第7之幕 25人の勇者と『TOKYO』の魔王
第7之幕
丘陵地帯から海へと向かう平野をぐるりと取り囲んだ堅牢な市壁の内側。正面の大門から数キロ内側の第一地区に位置する見上げるような石造りの建築物こそがこのアドリアナ公国、アドリアナ大公の居城であった。
「ようこそ参られた、25人の勇者さまよ。余がこの国の大公クレイン・アドリアナ三世である」
その広い貴賓室にアドリアナ大公の声が響き渡る。屈強な肉体、顔を斜めに横断する大きな傷。これはアドリアナ大公が単なる貴族ではなく剣や武技にも秀でた歴戦の勇士であることを物語っている。
奥の座には美しい姫君。ブーゲンビリヤの花びらを王冠がわりに巻いた小さくて形の良い頭。まだまだ少女でいたいけな雰囲気を漂わせているが、憂太はその姫君に何か大きな「力」を感じた。何かしら自分と似た「力」。この世界に漂う魔力のようなものとは異彩を放っている。
憂太は周囲を見渡した。思った通りそこにいるのは憂太のクラスメイトたちだ。まだこの「異世界転移」という状況を完全に理解していないのか、皆、不安げな表情をしており、遅れてきた憂太を気にする者は誰もいない。
この大公の居城まで案内してニアとエリユリは奥へと消えた。「ちょっと準備してくるから。まったね~」、そう言われてこの貴賓室に放り込まれたのだ。何が何やら分からないクラスメイトたちとともに憂太も壇上の大公を見上げる。
「我々が勇者さまらをあちらの世界からこちらへ召喚したのは、端的にこの世界を救っていただくためだ。今、この世界は『空亡』と呼ばれる災厄に見舞われておる。この『空亡』の厄介なところは、我々の剣や魔法では効果が薄い異形の魔物が多く発生することにある。そのために、これらを打ち倒す我々とは別の力を持つ皆さまに、これら『空亡』の魔物を是非、撃退していただきたいのだ」
憂太の周囲がざわつき続けている。「くうぼう、って何だ?」「何これ。私たち、魔物と戦わされるの?」「もしかしてこれ、ドッキリじゃなく本物の異世界転移ってやつ?」「やだ。怖い! お母さん、帰りたい!」
それはそうだ。普通の生活をしていたら『空亡』なんて呪術や四柱推命の言葉、知るわけがない。憂太だっていまだ「異世界転移」なんて状況、夢か現実かはかりかねている。だが状況的にそうとしか言えないものを憂太はすでに見てきた。
この「勇者(仮)」のクラスメイトたちの喧騒を気に留めずアドリアナ大公は続ける。
「『空亡』の魔物の出どころもすでにわかっておる。実は『空亡』は今に始まった話ではない。過去に何度もこの世界は『空亡』に脅かされてきた。そしてその度に、選ばれし勇士が召喚され、『空亡』が収まるまで戦ってくれたのだ」
「これが初めてではない、……ということは僕たちの前にもこのように呼び出された人がいたっていうことですか!?」
クラス委員長の砂川修が質問の声を上げる。眼鏡姿の優等生。寡黙で自分が集中したいもの……つまり勉学などに打ち込むと周囲が見えなくなる協調性のないタイプだ。アドリアナ大公は静かに頷く。
「そうだ。だが『空亡』は何度収めても、止むことを知らぬ。それには理由があってだな……。この公国の辺境の丘に古の遺跡がある。その遺跡はダンジョンへの入口となっており、異形の魔物はそこから出現してくる」
「つまり……。予想が外れていたら申し訳ないのですが、これまでの勇者たちはその『空亡』の要因となるダンジョンを攻略できなかった。ゆえに『空亡』が繰り返し訪れ、大公は僕たちに『空亡』の要因となる魔物を討て……と」
アドリアナ大公は目を丸くした。
「……誠に言いづらいのだが……。さすが双子世界の勇者さま。概ねその通りだ。そしてそのダンジョンは他のダンジョンとは違ってな。とてつもなく広い上、異国の街の風貌を見せておる。過去の勇者さまもそのダンジョンで魔物を撃退してきたのだが、ついには諸悪の根源たる魔王まで到達することができなんだ……」
「異国の街……? 魔王……?」
委員長の砂川は身を乗り出す。
と同時に背後からドアが開く音が聞こえた。
そして聞き慣れた声が聞こえてくる。
「大公さま! そのダンジョンについては、すでに勇者さまが一人、式守憂太さまがすでにご覧になっております!」
「なんと! ニアよ。それは誠か……?」
「はい。うちらはそこで憂太さまを発見したのでございます」
この声は……。
「ニ、ニア……?」
