第63之幕 式神葬
第63之幕
憂太は静かに指を結び、宙へと差し出した。
九字とは、「臨兵闘者皆陣烈在前」の九文字を唱えながら縦、横と交互に線を刻んでいき、格子状の式盤を描く式の基本だ。
憂太はその式の名をつぶやく。
「式神葬……!」
『し、式神葬じゃと!?』
驚愕する芦屋道満。
その言葉を蘆屋道満はにわかには信じられなかった。
なぜならそれは、蘆屋道満現役の平安時代、道満自身が、敵の式神を冥界送りにするために編み出し“禁呪”とした究極の封殺の式だったからだ。
『わ、儂の式を……』
「臨・兵・闘・者……」
『小童、貴様、この儂の式をも会得しているというのか……!?』
「皆・陣……」
憂太は宙へと九字を刻んでいく。
式盤が展開されるたびに、空間が軋み、重力すら捻じれていくようにも感じる。
(間違いない! これは儂が開発した、式神を完全に葬る式神葬!)
格子状の九字の式盤。
それは、蘆屋道満を象徴する印、“ドーマン”とも呼ばれる。
その“ドーマン”と、安倍晴明の印である五芒星=“セーマン”を合わせて、“ドーマン・セーマン”。
つまり憂太の零咒とは……。
(小童の“零咒”……その正体は、“ドーマン・セーマン”すべてを極めた“咒”だというのか……)
道満は安倍晴明と並んで陰陽道の究極の術者であった。
その奢りから、完全に憂太の能力の高さを見誤っていた。
(……と、言うことは、先程の零星の“咒”とやらは、おそらく、小童の操る“零咒”とやらのすべての力の根源……。夜空の星々……つまり星辰の力を引き出す源泉であり、森羅万象を支配する“咒”……。ゆえに宇宙の始まりのような、あれほどの膨大な“氣”を発露できたのか)
その憂太の背後では、璃花子が徐々に復活しつつある。
だがそれより早く、道満を冥界送りにする自信と力が、憂太にはあった。
「式守くん……これは……」
吉岡鮎──。蘆屋道満を“式神”として封じてあるウサギのぬいぐるみを抱きしめる吉岡鮎も今この場で起こりつつある異変を感じ取っている。
そんな鮎に憂太は言った。
「吉岡さん……。道満から離れて。その手を離すんだ」
憂太の声は冷たい。それは氷よりも鋭く、“咒”よりも深い。
その声が鮎を操ったかのように、鮎はウサギのぬいぐるみからそっと手を離した。
そしておそるおそる後ずさる。
「烈・在・前!」
九字のラスト。憂太が九字を唱え終わった。
と同時に、憂太の足元の水面から赤い光がほとばしった。ひび割れたような光がほとばしり、周囲へと広がっていく。そしてそこから無数の花が一気に伸びてその花弁を開いた。
彼岸花だ。
辺り一帯が彼岸花に覆われる。
そしてその憂太の背後には、密教の胎蔵界曼荼羅が広がり、光った。
その曼荼羅の中にを、“蘆屋道満”のそれぞれの文字が金色の光となって現れ、式神である蘆屋道満の名前を“咒”で縛るよう舞い始める。
憂太は、式神葬の“咒”を口にし始める。
「オン・カラテイ・ラソワカ」
道満は身震いする。
「ウン・マカエンラ・ハカナマ」
──間違いない、道満はつばを飲む。
(これは、まぎれもなく、儂の、式神葬……。もはや間違いようはない!)
自ら編み出したのだからその恐ろしさは知っている。
オンはすべての始まり、霊的起動。
カラテイは、霊の核、魂の所在を表す。
ラソワカは、この世と彼岸をつなぐ終止句。
そしてウンは、断絶と終焉。
マカは、偉大なるを意味する。
エンラは、炎と羅刹の力で豪華の象徴。
そしてハカナマは、葬送と封殺の呪句。
──この“咒”は確実に、式神である道満を、この世から完全に滅殺するものであった。
「ケイバク・ソウメツ……」
残された“咒”の言葉は「フウ」だけ。「フウ」は「封」であり、儀式の最後を意味する。
(まずいっ! このままでは発動してしまう!)
それは道満が滅亡することと同義だ。
やむを得ない。
道満は奥の手を出すことを決める。
『待て、待て待て待てっ!』
ピタっと、憂太の“咒”が止まる。
その隙に道満は早口で“咒”を唱え始めた。
『オン・マカ・ハンニャ・ハラミッタ ジュジュ・テンショウ・ハンヨウリン シンゴン・ヘンジョウ、ハチヨウ・ハジャ!』
憂太の動きがピタリ、と止まる。
途端に憂太の背後で、璃花子が絶叫した。
『反祝穿呪・黒天曼荼羅! 今こそその祝福を地獄へ還すぞ!』
(これは……)憂太は振り返る。
そこには今にも攻撃を再開させようとしていた璃花子。その璃花子の純白のウエディングドレスが、道満の反祝穿呪・黒天曼荼羅の力で真っ黒に染まっていく。
道満は憂太へ向かって叫ぶ。
『陰陽反転の呪詛じゃ。祝福を呪詛に反転した! これでヤツの“穢されぬ純白の花嫁衣装が呪詛を宿らせ、崩壊を起こす!』
「つまり、璃花子は……」と憂太。
一拍置いて、道満が、高速移動して璃花子の眼の前に飛んだ。
そしてウサギのぬいぐるみの腹から巨大な獣の腕が飛び出す。
『儂が始末する!』
その腕が巨大な獣のように、璃花子を切り裂いた。
道満の言葉とともに、璃花子の躰が真っ二つになる。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
この世の者とは思えぬ悲鳴を上げた璃花子へ向けて憂太が飛ぶ!