第48之幕 デジタル式神召喚 【渋谷モディ前】
第48之幕
──渋谷モディ前。
海水によって15cmほど冠水している道路の水面にぶくぶくぶくと泡が立った。
「ぷはっ!」
そう水を吐いて顔を出したのは首藤二千華だった。
憂太のクラスの陽キャグループの一人。
7月7日生まれで夏生まれらしく明るく快活な性格の少女だ。
「なに、ここ……渋谷モディ……?」
けほけほと咳き込みながら、海水に浸された神宮通りを見渡す。
「あ~! もう髪の毛ぐしゃぐしゃじゃん! さいってー!」
普段は明るめの茶髪で胸元までのゆる巻きだが、今日は髪の毛が邪魔にならないようハーフアップにしていた。その結び目がゆるんでしまったのだ。
怪異にさらわれたにもかかわらず、まずファッションを気にするには理由があった。
母親が若い頃、アパレル関係の仕事をしていたのだ。
それから二千華もファッションに興味を持つようになった。
結果、「おしゃれは自己表現」という価値観を持ち、見た目を整えることは自分を大事にすることだと考えている。
ゆえに、ずぶ濡れで髪がぐしゃぐしゃになってしまっていることにまず気がいってしまったのだ。
が…。
(ちょっと待って……アタシ、センター街にいたはずじゃ……)
記憶が蘇ってきた。
アタシたちは“死幻”と呼ばれる侍を探すために『TOKYO』に潜った。
たどり着いたのはよく見る渋谷の街で、でもなぜか冠水していた。
その時、眼の前に現れたのが、小舟に乗って琵琶をかき鳴らすお坊さん……海座頭。
そして、船幽霊と呼ばれる水死体みたいな連中に海水に引きずり込まれて……。
今いるこの場所は、センター街から少し離れた渋谷モディ。
どうして、こんなところにいるの……?
(しかもこの海水、足首ぐらいまでしかない。こんな浅い場所に引きずり込まれるなんて意味がわからない。しかも場所まで変わってる……。怪異……これが、式守っちが言っていた怪奇現象ってやつ……?)
ハッと緊張感を取り戻し、身を固くした。
おそらくなにかの怪奇現象で、全員がバラバラにされてしまったのだ。
そこには憂太の姿も、吉岡鮎や友達の恭介、学級委員の砂川の姿もない。
ただ自分が波立てる水の音しか聞こえない。
周囲に人影らしきものはない。
……そこで、ぴしゃん、と水滴が滴る音が聞こえた。
(まずいじゃん!)
そして二千華は唱える。自身のシールダーの魔法の詠唱を。
「守護の力よ、我が前に集え。無敵の盾となりて、全ての害を防げ!」
半透明の小さく紫色に光る幻想の盾を周囲に張り巡らせた。
前後左右、特に足元に警戒の目を向ける。
そう。
船幽霊たちはこの浅い海水から襲ってくる。飛び上がって降ってくるのだ。
(どうしよう……、アタシ、攻撃手段を持ってない……)
そう。二千華が持つのはその強力な盾の魔法のみ。
いわゆるタンク役であり、攻撃用の技術はまだ習得する前であった。
こんなことになるなら、もっと早く修行するんだったと二千華が後悔した時……。
ベン!
ベベン!
ベン!
琵琶をかき鳴らす音が聞こえた。
(うそ、うそでしょ! こんな時に……!!)
間違いない、海座頭だ。
まだその姿は見えないが、小舟でこちらに向かっているのであろう、小舟の立てる小さな波が二千華の足を洗ってくる。
(どうしよう、逃げる? いや逃げるってどこへ? センター街? そこまで走れば式守っちがいる……!?)
二千華の脳裏に憂太の顔が浮かんだ。
同時だった。
二千華は、『TOKYO』へ潜る前、『カーラ』を背にして憂太から呪符をスマホで撮影したことを思い出した。
※ ※ ※
「式守っち。この御札、何?」
二千華は訊く。
その御札は二枚あり、一枚は不思議な漢字のようなものがデザインされた御札、もう一つは人間の形をした紙切れだった。
「これは『氣』を増幅させて相手へと打ち込むおまじないの呪符だよ」
憂太は説明する。
砂川も恭介も興味深そうにそれを覗き込んだ。
「術師じゃなくても使えるように作ってある。……まあそのおかげで、あまり力は強くないけど……」
「なに、スマホ画面を相手に突き出したら使えるのか?」と恭介。
「いや。一言、呪文がいる」
「呪文?」
皆が顔を見合わせる。
「急急如律令」
憂太はそれぞれにメモを配った。
「スマホ画面にこの呪符の写真を表示して、相手に向ければ、術式が発動されるはずだ」
「術式が発動されるとどうなるの」と吉岡鮎。
「敵を倒せる」
あまりに現実離れした話に全員が戸惑った。
「スマホを見せるだけで?」
「正確には呪符の写真だね」
「スマホで撮った写真でも効果あるんだ?」
「ある。でもさっき言ったように、本来の力は発揮できないけど……」
そう言うと憂太は下を向いた。
「あ、いや。責めてるわけじゃないんだよ。式守くん。それよりこっちのヒトガタはなんだい?」
次に砂川が訊いた。
「それは……式札」
憂太は答える。
「正式には形代って呼ぶ。いわゆる霊を宿す神で、そこには君たちを守っている霊を封じてある。いわゆる式神ってやつだ」
「式神……?」
「そう。簡単に言えば、僕たちの代わりに戦ってくる神霊。それぞれ違う神霊を封じてあるからそれぞれスマホで撮影しておいて。そしてこれを使うのも同じ。スマホ画面にこの写真を出して、急急如律令と唱えればいい」
「そんなことでいいのか……」と恭介。
「うん。極力、複雑な術式は排除した。だから本来の強さはないかもしれない。けれど、それぞれかなり強力な神霊を宿してある。何かあったら使ってみて……」
※ ※ ※
そうだった! 式守っちは、アタシたちに攻撃手段を与えてくれてたんだった!
さっそく二千華はスマホの写真アプリをタップして、形代の画像を出した。
呪符を使って攻撃をしてもいいが、自分の代わりに戦ってくれるというならそっちの方が楽に決まってる……!
ベン!
ベベン!
ベン!
琵琶の音がさらに近づく。同時に船を漕ぐ、ギイ……ギイ……という音も聞こえてくる。二千華は神宮通りをタワレコ方面に向けて見た。そこには……。
──!
いた!
間違いない! 海座頭だ。
(あ、あんなの相手に一人で戦えないよ……)
震えながら二千華はスマホ画面を海座頭へと向けた。
海座頭は無表情でただただ、二千華に迫ってくる。
(やらなきゃ……!)
二千華は思う。
(式守っち、信じてみなきゃ……!)
憂太は形代を見せながら二千華に言った。
「これは、太郎吉。のちに伝説の相撲取りになる江戸時代の神霊だ」
二千華は覚悟を決める。
そして震える唇を懸命に動かして言う。
「急急……」
街明かりで海座頭の顔がはっきりと見えた。
「急急……急急如律令!」
途端にスマホ画面がフラッシュが炊かれたように輝いた。
「お願い! 太郎吉……!」
バオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
スマホから召喚され飛び出したそれは、江戸時代の農民のような服装をしたとてつもない大男だった。
その大男が、太郎吉が、海座頭へと向かっていく。
海座頭の表情が、一気に緊迫感を帯びた。
ズドン!
鈍い音がしてその二つの霊はぶつかった。
そして太郎吉と海座頭が、両手の指を組み、ギリギリと力比べを始める……!
バオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!