第61之幕 零咒・九星の式
第61之幕
正直、憂太に勝算があるわけではなかった。
「“不可侵の祝福”……」と、璃花子は語った。
いかなる攻撃をしても、あのウエディングドレスが“祝福”に浄化して無効化してしまう。
璃花子がこれまでに受けた心の傷の数々……。
傷つけられることから逃れたい人生だったがゆえに発動した“咒”と言えるが、そんな呪いを具現化してしまう力が『TOKYO』にはあるということになる。
果たしてこの『TOKYO』ダンジョンには他にどのような秘密があるのだろう。
憂太の攻撃も無効化される可能性が大だろう。
だが、何もしないわけにはいかない。
ほんの数十分……。
憂太が眼を離した数十分で、普段から絡みはあまりなかったとはいえど、三人のクラスメイトが凄惨に殺された。
(もし僕に力があれば……。もし僕が怪異に対する経験がもっとあったら……)
後悔は絶えない。
どんな形であろうと、自分に協力しようと考えてくれた同級生たちだ。
ふつふつと怒りが湧き上がる。
正直、彼らのことを憂太はあまり知らない。クラス内でもほぼ会話を交わしたことがない。
それでも彼らの死に対して、無念や憤り、遺恨を晴らしたいと思ってしまうのは、やはり自分が“人間”だからか。
璃花子の前に立ちふさがるのは無謀とはわかっていた。
それでも憂太は、大日如来の破魔の剣を出さざるを得なかった。
「急急如律令!」
その叫びとともに、破魔の剣を振り下ろす。
しかし、それはあっさりとかわされてしまった。
一瞬にして璃花子の頭部が目の前から消えたのだ。
璃花子の首は再び、渋谷の夜空を駆け巡る。
その速さで、風が悲鳴を上げる。
まるで無数の白い首が、空間を切り裂いているかのようだった。
「キャッ……♡」「クスッ……♡」
璃花子の声があちこちから響く。耳ではなく、脳髄を直接叩くかのように。
首が一つ、二つ、十、二十――速度は音を越え、視界は霞んでいた。
(速すぎる……“式”の演算が追いつかない)
憂太は深く息を吸い、意識を集中させる。
足元の水面から、九つの星がゆっくりと浮かび上がり、周囲の空間が震え始めた。
『ほう。陰陽九星か……』
蘆屋道満がつぶやく。
その言葉に吉岡鮎が反応する。
「ウサギさん、それ何?」
『ウ、ウ、ウ、ウサギではない!』
「いいから!」
蘆屋道満は仕方ないといったふうに答えた。
『……聞いたことあるのではないか? いわゆる一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星のことだ』
「それって、四柱推命の?」
『そう思ってかまわん。元は陰陽道の信仰の星じゃからな』
「陰陽道の信仰の星……」
『だがあの式は、儂の知らぬ式だ。おそらく小童の“零咒”という流派の式であろう』
「れいじゅ……?」
鮎が不思議そうな顔を見せる。
『ええい! とりあえず見ておけ!』
道満はムスッと黙り込んでしまった。
そしてその間も、璃花子の首は憂太、ニア、エリユリへの攻撃を続けている。
ニアは眼はおそろしく良い。
璃花子の伸びて来る首の軌道を見て、攻撃先を予測しながらかわしている。
だが完全にかわしきれるわけもなく、躰中があざと切り傷だらけだ。
そのニアが、モロに腹に頭突きを食らって、吹き飛んだ。
背後の飲食店のガラス窓を破って、その闇へと消えていく。
「エルヴン・テンペスト!」
エリユリも戦い慣れた戦士である。
彼女は遠方から、あまり動きがない胴体へ向けて必殺の矢の攻撃を放っていた。
夜の大通りを埋め尽くすような矢の嵐。
だが“不可侵の祝福”によって、それらの攻撃はすべて無効化される。
「もうっ! どうしたらダメージ与えられるのですかっ!」
まるで森の木々の枝を飛び回るかのごとく、渋谷のビル群を飛び回りながら、エリユリは癇癪を起こす。
そこへジグザグに璃花子の首の雷のよう攻撃が襲ってきた。
エリユリが悲鳴を上げる間もなく、エリユリの顔の数センチ先に璃花子の顔がある。
そして呪いの言葉を呟きかけた瞬間。
「え……」
エリユリの躰は、憂太に抱きかかえられ、いつの間にか璃花子の躰の背後へと瞬間移動をしていた。
「ゆ、憂太さん……なんで?」
「界星の式……」と憂太は言う。
「五黄土星である界星の式を使ってみた」
「か、かいせいのしき……?」
「うん。空間や次元の境界を操る術式だよ。異界への扉を開いて空間の切断を行える。封印なんかもできる」
「えええええええええ!」
エリユリは眼を丸くし、そしてガバっと憂太に抱きついた。
「すごい、すごいすごいです憂太さん! やっぱり強いですううううううううううう!」
「ちょ、やめ……。また攻撃が来る!」
正直、今の憂太では璃花子の首の動きを眼で捕らえることはできない。
一か八か、憂太は真言を唱えた。
「ムワク ソワカ、シュウジン イチカ!」
四緑木星にあたる霧星の式だ。
(これで幻の霧を発生させ、敵の視覚を遮る……。混乱をも生み出す式だが……)
その直後だった。霧を切り裂き、憂太の顔のすぐ横を、何かが勢いよく通り過ぎた!
「エリユリ、ごめん!」
そう言うと憂太はエリユリから手を離す。
「キャッ!」
エリユリが水面に尻もちをつくのと同時だった。
「オン バザラダト バン!」
憂太は破魔の剣で、下からその突風を斬り上げた。
鼓膜を破くような悲鳴が渋谷の夜を震わせ、璃花子の斬られた首と頭部が、空を舞った。