第50之幕 最強の式神vs渋谷の悪魔 【渋谷モディ前】
第50之幕
二千華の手が、冷たい水の中に沈んでいく。
「……ぐっ……!」
水流が腕を引っ張り、全身を深くへと引きずり込む。
呪詛がまとわりついた海水は重く、息苦しさが喉を締め上げていく。
海座頭が渋谷モディの壁面から、禍々しい笑みを浮かべた。
『深淵ノ水ノ一部トナル……。ソシタラ、俺、オ前、食ウ……』
じわじわと視界が暗くなり、意識が遠のきかけたその時だった。
ガシッ!!
何者かの強い力で腕を握られた。
「二千華っ!」
その声と同時に、水面が裂けるように炸裂し、何者かによって水面へと引き上げられた。
「恭介……!?」
それは二千華の親友である恭介だった。その横に見知った別の顔も。
「二千華さん! 無事ですか!?」
クラス委員長の砂川だ。トレードマークのメガネが外れ、前髪がワカメのように額に貼り付いている。
「砂川! 俺の肉体強化頼む! 二千華に絡みついてる腕みたいなのが切れねえ!」
烏丸恭介はナイフ使いのシーフ。ナイフを自在に操るほか、索敵能力や、軽い火炎魔法が使える。
一方の砂川はバフ使いだ。後方支援魔法が得意で、肉体強化、防御力強化、攻撃力強化などに秀でている。
「任せろ……!」
押し寄せる海水にバランスを崩しながら砂川が唱える。
「汝の血に、獣の力を刻まん。
牙を剥け、爪を振るえ、
猛る闘争の化身となれ――
『血狼の契約!』」
「よしっ! 来たああ!」
恭介はナイフを逆手に持つと、まるで魚のように器用に水中を泳ぎまくり、二千華を掴む呪詛の腕をすべて断った。
同時に船幽霊たちの真っ青な顔も消え失せる。
「あんたたち、どうして……」
ようやく呼吸ができるようになった二千華が言う。
「どうしてここがわかったの……!?」
「探してたんだよ。二千華を」
「僕もそうだ」と砂川。
「すると俺の索敵スキルに、海座頭がひっかかった。そこでここへ向かっていたんだが」
「そこで烏丸くんと合流した」
「来たらえらいことになっててな……。……っていうか。あれ。何?」
二千華は恭介の視線の先を追った。
二人は変わり果てた海座頭の姿と、太郎吉を交互に見ている。
「渋谷モディの壁に貼り付いているのが敵。そこに立ってるのが太郎吉よ」
「太郎吉……?」
「式守っちに写真撮らしてもらったでしょ? ほら式神とかなんとか」
「式神……?」
「式神というのは陰陽師が使役する神霊、もしくは鬼のことですよ。烏丸くん」
「げ。ガチだったのか、あの話……」
「ところで、二人のスマホは……?」
顔を見合わせる二人。
その手にあるのは、浸水して起動停止したスマホだった。
「ああ、もう! 笑うしかないわ!」
そういうと二千華は太郎吉に命じた。
「太郎吉! あの海座頭の化け物、アタシたちを守りながらぶっ潰して!」
太郎吉がこちらを向く。
動かない。
そうだ。確か呪文が……。
「きゅ、急急如律令!」
途端だった。
渋谷の海の底で、雷鳴のような衝撃が響き渡った。
分厚い胸板、岩のような腕、雷のごとき気迫。
まわしを締め、太郎吉の肉体が雷光をともなって渋谷モディへ飛び上がる。
ズガァン!!
太郎吉の拳が振り抜かれた。
空気が裂け、水が弾け、雷が爆ぜる。
だが、海座頭は蜘蛛の糸のように伸びた八本の腕をしならせ、一瞬で衝撃を受け流す!
まるで風にたなびく柳のように、硬さとしなやかさを兼ね備えた異形の動き。
そして。
バシュッ!!
