第62之幕 裏切り
第62之幕
突如、霧に覆われた憂太とエリユリ。その憂太が発した“咒”の霧から、璃花子の首と頭部が空高く跳ね上がったのを吉岡鮎は見た。
「やった……!」
思わず息を呑む鮎。長い首と頭部はゆっくりと宙を回転しながら少しずつ消滅していく。
憂太が勝ったのだ。
破壊不可能な“不可侵の祝福”のウエディングドレスの“咒”を破って。
「そっか……。あの長い首の部分にはドレスがない……。まさかこんな分かりやすい盲点があったなんて……」
『いや。違うな』と蘆屋道満。『アレの“咒”は、そんなことでは破れん。よく見てみよ』
鮎は目を凝らした。
憂太の発した霧から斬られた胴体側の首がのたうつ蛇のように跳ね上がった。
その切り口からは、血すら見られない。
それどころか、その切り口が異様な形に変形していく。
粘土細工のようなそれから脊髄が生まれ、骨へと化し、頭蓋骨が象られ、肉や眼球、髪の毛が生成されて、再び人の頭部の形に戻る。そこへ一気にウエディングドレスのベールが被せられた。
「うそ……。生き返った……」
気味悪がり震える鮎の言葉に道満は豪快に笑った。
『ほれ見たことか。やり方そのものが間違っているのじゃ。あれじゃ、あの首長の怪は倒せんって』
「やり方……?」
『戦闘の手段そのものが間違っていると言っておるのじゃ。まあ、正しい戦い方をしたくとも、小童には、その式はないがな』
「式守くんは持ってない……。じゃあウサギさんなら、できるの……?」
『そりゃ年季が違うからの』
平安時代に悪名を轟かせた蘆屋道満。道満はそう、嘲笑う。
首を復活させた璃花子の方はといえば、その動きは止まっている。
たとえ不死身といえど、それなりのダメージはやはりあったのだ。
「できるんなら……!」
鮎が宙をふわふわ浮いている蘆屋道満=ウサギのぬいぐるみの胴体を両手でガッと握りしめる。
「助けて! 私たちを……、式守くんを……!」
鮎の必死の願いを聞いて道満はいかにもおかしいといった風に笑った。
『小娘よ。お主、なんか勘違いしておるようじゃの』
「え……?」
『いいか、よく聞け』
突如、圧倒的な不穏を感じて、鮎は道満から手を離す。一気に躰から冷や汗が噴き出す。
『儂が、小童の式神という身などに甘んじておるのは、肉体を欲しておるからじゃ。つまり乗っ取りよ……」
その言葉に鮎は目を見開く。
「それって……憂太くんを……?」
『そうじゃ!』道満は続ける。
『使役者の小童の肉体が魂を失った瞬間、儂は肉体乗っ取りの“咒”を行使する……。つまり儂は小童が死ぬのをこうして身近におって待っているのじゃ。ヤツは儂の依代つまり儂は小童が死ぬのをこうして身近におって待っているのじゃ。ヤツは儂の依代に過ぎん……。今、ああやって死にかけておるのは儂にとって、最高の好機とは言えぬか……?』
「憂太くんを……殺すの……?」
『そうじゃ』
ウサギのぬいぐるみから一気に邪悪な“氣”が溢れ出した。
それと同時に感じる恐怖……。
鮎は思わずその気迫に押され、ペタンと尻餅をついてしまった。
『死ねばいい、死ねばいい、死ねばいい! こんなに絶好の機会、あるものか! 小童を助ける……? はっ! 冗談ではないわ! ヤツはこのまま殺される。その瞬間に儂が、小童の肉体に入る。あれだけ“氣”の熟した肉体じゃ。儂、蘆屋道満の復活にふさわしい』
「そんな……。私、てっきりあなたは式守くんの味方だって……」
『ゆえに貴様も阿呆なのじゃ! 儂があの肉体を得たとしたら、おそらく最強の術師となるであろうよ。そうしたらまずはこの世界を征服する。その次は、現実の世界よ! 儂は世界を恐怖で支配する王となるじゃろうて!』
「うそ! そんな……。あなたが……、あなたが……」
『嘘なわけあるか。儂なら簡単に世界を征服するじゃろう。気に入らんヤツは呪い殺せばいい。そうじゃ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ! 何千万人でも何億人でも! それこそ儂が求めておる桃源郷なのじゃ!』
鮎は後悔した。
このウサギを信用していたことを。
信じて、寄り添っていたことを。
自分のことも守ってくれていると過信していたことを。
もはや鮎の口からは言葉が発せられることがなかった。
このままじゃ、式守くんも殺される。
それどころかこのままでは。
世
界
が
恐
怖
に
覆
わ
れ
て
し
ま
う
!
鮎が絶望感に押しつぶされそうになったその時であった。
憂太を覆っていた霧が晴れ、そこに憂太とエリユリの姿が現れた。
エリユリは何とか立ち上がろうとしている。
そして憂太は、こちらをギッと睨みつけていた。
その憂太の口が開かれる。
「その言葉は本当か? 道満……」
鮎は再び躰をビクリとさせた。
――いつもの式守くんじゃない……!?
「今の言葉は本気なのかと聞いているんだ、道満!!」
『当たり前よ!』
ウサギのぬいぐるみからは、夥しいほどの邪な“氣”であふれている。
『儂がただで貴様に協力していたと思うか! 待っておったのよ! お主が弱るのを! お主の力及ばぬ怪異が現れるのを! そのまま死ね! この死にぞこないが!』
「道満……、貴様……」
憂太の眼が怒りで燃えている。
ここまで怒った憂太を見たのは、鮎にしてもエリユリにしても初めてのことだった。
まるで憂太も化け物になったかのように二人は感じた。
その憂太の口から、ある真言が唱えられた。
「ムガン ソワカ、レイジュ ヘカ……」
その途端だった。
道満は感じた。憂太の“氣”がおそろしい速度で膨れ上がるのを。
自らとほぼ同格の術師の“氣”を発しているのを。
「一白水星……零星の“咒”……」
憂太が呟く。
「僕が間違っていた……。最初に滅ぼさなければいけないのはお前のほうだった、道満……」
その迫力に、道満は知らず知らず退いてしまっていた。
『な、ななななんじゃ、この“氣”は……』
あの蘆屋道満をして、驚嘆させる、憂太の式。
憂太は言う。低い声で。憎しみが爆発しそうなのを懸命に抑えるかのような口調で。
「──まずは、お前を、殺す……!」