、宮さん」(トコトンヤレ節)と迫りくる。「幕府につくか! 官軍につくか!」 命運をわける採決に、藩主不在の城内は大わらわ。老中、側用人、留守居役たちが顔を揃えて喧々ごうごう談義。切羽つまっても、内輪揉めばかり。決着がつくまで、官軍は○○宿で待った。それで観念して「官軍につきます」と。だから、戦いは知らないまま」
「丹波篠山の中心街そのものが篠山層群。道路工事しても、城の堀をさらっても、恐竜時代の化石が出る」
そう聞いて城下町を歩くと、時が交錯していると感じる。往来する人々の時と、踏みしめる大地の時。ひいては城郭が築かれた慶長と、篠山層群に記憶された前期白亜紀……
ふつう、古生物学に動かぬ証拠はない。近縁種とか祖先筋とか、ピンポイントに身元が特定できない化石ばかり。しかし、今度ばかりは張本人が出現。どんな角竜がいつ、ベーリング陸橋を越えて渡米したかを突きとめた。物証の鍵を握るのは、篠山層群の角竜化石ササヤマグノームス。発見者は足立氏だ。
「2007年10月21日、丹波篠山市宮田から小さな歯一本を発見。てっきり、貝化石かと思った。歯の筋をホタテ貝の放射肋と勘ちがいしてね。
人と自然の博物館の松原尚志先生に持ちこむ。貝化石の大家の彼はルーペで覗き「貝じゃない。歯の化石ですね」と残念そうに一言。一方、隣で無関心だった三枝春生先生は興味津々。俄然、身を乗り出す。歯は三枝先生の手に。
かくして、歯の主探しが本格始動。トカゲ説に始まり、絶滅ほ乳類の多丘歯類説、原始的な角竜ネオケラトプス類と、徐々に核心へと近づく。それでも十年間、音沙汰ない時期もあった。体調悪化して闘病中の三枝先生から、田中公教先生にバトンタッチ。
17年の歳月が流れて、忘れかけた2024年9月3日、新属新種の角竜ササヤマグノームス・サエグサイと発表。おびただしい研究ノートを遺して病没された三枝先生の功績への献名だった。
発見地の宮田は篠山総群の底の底。約1億1000万年前の前期白亜紀のアルビアン期の大山下層に当たる。その数百万年後、はるか北米大陸の西部に、彗星ごとく現れた角竜アクイロプス。この北米最古(1億800万年前)の角竜は、アジア最東部の角竜化石ササヤマグノームスの最近縁と判明。すなわち、彼らこそ約1億1000万年前、ベーリング陸橋を越えて渡米した角竜だと張本人が発見された類稀れな例であった。




