第46之幕 真夜中に海がやって来る① 【渋谷センター街】
第46之幕
吉岡鮎が連れてきたのはクラス委員長の砂川修、烏丸恭介、首藤二千華の3名だった。
砂川修は一見、眼鏡がよく似合う寡黙な秀才タイプ。だが始終おとなしいわけではなく、時に歯に衣着せずに物事をズバズバという。そう聞けば自分勝手で冷たい人間と見られがちだが、実は困っている人がいたら優しく寄り添い、手を差し伸べる一面も持ち合わせている。
烏丸恭介と憂太はこれまでほぼ絡みがなく、よくその性格は分からない。高身長で陽キャ。憂太とはまったく真逆の性質を持っているが、察するに、彼は吉岡鮎に想いを寄せていて今回の『死幻探索クエスト』に参加したのだろう。
もう一人は首藤二千華だ。恭介のグループでよく見た顔で、彼女についても憂太はよく知らない。だが「式守っちぃ、頼りにしてるよ~☆」とややうざ絡みしてくるところを見ると、それほど嫌なヤツではなさそうだ。
「なあ、式守……くん。あ、呼び捨てでもいい?」
恭介とは初めてまともに会話を交わすが、かなりフレンドリーな性格のようだ。
「う、うん。いいけど……」
「やったー。じゃあ俺のことも下の名前で恭介って呼んでくれ」
「あ、う、うん……」
人見知りで戸惑いを見せている憂太に、恭介は何やら勘違いしたようだ。
「あ。俺、ふざけてるわけじゃないからな、式守。『TOKYO』でのことは鮎ちゃんに色々聞いてる。俺も死ぬのはすっげー怖いし、あと、やっぱり皆が殺されたことはちょっと引きずってる……」
「分かる! あたしも行くかどうか悩んだんだよね~」と二千華。「でも、宝珠ってやつを使えば、唯も幸子も蘇らせることができるかもしれないもんね。何でも願いを叶えてくれるんでしょ。それに式守っち、実はめっちゃ強いって聞いて」
憂太は苦笑いした。彼らなりに今回のことは非常に重く受け止めている。だが、吉岡鮎と砂川はかなり上手くそんな二人を説得してくれたらしい。彼らも本当は怖い。だが使命感に燃えている。また憂太のことを気味悪がらないどころか、頼りにしてくれている感もある。
吉岡鮎の人気、恐るべし、だ。
「烏丸、首藤、それより式守くんにしっかりそれぞれの得意分野を伝えておこう」と砂川。「僕は後方支援魔法。肉体強化や防御力、攻撃力などをそれぞれアップさせることが出来る。きっと役に立つと思う」
次は恭介だ。
「俺はRPGのゲームで言えば『シーフ』かな。攻撃力や防御力は低いけど素早さと運が高い。あとは敵がどこにいるかの気配を探れたり、鍵を開けたり、宝の場所なんかも分かる。武器はナイフ2本。両手それぞれにナイフを持つ、いわば双剣士だな。魔法は炎系。でも倒すというより、敵を牽制したり、遠ざけたり、怯ませたり、まあその程度」
「あたしはシールダー」と二千華がニカっと笑う。「あんまり攻撃には参加できないんだけど、強力な盾や防御壁を作り出すことができるよ。みんなを守るのはあたしに任せて。……あ、あたしも別にふざけてはないからね。こうやって明るく振る舞っておかないと、なんか怖くて……」
「だよな。俺だって怖い」と恭介。
「だよねだよね。でも……やらなきゃ……」
理論的に考えればいいパーティーかもしれない。まずタンク=壁役として首藤二千華がいる。彼女の盾や防御壁で敵の攻撃を防ぎつつ、近距離戦闘の武闘家・ニア。遠距離弓攻撃とヒーラーのエリユリ。後方から能力アップ支援を行う砂川。そして強力な長距離砲を持つ吉岡鮎。バランスは取れている。
だが不安は残る。『TOKYO』に現れる怪異に彼らのファンタジー系能力がどこまで通用するのか……。確かに元いた世界……つまり、日本人である彼らは生まれながらにして『气』という特殊なエネルギーは秘められている。それは日本人の精神性のようなもので、いわゆる感受性や独自の死生観、覚悟だ。今はほぼ失われたように見える日本人精神だからこそ、彼らにも『气』を意識してもらう時間がほしかった。
だが実質そこまでの時間はない。理解してもらえる余裕もない。
だからこそ憂太は用意した。それが式神の呪符だ。
憂太の『零咒』がこの世界で発動するのなら、咒を込めた呪符に描かれた文字や模様も力を持つはず。事前に憂太は、参加者は全員スマホを持ってくるように伝えていた。それはスマホの写真機能でこの呪符を撮影するため。つまりスマホを起動し、この呪符の写真を画面に出すと、その願いに応じて、スマホから式神を呼び出すことができる。……はずだ。
