第59之幕 エルヴン・テンペスト
第59之幕
渋谷の夜――ネオンの洪水が街を照らし、喧騒と光が入り乱れるその空に、異様な影が揺らめいていた。
白無垢のウエディングドレスに包まれた璃花子は、まるで幽玄な花嫁のようだった。純白のレースが彼女の肩から流れ落ち、柔らかな絹の裾が渋谷の宙空を滑る。しかし、その美しさとは裏腹にある、一つの異様な特徴──。
彼女の首は、異常に長く、しなやかに伸びている。白いヴェールの隙間から覗く顔は、確かに花嫁のもの。しかし、その首がするすると伸び、くねるたびに、まるで蛇のような不気味さを漂わせ、その先にある頭の白いヴェールを揺らす。
高さにして地上15m程度。その右手にはいまだ、首藤二千華、烏丸恭介、そして砂川修の生首がぶら下がり、その髪を鷲掴みにしている。
その時だった。
ズバァッ!!
夜の渋谷を切り裂く銀の矢が、怪異・璃花子の長い首を貫いた。純白のウェディングドレスに銀色の魔法の光が滲み、まるで月光が花嫁の裾に宿ったかのように美しく輝く。しかし、その光景の異様さは、次の瞬間にはっきりと浮かび上がった。
璃花子は苦痛の声を漏らすことなく、ただ静かに矢を見つめていた。その青白い指がゆっくりと傷口へ伸びる。鮮やかな紅が首筋を伝い、花嫁の白を穢していく。それでも、彼女の口元には、まるで愛しげな微笑が浮かんでいた。
そして月光を背に、ビルの屋上に佇む少女の姿は……。
「エリユリ!」
エリユリだった。
憂太が放った式神のエスコートで、憂太のいる場まで駆けつけたのだ。
すくっとエリユリは立ち上がる。
そして。
「夜の支配者を気取るには、少しばかり目立ちすぎね……」
と笑みを見せ、こちらへと飛び降りてきた。
その、ふわり、とした様子から、何らかの魔法を使ったのだとわかった。
エリユリは基本、弓兵だ。空中を自由にできる術を持っているのだろう。
着地と同時に「憂太ぁ! やっと会えたよぉ~!」と抱きついてくる。
「うちも、ようやく追いついたわぁ。見つけられて良かったぁ」
その声に振り返る。そこにはニアの姿があった。
「あのカラス、式神っていうんでしょ。さすがにうちも覚えたよねえ。それにしても、なんでもありの力使ってくるって、憂太、やっぱ憂太は勇者さまだよ」
ネコ耳をぴくぴくさせながらニアが笑う。
「あ、あれは、ミサキカラスの式神なんだ」
「ミサキ……カラス……?」
「う、うん。いわゆる案内役なんだけど……でも気づいてくれて良かった……」
「気づくも何も、『着いて来い!』ってあれだけ頭の中で叫ばれちゃねえ」
そう言うと、ニアの眼は途端に戦闘モードに入った。
真剣な眼差しが憂太に注がれる。
「さて。揃ったところで説明してよ、憂太。うち、状況がどうなってんのかまったくわかないんですけど」
憂太は逡巡した。今は時間がない。璃花子という怪異がどのようにして生まれたか、また七人ミサキについてどのように説明するか、そんなことをしている暇はない。
(だが、おそらく……)
憂太はほぼ確信しながら言った。
「やつだ……」
「やつ?」
憂太の眼の先には横路璃花子の怪異がある。
「やつを倒せば、この近くの化け物たちも解放されて消滅するはずだ」
璃花子が殺した魂たちは七人ミサキとなった。
(だけど、完全な七人ミサキではない)
憂太は思考を巡らせる。
(すべては璃花子の“咒”に取り込まれた霊たちだ。たまたまそれが即席の七人ミサキを成したにすぎない。七人ミサキの性質は持っていたとしても、あの璃花子という、“咒”の要さえ破壊すれば、“咒”そのものが、あの霊たちを繋ぎ止めていた鎖は、壊れる──!)
「つまり」
と最初に声を上げたのは吉岡鮎だった。
「あのろくろ首の花嫁を倒せば、すべてが終わる」
「なら、簡単だネ♪」
エリユリが弓を引き絞った。
「いっくよ~! エルヴン・テンペスト!!」
エルヴン・テンペスト……直訳すれば「エルフの嵐」。
そしてその言葉通り、まるで手毬の糸がほどかれたかのように、数百本の矢が一気に璃花子へ向かって飛んでいった。