一本の腕が猛スピードで突き出される。
拳ではない。異形の掌が開き、そこから鋭利な骨の槍が飛び出した。
太郎吉は寸前でかわす。
その槍は後方のビルを貫き、無数のひび割れを作った。
だが、回避の隙を突くように、別の腕が伸びる。
海座頭の動きは無秩序ではない。
まるで囲碁の布石のように、一本一本が戦略的に絡み合い、まるで捕食者の巣のように広がっていた。
「逃ゲルナ……ツカマエル……」
無数の腕が収束し、太郎吉を包み込むように襲いかかる。
鋭い爪、骨の槍、鋼鉄の締め付け――どれを喰らっても即死級の攻撃!
「おい、あれって海座頭だよな……」
「そうよ」
「いやどう見ても別の化け物なんだが」
「おそらく」と砂川が言う。
「海座頭の姿をしただけの別の怪異なんじゃないか」
「じゃ、何者なんだよ」
「それはわからない。けれど、……強い……!」
太郎吉はそれをすべて受け流し、渋谷モディの壁で足を開き、どしりと構えた。
次の瞬間。
「雷轟一撃!!」
踏み込みと同時に、雷光をまとった掌底が炸裂!
バッシャアァァン!
衝撃波が水を割り、空間ごと捻じ曲げる!
蜘蛛の糸のように絡みついた腕が、一気に焼け焦げ、千切れ飛んだ!
「グオオオオ……!!」
海座頭が絶叫し、後ずさる。
その隙を見逃すはずがない。
太郎吉は一気に間合いを詰める。
「勝負を決めるぞ……! これこそが、我が魂の極み!!」
――力士としての最高の一手!
雷光を帯びた両腕が、渦巻くように構えられる。
それはまるで、天地を貫く嵐のごとき気迫!
「千雷大投げ!」
バゴォォン!
まるで世界がひっくり返るような衝撃。
太郎吉の力が海座頭の体を持ち上げる。
天を舞う体――。
そのまま、海の深淵へと叩き落とされる!
ズシャァァァァン!!!
爆音。
轟音。
すべてを巻き込む衝撃波。
そして静寂……。
海座頭であったはずの化け物は沈黙していた。
だが同時に太郎吉も動けずにいた。
なぜなら。
太郎吉の腹のど真ん中を、海座頭の骨の槍がまっすぐに貫いていたからだ。
首藤二千華も、烏丸恭介も、砂川修も、一言も発せずこの死闘をただぽかんと見つめていた。
──とてもじゃないが、こんな戦いの中で立ち回る自分の姿は浮かばない……。
もしかして、式守っちって、とんでもなくすごい人だったんじゃないか、と二千華は思った。
(こんな連中と、互角以上に戦ってたってわけ……? 何者よ、式守っちって。アタシ、もしかして心の何処かで式守っちのこと、なめていたかもしれない)
そう。もし自分たちだったら、あの戦いに巻き込まれれば一瞬で死ぬ。
──違う。次元が違う。
もっとクラスで仲良くしてあげていればよかったと二千華は思う。憂太がいなければ、二千華は間違いなくこの場で死んでいた。
憂太が真剣に言う言葉も、どこか上の空で「なんとかなるっしょー」ぐらいの気持ちで聞いていた自分がいた。
アタシ、間違っていた。
改めて思う。
式守っちは、本当に真剣に、アタシたちを助けようと話していたんだ……。
そうだ。
もし帰ったら皆に伝えなければならない。
憂太の強さを。憂太のうごさを。
必ず憂太の言うことを聞くこと。
そうしなければ、クラス全員、死ぬ。
間違いなく憂太をなめているクラスメイトは大勢いる。
(なら、アタシが伝えなきゃ……)
二千華は思った。
(アタシが式守っちのことを皆に信じさせなきゃ)
そう。式守憂太は。いや、式守憂太こそ。
(アタシたちを守ってくれる本当の勇者……)
そう二千華が思った時である。
何者かが二千華の顔を覗き込んだ。
(え。何?)
それは花嫁衣装のベールをかぶっていた。
中の顔までは見えない。
「えええええええええええ! ちょっといや!」
二千華の声で恭介と砂川もそちらに目を向けた。
そして同じように情けない悲鳴を上げる。
いや、無理もなかっただろう。
そこにいたのは、西洋風の花嫁衣装をまとった女性だった。
そして、見るからに怪異なのだとわかった。
なぜなら。
その花嫁衣装は首の長さが2メートルほどあり、その首を曲げて、二千華の顔を覗き込んでいたからだ……。