吉岡鮎が皆に言ってくれていた通り、勇者組の全員が用意した呪符をスマホで撮影してくれた。もし、この方法が功を奏せば、戦いが起こっても随分と楽になる。
「じゃあ、準備はいい?」
大遺跡の『カーラ』の前に到着し、憂太は言った。全員、躰をこわばらせがらもしっかりと頷く。それを確認し、憂太は真言を唱えた。
死幻の属性は“火”。守護星は火星。
「ノウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」
火の象徴である不動明王の真言とともに、「オン・アギャラ・ロギャ・ソワカ」と火星=火曜星の仏身である「熒惑」への祈りを捧げる。右手の親指と人差し指を曲げ、残りの指を立てる。その手首を左手で握る。これが「熒惑」の「印」だ。
「みんな、着いてきて」
そう言って憂太は『カーラ』をくぐった。背後で皆が着いてくる気配がある。よし、これでいい。これで死幻がいるすぐ近くまで行けるはずだ。
背後で誰かがつばを飲む音が聞こえた。皆、緊張している。
なにせ、ニアとエリユリと吉岡鮎以外、『TOKYO』へ行くのは初めてなのだ。
憂太は朱雀の仏身である孔雀明王の陀羅尼を唱え続ける。「のうもぼたや・のうもたらまや・のうもそうきゃ・たにやた ・ごごごごごご・のうがれいれい・だばれいれい・ごやごや ・びじややびじやや・とそとそ・ろーろ・ひいらめら ・ちりめら・いりみたり・ちりみたり・いずちりみたり ・だめ・そだめ・とそてい・くらべいら・さばら ・びばら・いちり・びちりりちり・びちり・のうもそとはぼたなん ・そくりきし・くどきやうか・のうもらかたん・ごらだら ・ばらしやとにば・さんまんていのう・なしやそにしやそ ・のうまくはたなん・そわか……」
これに呼応し、やがて『カーラ』の転移術が発動した。暗闇から光が放たれ、その光から巨大な孔雀が飛んでくる姿が憂太には見えた。
――よし、成功だ……!
この光の向こうに死幻がいる。
死幻をなんとか説得し、連れ帰り、なんとしても『TOKYO』の情報を引き出さなければならない。
そのための仲間だ。
そのためのクエストだ。
膨張した光が徐々に薄れ、眼がそこにある光景を映し始める。
果たして『TOKYO』のどこへ飛ばされたのか。
死幻はどこにいるのか。
そう思っていた憂太は、眼の前に広がる光景に思わず眼を丸くした。
ここは……。
――渋谷。
あの惨劇が起こった渋谷……。
ランダムに飛ばされるはずなのに、死幻はまた渋谷に……!?
何かの偶然なのか。それとも何かが起こっているのだろうか。
「あれ、ここ……」
「渋谷……、センター街……?」
背後で恭介と二千華が驚きの声を上げる。
だが今の渋谷は先日とはある一点で異なっていた。
それは。
――水。
渋谷の街が冠水し、まるで海のようになっていたのだ。
水の深さは大体、足元ぐらい。
つんと潮の香りが憂太の鼻をつく。
ワカメがあちこちで長く帯のように揺れている。
──なにかの超自然現象が起こってる……!?
その時だった。
ギイ……ギイ……。
センター街の向こう側から何やら船を漕ぐような音が聞こえた。
その音の先にはやや遠くに人影が……。
ギイ……ギイ……。
音は近づいてくる。
人影も近づいてくる。
やがてそれは小さな船に乗った男の姿だと分かった。
その男は両手に琵琶を抱えていた。
頭は剃り上げられており、僧のような服をまとっていた。
ベン、ベベン!
その僧が琵琶を鳴らした。
ベベベン! ベン!
琵琶法師。
船に乗り、眼は閉じられ、琵琶をかき鳴らしながら近づいてくるその姿。
これに憂太は見覚えがあった。
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』や、熊本県八代市の松井文庫所蔵品『百鬼夜行絵巻』などの江戸時代の絵巻にその姿が記されている妖怪。
――海座頭。
その見えないはずの眼が見開かれた。
そしてニヤリと口元が笑った。
ベベベベン! ベン! ベベベベベン!
同時に、足元ぐらいしかない深さの海水から。
ひどく腐敗した水死体のような者どもが飛び出した。
彼らは大きく跳ね、憂太たちへと襲いかかる──!
渋谷の夜空に悲鳴が響き渡った!
「海座頭」