第47之幕 真夜中に海がやって来る② 【渋谷センター街】
第47之幕
その水死体の皮膚はまるで溶けた蝋のように垂れ下がり、所々に骨が露出していた。一様に白いボロボロの着物を身にまとい、それが夜空でなまめかしくたなびく。
10体はいるだろうか。ほんの15センチの深さのこの渋谷の海のどこに隠れていたのだろうか。
でもそんなこと考えてる余裕なんてない!
憂太は懐からバジュラを取り出した。だがそれより早く……。
「守護の力よ、我が前に集え。無敵の盾となりて、全ての害を防げ!」
首藤二千華だ。二千華によるシールダーの魔法。すべての水死体がここへ落ちてくる前に小さく紫色に光る透明な幻想の盾がいくつも空に出現する。
水死体たちはこれに阻まれる。奇襲を防いだ。魔法の盾に阻まれた水死体たちは次々と渋谷の海へと落ちていく。
だがこれだけの功績を見せたにもかかわらず、二千華はガタガタ震えている。無理もない。怖いのだ。地上に現れるモンスターや怪物とか姿形から攻撃法まで何もかも違う。
「ありがとう! 大丈夫か?」と烏丸恭介。
「わ、わわわ……わ……」
二千華は腰を抜かして尻餅をつく。まったく大丈夫ではなさそうだ。憂太は急いで大日如来の真言を唱え、ヴァジュラから光の剣を作り出す。
「オン バザラダト バン!」
憂太には見えていた。海水に落下した水死体たちが、この15センチほどの深さの中を猛スピードで泳いで自分たちを囲んでくるのを!
これに恭介も気づいた。
「飛翔刃舞!」
飛び上がった恭介から広く円状にナイフが飛び出す。しかしこれらは海水のすぐ下にあるアスファルトに跳ね返り、そのまま沈んでしまう。
「どういうことだよ!」
「ヤツらは海水の中だと実体が消えるんだ!」
憂太はそう言って、自分たちを中心に円を描くように、大麻を飛ばしてアスファルトへと刺した。
「急々如律令!」
憂太らの周囲を神社の神主がお祓いの時に振るう白いギザギザの神が先端に付けられた祓い棒が囲んだ。
「これって……」と烏丸。
「結界だ」
憂太は答える。
「結界を張った。これで怪異からは僕たちが見えないはず……」
砂川も恭介も二千華も眼を丸くした。
「すごい……式守っちが強いって本当だったんだ……」
「だけどこれからどうする?」
「それより式守くん、あの前から来る船に乗った坊さんは何なんだ!」
ベン! ベベベベベベン!
再び海座頭が琵琶を鳴らした。
憂太は周囲を警戒しながら答える。
「多分、海座頭……。人を溺れさせる怪異だ。あれに溺れさせられると船幽霊……さっきの水死体みたいにさせられて、アレの手下になる。溺死した怨霊が鬼になった姿とも言われているけど、何とも言えない……」
「つまり、あれも元は人間だったって言うわけ?」とニア。
「そうだと思う」
「も~! 『TOKYO』は本当に何が出てくるか分かんなくて怖いです!」
エリユリはそう言うと、弓を構え海座頭を狙った。
「今の私たち、憂太さんの力で『TOKYO』の化け物にも攻撃が通るんですよね!」
ギリギリ……と弓がきしむ。
「攻撃力はどうしても落ちるけど……」
「それでもいいです! やってみます!」
言葉と同時にエリユリは魔法の矢から右手を離した。
途端に、数十本の魔法の矢がまるで追尾ミサイルのように海座頭へと向かっていく。
その時、懐から蘆屋道満の声がした。
『ムダじゃ、ムダじゃ』
「えっ……!?」
憂太は自身の胸を見下ろす。
『ありゃあ、海座頭の姿を借りておるだけの別の怪異じゃ』
「別の怪異……?」
『まあ、見ておれ』
憂太は再び海座頭へと視線を戻す。
同時にすべての矢が海座頭に突き刺さった。
いや、突き刺さったという言い方では生ぬるい。いくつかの矢はその勢いで海座頭の杖を持った右腕を吹き飛ばし、片足に風穴を空け、最後には眉間に突き刺さり、首ごともぎ取った。
「やった!」
「やっつけた!」
憂太の周囲から歓声が上がる。憂太も思わず「よし!」と拳に力が入る。
だが。
吹き飛ばされたはずの海座頭の右腕と頭はあっという間に再生されてしまった。
「う……嘘でしょ……!?」
エリユリが絶望の声を上げると同時に、また海座頭が琵琶を鳴らした。しかもこれまでよりも激しくかき鳴らした。
ベンベンベンベンベン! べべベン! ベン! ベベン! ベベベベベベベベベベベベ!
『ほうれ、言わんこっちゃない』
海座頭をハリネズミのようにしていた矢も、すべて抜け落ちてしまう。そしてその琵琶の音と同時に、憂太らを守っていた大麻の棒が、次々とすべて音を立てて折られていく。
──結界が、解かれた……!?
憂太が動き出す前だった。
水死体=船幽霊たち一気に憂太以外の全員の脚にすがりつくと海水の中へと引き込んだ。
「みんなっ……!?」
ニアもエリユリも吉岡鮎も砂川も恭介も二千華も、声を発する暇さえ与えられなかった。
彼ら彼女らは、たった15センチの浅さの海の中へ、引きずり込まれて姿を消した──。