憂太は背後を振り返る。その目に映ったのは服装こそ着飾っているが確かにニア。ここまで憂太を連れてきてくれた獣人族の少女だ。そして。
「えへへ~。私も来ちゃったぁ」
ひょこっとニアの背中から顔を出す。エルフ族のエリユリだ。正装の緑色のドレスを身にまとっている。エリユリは憂太を見つけて、にこにこの表情でこちらに手を振った。
ニアはいつも以上に姿勢を正し、憂太のもとへとつかつかと歩み寄ってくる。
「憂太さま。ぜひ、あのダンジョンでの体験をご学友にも聞かせてあげては? 大公さまやうちらが説明するより話は早いと思うんだけど」
「え……でも……」
「さあ、憂太さま。うちらと見てきたことを早く」
「いや……急に……。それに僕の言うことなんて……」
ハッ!と冷たい悪意のある視線に気づいて憂太は周囲を見渡した。気づけばクラスメイト全員が憂太を見ている。ここへ来る前の記憶が蘇る。そうだ。これまでも僕が何を話したところで、こいつらは信じてくれなかったじゃないか。そんな僕が説明したところで……。
「はあ? 憂太さまぁ?」
思った通り、最初に声を発したのは久世祐一だった。
「このオカルト野郎がこの状況の何を知ってるって言うんだよ!」
玉響高等学校きっての問題児。教師の前では大人しくしているが、幼少期から躰が大きかったからか、常にガキ大将を気取っている。
機嫌がいい時は割とにこやかだが、まったく理不尽に、そして気の向くまま暴力を振るう。人の痛みというものに疎いまま育ち、人のものを過度に欲しがる。自分の思い通りにならなければ殴る蹴るは当たり前。いわゆる王様気質であり、ちょっとでも自分より偉そうにしている人間がいればカチコミに行く粗暴な性格の持ち主だった。
憂太にとっては天敵。イジメっ子。憂太が金持ちで成績も優秀ということもあり、それが気に食わないのか特に憂太は久世の標的にされていた。
久世はひそひそ声のクラスメイトたちをかきわけて憂太の下へとズカズカと近寄る。そして胸ぐらを荒っぽく掴んでグイと引き上げた。
「そもそもお前、遅刻してきといて、ごめんなさいもなしかよ。お前が来るまで俺ら別室で延々、待たされてたんだぞ。俺らを待たせるなんて偉くなったもんだなコラ、ああ? 式守! なんか俺らに言うことあんだろ?」
憂太はとても久世の目を真正面から見ることができない。視線をそらし、されるがままになっている。足元はつま先がようやく着くぐらいにまで引っ張り上げられている。
他のクラスメイトたちもこれを止めようとする者はいない。多くは怒った久世に関わりたくない。しかしそもそも憂太のことを薄気味悪く思っている者が多数。クラスのカーストの最底辺にいる憂太に長時間待たされた不満。憂太に好印象を持っている者はほぼいないのだ。まさに四面楚歌、絶対絶命。数人の哀れみの視線を受けながら憂太は斜め下を向くしかなかった。
ブクッ……ブクブクッ……。
心の中から破壊衝動が息を吹き出す。母に捨てられた想い、学校で味わった孤独、そして過剰なまでの母からの期待、父への空虚感……。これらが残穢となり憂太に”呪い”の枷をはめる。
「おら、黙ってんじゃねーよ。言うことあんだろ? 俺たちどんだけ待たされたと思ってるんだ? ああ?」
「……僕の……せい…じゃ…い」
「はあ? 聞こえねえよ。もっとハッキリ喋れよ」
「……ぼ、僕のせいじゃない……」
「なんだと?」
久世は完全に頭に血が上ったようだ。怒りに任せて拳を振りかぶる。まただ。いつものことだ。殴られる。痛いのは嫌だ。
憂太はギュッと目を瞑った。
やっぱり異世界に来ても、僕はいじめられっ子か……。
全てが嫌になった。これが現実でも夢でも”呪い”でも何でもいい。どうせ今から僕は痛い目に遭わせられるんだ。それならばいっそ……。
心の中の破壊の想いと哀しみがぶつかった。そしてその勢いで久世を睨みつけた。ところが。
久世の視線は憂太を見ていなかった。額にはびっしりと汗をかいている。そしてその拳は……。
久世にとっては「驚いた」なんてものじゃなかった。
まず、この少女の身のこなしが見えなかった。
自分の拳が、少女の小指一本で完全に受け止められていたのだ。
どんなに力を込めても、この少女の小指はビクとも動かなかった。
しかもこの少女は涼し気な表情で、しかも目を閉じたままで。
久世の拳を抑え続けている。小指一本で。
(な……なんだ、こいつ……!?)
