表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
零咒 ~異世界【TOKYO】ダンジョン~  作者: R09(あるク)
第一章 渋谷七人ミサキ編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/65

第53之幕 横路璃花子①

第53之幕


 ガチャリ。


 鍵が回る音とともに、玄関のドアが開いた。

 冷え切った外気が、暖房の効いた六畳一間に入り込む。


 璃花子は、小さく息を吐いた。


 暖かい。

 けれど、この部屋が暖かな場所ではないことを、彼女はもう知っていた。


 恋人の馬場弘樹が、ポケットからスマホを取り出しながら部屋に足を踏み入れる。靴下のままペタリと畳の上に座り込み、無造作にダウンジャケットを脱いだ。冷えた空気を払いのけるように肩を回しながら、何でもないふうに言う。


「外、めっちゃ寒かったな」


 璃花子は、無言のままコートのボタンを外した。


「ほら、璃花子も早く座れよ」


 ストーブのよく効いたこの空間に、璃花子の心は馴染めなかった。


 彼女は、部屋の中央に置かれたコタツに手をかけた。弘樹が適当に放り出したコンビニ袋が、畳の上にくしゃりと転がっている。中身は温かい缶コーヒーと、いらないと言ったはずのチョコレート。


「……弘樹くん」


 意を決して、璃花子は口を開いた。

 声は、少しだけ震えていた。


「うん?」


 弘樹は、スマホの画面を見たまま答える。

 璃花子は小さく息を吸った。


「……この子のこと、どう思ってる?」


 彼の指が止まった。


 わずかに沈黙。


 エアコンの送風音がやけに耳につく。


「……璃花子は、どう思ってるの?」


 視線を逸らしたままの問い。

 逃げようとしているのが、丸わかりだった。


 璃花子は、こたつ布団を強く握った。


「私は……産みたい」


 部屋が、少しだけ静かになった気がした。

 弘樹はスマホを畳に置き、ようやく璃花子と向き合う。


「……でもさ、現実的に考えて?」


「現実的に考えて、何?」


「俺、今の仕事も安定してないし……」


「知ってるよ」


「俺は、まだ若いし……」

「私は若くない」


 璃花子は、一つ一つ言葉を潰していった。


 弘樹の表情が曇る。


「……産むって、簡単なことじゃない年齢になってるんだよ?」

「そんなの、わかってる」

「じゃあ……おろせってどういうこと?」


 璃花子の指が震えた。

 ストーブの暖気が、妙に体にまとわりつく。


「璃花子のためだよ」


 また、それだ。


 また、「私のため」 という名の言い訳。


「意味わからない」


 弘樹は口を開きかけたが、何も言えなかった。


 彼の視線が泳ぐ。

 璃花子は、それを見逃さなかった。


「私のためじゃなくて、弘樹くんが逃げたいだけなんじゃない?」

「そんなんじゃ……!」


 弘樹の言葉が詰まる。


 この部屋は暖かいはずなのに、まるで氷の洞窟にいるみたいだった。


 璃花子は、静かに笑った。


「なら、言ってよ」


「え……?」


「"俺は父親になりたくない" って、ちゃんと言えばいいのに」


 弘樹の顔が引きつる。


 カーテンがわずかに揺れた。


 璃花子は立ち上がった。


 もう、わかっていた。

 この部屋にはもう、彼の優しさも、彼女の安心もない。


「だってもう、赤ちゃんできないかもしれないんだよ!」


 ただ、ぬるく暖められた嘘だけが、そこにあった。


 ──この光景を憂太は驚きながら見ていた。

 この頃の横路璃花子には、加奈子や千尋に見せていたような威圧感や冷静さがない。

 ただただ一人の気の毒な女性として憂太の眼に映った。


 ――ぴちゃり。

 どこかで、水音がした。

 いつの間にか部屋は真っ暗になっていた。

 時間が経過したのだと憂太は思った。

 ここにあるのは記憶の片隅。

 ここにあるのはその次の記憶……。


 暗闇。

 その暗闇の中で、璃花子は、息を呑んで目を覚ました。

 カーテンの隙間から入り込む街灯の薄明かりが、天井にぼんやりと影を落としている。


 部屋の中は静かだった。

 けれど、確かに水の音がする。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃり。


 畳の上を、何かが這っている。

 璃花子は、心臓を掴まれたように動けなかった。

 喉が乾いて、息が詰まりそうになる。

 これは夢?それとも現実?


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃり。


 音は、ベッドの下 から聞こえる。

 璃花子の指が、布団をぎゅっと握る。

 手のひらにじんわり汗が滲む。


 見てはいけない。

 そう思うのに、抗えない何かがあった。


 ――ごそり。


 何かが動いた。

 そして、聞こえた。


『……ママ』


 璃花子の心臓が、壊れそうなほど跳ね上がる。


『ママ……』


 それは、低く、くぐもり、湿った音を帯びていた。


 璃花子の喉が、ごくりと鳴る。


「……誰……?」


 訊かなくても分かっていた。

 ベッドの下から、小さな手が伸びた。

 赤黒く濡れた、未熟な指。

 爪のない、粘ついた肌。


 璃花子は悲鳴をあげようとした。

 けれど、声は出なかった。


 喉が、まるで凍りついたように動かない。

 心臓だけが喧しく鳴り響く。


 隣に寝ていた男が「う~ん……」とうめき声をあげながら寝返りを打った。

 憂太は驚いた。

 それが弘樹ではなかった、から、だけではない。

 思った以上に時間が経過していたからだけではない。


 そこにいたのは。

 横路璃花子の下僕のように付き従い、そして、加奈子や千尋の悲劇を作り出す最大の協力者ともいえる、あの()()《まつろう》だったからだ。


 ──憂太は気づき始めた。


(今、見せられているのは単に、横路璃花子よころりかこの記憶じゃない)


 と。


横路璃花子よころりかこはもうこの世にはいない……いや、ある意味ではもっと悪い意味で存在している)


 そうだ。憂太はほぼ確信していた。


 あの、ウエディングドレス姿のろくろ首の怪異が、横路璃花子の成れ果てだと……!


 憂太は見届ける覚悟を決めた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブクマ・ポイント評価お願いしまします!
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