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零咒 ~異世界【TOKYO】ダンジョン~  作者: R09(あるク)
第一章 渋谷七人ミサキ編
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第56之幕 横路璃花子④

第56之幕


 こうして松郎家は璃花子の王国となった。

 だが決して璃花子は表立って何かをするわけではなく、常に静かな笑顔を家人に振りまくだけだった。


 そんなある日に事件は起こった。


 静かな夜だった。月は雲に隠れ、風が庭の草木をそよがせる。松郎は庭の桜の木の下に掘り返された土を見つめながら、冷たい息を吐いた。


 彼の足元には、まだ温もりを失いきっていない死体が横たわっている。男の喉は鋭利な刃物で掻き切られ、血はすでに土に染み込んでいた。松郎の手には、血のついた短刀が握られている。


 馬場弘樹だった。


 璃花子を孕ませ、さらには堕胎させた上に、璃花子の元を去っていった男。


 喉の奥から笑いが漏れそうになった。愉快だったわけではない。ただ、異様な充足感があった。


「やっと終わった……」


 ふっと力が抜ける。震える指先を見つめながら、松郎は思い出していた。


 出会った頃の璃花子の涙を。


 彼女が涙を浮かべ、震える声で訴えた夜を。


「あの男を殺して……お願い……」


 璃花子はその言葉を口にした瞬間、自分で口を押さえた。まるで、そんなことを言ってしまった自分を恐れるかのように。だが、彼女の瞳には、消えることのない憎悪の炎が燃えていた。


 男は璃花子の愛する者を奪った。彼女の未来を踏みにじり、彼女の中に宿った命を、力ずくでこの世から引きずり落とした。璃花子がどんな思いで、それを耐えたのか……。


 松郎は何度も想像した。あの男の冷笑、璃花子の涙、血の匂い。


 それを考えるたびに、彼の中で何かが軋み、崩れていった。


 璃花子は「お願い」と言った。だが松郎は、それを頼まれたからやったのではない。


 これは、自分自身のためだ。


 許せなかった。心の奥底が焼けるような憤りで満たされ、殺さずにはいられなかった。


 殺した瞬間の感触が、まだ鮮明に残っている。


 喉を裂く刃の抵抗。男の絶望に満ちた目。温かい血が手に飛び散る感覚。それらすべてが、松郎の中で奇妙な満足感を生み出した。


「こいつには地獄すら生温い。」


 低く呟くと、松郎はスコップを握りしめ、無造作に土をかぶせ始めた。


 ザクッ、ザクッと土を掘り返す音が、闇夜に響く。


 男の顔が、次第に見えなくなっていく。その顔には、死の瞬間の驚愕が焼き付いたままだった。


「……くたばれ。」


 最後に一瞥し、松郎はスコップを握る手に力を込めた。何度も土をすくっては落とす。

 乾いた土が湿った血を覆い隠し、やがてそこには何もなかったかのような静けさが戻った。


 遠くで犬が吠えた。


 松郎は一度だけ深呼吸をすると、庭に散った血の跡を踏みしめながら、闇へと溶け込むように家の中へ入ろうとした。


 だが……。視線があった。


「……お前、何をしている?」


 低く、乾いた声。


 松郎の背筋に、冷たいものが走る。暗闇へ目をやると、そこには父親が立っていた。


 皺の刻まれた顔が月明かりに浮かび上がる。目は埋められた死体を見つめていた。


「お前……まさか……」


 父親の声が震えた。怒りか、恐怖か、それとも絶望か。


 松郎は息を飲む。心臓が鼓動を早める。次の瞬間、父親は一歩後ずさった。


 その動きに、松郎の中で何かが弾けた。


 逃げるのか? 俺から?


 自分の父親が、怯えた目で見つめている。それが妙にしゃくだった。血のついたスコップを握りしめたまま、松郎はゆっくりと口元を歪ませる。


「……どうした、親父?」


 父親は言葉を発せず、ただ目を見開いていた。松郎の足が、一歩、また一歩と近づく。


「何を見た?」


 低く囁くような声だった。


 父親はもう、松郎のことを息子として見てはいなかった。化け物を見るような目。


 その瞬間、松郎の脳裏に過去の記憶が蘇る。


 幼い頃から、父親は松郎に厳しかった。「男なら強くあれ」と言いながら、容赦なく拳を振るった。泣いても許されなかった。血を流しても、それが当然だった。


 それなのに、今――その男が、松郎を怖がっている。


 可笑しいじゃないか。


 松郎はゆっくりと笑った。


「逃げるなよ、親父。」


 スコップを握る手に力がこもる。


「お前が言ったよな? 男なら、弱い者を守れって。」


 ズブリッ。


 スコップの先が、父親の腹に深く突き刺さった。


 父親は短く息を詰まらせる。だが、松郎は止まらない。引き抜き、もう一度突き刺す。


「俺は守ったぜ?」


 血が夜闇に飛び散る。父親の膝が崩れ、ゆっくりと地面に倒れ込む。


 その時だった。


 くすっ。


 笑い声がした。


 松郎は振り向いた。そこには、璃花子がいた。


 闇の中、彼女は静かに立っていた。月明かりが白い肌を照らし、その瞳に怪しい光が宿る。


 璃花子はゆっくりと、松郎に歩み寄った。


「あなた……素敵ね。」


 血に塗れた松郎の顔を、愛おしそうに撫でる。彼女の指先が、頬をなぞる。血がついても構わないというように。


 璃花子の唇が微かに歪む。


「もっと、見せて?」


 松郎は息を荒げたまま、彼女を見つめた。


 その目の奥にある狂気を見て、松郎の心の底で、何かが弾けた。


 そう。


 私は救われるの。


 そして私はすべてが赦される存在へと進化していったの……!

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