ニアは目を開けた。そして久世を見上げる。
ニアの紫色の瞳が久世の瞳を射抜く。思わず久世はたじろぐ。
「あんた。そんなんじゃ死ぬよ?」
「え……?」
久世はバカのようにぽかんと口開けた。
「死にたくなかったら大人しくしとき。そんな命でも惜しいっしょ」
「あ……え……あんたが、俺を殺すってことか?」
「はあ? あんたバッカじゃないの?」
ニアは久世の拳をガッと握りしめ、力を込めた。
万力で締められたかのようなその力と痛み。久世は情けない悲鳴を上げ、そして尻もちをついて崩れ落ちた。
ニアの目はその久世を完全に見下していた。
瞳の色には久世を憐れんでいるようなニュアンスも込められていた。
久世は喉の奥に瘤でも出来たかのように呼吸が苦しくなった。そう。恐怖だ。突如湧いたニアへの恐怖に喉が締まってしまっているのだ。
そんな久世を見下ろしたままでニアは言う。
朗々とした声で。
誰にも聞こえるような通る声で。
「あんたを殺すのは『TOKYO』」
「……と、とうきょう?」
これに大公も呼応した。
「そう。『TOKYO』じゃ!」
貴賓室が一気にざわついた。とうきょう……東京だって? 東京が俺たちを殺す? 一体どういうことだ。何が起こっているっていうんだ。俺達は東京に帰るために話を聞いているんじゃないのか!?
「勇者たちよ。静まりたまえ!」
その大公の声で視線が再び壇上へと集中する。アドリアナ大公は大きく深呼吸をしてからこう話し始めた。
「聞いてくれ。異世界の勇者たちよ。そなたらには『空亡』が終わるまで、我々にはなかなか倒すことのできぬ異形のモンスターを駆除し、『空亡』終焉まで見守ってもらいたい。だが本当に我らが勇者さまたちにお願いしたいのは、過去の勇者さまからの伝承による魔王の討伐じゃ。魔王はどんな願いもすべて叶えてくれるといわれる宝珠を持っているとされる。その魔王の名は『牛若丸』」
再びクラスメイトたちがざわめいた。構わず大公は続ける。
「勇者さま一同に私が直々にお願い申す! 『牛若丸』を討伐し、その宝珠を持ち帰ってくれ。その宝珠を用いれば、勇者さまたちも元いた世界に戻れるであろう!」
大公は残酷に語る。
彼らの運命を。
彼らはショックのあまり口をきくこともできない。
あまりに多くのことが一度に起こりすぎている。
そして自分たちが帰るためにはその『牛若丸』という怨霊を倒さなければならない。
どんな願いでも叶う宝珠。
それを手にするために……。
「あの……その『空亡』を防ぐだけじゃダメなんですか? 何度も『空亡』が起こるってことは、その魔王ってのは倒されてないんですよね。じゃあ、これまでの勇者たちはどうなったんですか?」
再び砂川が質問する。これに大公は言葉を濁しながら答えた。
「勇者さまたちは『空亡』の災厄を防いでくれた。だがそのほとんどが魔王まではたどり着けず、生き残った勇者さまたちもこの地でその生涯を終えることになってしまった……。非常に酷いことをしていると我らも悲しんでおる」
「そんな……」
「だが……」
その場にいる誰もがピクリとも動けなかった。
「仕方ないのだ……」
その一言は打ち鳴らされる絶望の鐘だった。
受け入れざるを得ない。強制的に。理不尽に。
抗うことは許されないのだ。
勝手に呼び出されそして戦わなければならない。
そうしなければ帰れない。
しかし。
元の世界への帰還に成功した者は誰一人いない……。
文句を言っても始まらなかった。
不満をぶつけても状況が変わるわけでもない。
大公が長々と語る励ましの言葉に、その演説に、そこにいる勇者候補の少年少女らは互いの目をみつめ合った。覚悟を決めるほかなかった。
ブクッ……ブクブクッ……。
再び憂太の心で破壊が蠢き出す。憂太の心の穢がうずき出す。
『明け渡せ……』
あの声がまた心へと囁きかけた。
『明け渡すんだ……』
その声を聞きながら憂太の意識は少しずつその場の空気へと溶けていった。