第42之幕 北辰占星術
第42之幕
走る、走る、走る──!
あんなに柔らかい床でゆったりしている暇はない。
そんなことより姉を探さなければ。
あの『TOKYO』とか呼ばれる異界の地で。
生き別れになったまま500年は過ぎた。
月読……。
お前は一体どこにいるんだ──!?
全身が黒い衣服に包まれたその少年の姿はその速度もあいまって、まるで黒い閃光のようにも見えた。動きはまるで忍びの者。
それはそうだ。何せ死幻は呪術師殺し。
13歳にして六道衆きっての最強の術師であり、呪術師を誅殺するのに風の如き速さと影の如き隠密性を持たねば呪いで返り討ちされる可能性が高まる。
その身のこなしに無駄はなかった。
陽が昇る前の『アドリアナ公国』をあっという間に死幻は駆け抜けた。
空には巨大な彗星=妖霊星が天を大きく二分している。
不吉な凶の星空の下を死幻は走る。
やがて丘の上に大きな遺跡が見えてきた。
あそこだ。
あそこの『カーラ』と呼ばれる門をくぐれば良い。
こちらの世界に月読が帰っている様子はなかった。
ならばやはり『TOKYO』に……!
仇敵である八咫烏も月読、そして俺を探しているはずだ。
なかでもあの邪桜という人間は厄介だ。
あいつらに月読が見つかる前に。
俺は、姉を、月読を……!
『カーラ』に飛び込む死幻。
途端に空間が歪み、次には、眼の前に夜の摩天楼がそびえ立っていた──。
◆ ◆ ◆
「ねえねえ、憂太。何してんの?」
背後からニアが憂太の手元を覗き込む。
「そんな大きな紙を広げて、今度はどんな魔法を見せてくれるんですか? それがあの過去の勇者さまの手がかりになるとか?」
「うん。その手がかりを掴もうと思っている」
エリユリからの問いに憂太は妙見菩薩の印を結びながら言った。
「それにこれは魔法じゃない。呪術……。陰陽術……。『零咒』の術式だ」
そして。
「オン・マカリシエイ・ジリベイ・ソワカ」と唱える。「天の蝶よ、舞い上がれ。その羽ばたきに星の光を宿し、夜空に星座の道を描け。急急如律令」
その言葉と同時だった。何も書かれてない広い白紙から一斉に光る蝶の群れが羽ばたいた。
「うわあ……」
「何これ……きれい……」
ニアとエリユリが思わず感嘆の声をもらす。
二人の瞳にはこの輝く蝶の光がキラキラと反射していた。
先刻前。
憂太ら勇者残り21名はアドリアナ大公の謁見の間に集められた。もちろん吉岡鮎もだ。
「勇者さまたちに集まってもらったのはほかでもない」
大公の隣にはラウラ姫も凛として立っている。
「先日『TOKYO』ダンジョンにて発見された500年前の勇者さま……名を『死幻』というが、その勇者さまが失踪した。おそらく夜が明ける前に『TOKYO』に再び潜られたと思われる」
同級生らがざわめく。その中で吉岡鮎は冷静だった。きっと大公の方に眼を向け、そして軽く腕を組んでいる。
「『死幻』さまは500年以上、彼の地におられた。おそらく様々な情報を持っておられるに違いない。彼の地の謎、そしてすべての願いを叶えるとされる宝珠の謎も。ゆえに勇者さまたちにはぜひ、『死幻』さまを探し出してほしい……」
「それは確かなのですか」と声を上げたのはクラス委員長の砂川だ。
「その『死幻』という人物が、宝珠の情報を握っているというのは」
「……正直なところ、憶測に過ぎん……」
途端に非難の声が上がり始める。
これを止めたのは意外なことに、あの吉岡鮎だった。
「みんな、落ち着いて聞いて!」
クラスで一番の美少女。
表の顔ながら人当たりもよく、人気者だった彼女の強い口調に、憂太以外のクラス全員が驚きでぽかんとした。
「いつまでお客さま気分なの? 分かってる? あそこで。あの『TOKYO』と呼ばれるダンジョンで。みんな死んだのよ。久世くんも虎井くんも大嶋さんも、そして幸子も……。この異世界の危機とかの他人事とかではもうない。すでに私たちの問題になってるの。友達が殺された。化け物に。よく分からない怪物に。他のことは分からない。人を殺すような奴らが歩き回っているっていうこと以外、私たちはあのダンジョンのことを何も分かってない! その情報を持っているかもしれない人が現れたの。これをみすみす見逃すわけにはいかないと思わない?」
クラスメイトたちは誰も口を聞かない。鮎は続ける。
「宝珠を探すにしても、あのダンジョンを攻略するにしても、情報は必要よ。情報こそが最大の武器になるの。だから私はその『死幻』って人を追う。式守くん。あなたも協力してくれるわよね。『TOKYO』で私を助けてくれた立役者なんだから」
突如名を呼ばれて驚いた。鮎は憂太をまっすぐな視線で見ている。その眼は異世界転移する前のものではない。そこには確実なる信頼の情がこもっていた。
クラスの数人が「式守?」「なんであいつが」「頼りなさすぎない?」と不満の声を上げる。だが鮎はハッキリとこう言ってのけた。
「式守くんを信用しない人はどうぞここに残って。そしていつか化け物に取り殺されればいいわ。私は式守くんを信じている。式守くんこそ、私たちに力をくれ、そして私たちを救ってくれるキーマンなのよ」
◆ ◆ ◆
これまで自分のことを虫けらのような眼で見て相手もしてくれなかった美少女。その吉岡鮎が、皆の前であそこまで強く言ってくれた。「私は式守くんを信じている」――その言葉が憂太の心の灯を大きく煽った。
――やらなきゃ。
憂太は自身の全知識を総動員することを決めた。
――宝珠が手に入れば、大嶋さんも蘇るかもしれないし……。
そうだ。大嶋唯。
最初に勇気をくれたのは彼女だった。(大嶋さんの魂を取り戻したい!)。その気持ちがさらに憂太の背中を押した。
そして今、眼の前で大量に湧き上がった光の蝶たち。宿屋の自室のありとあらゆるところに光り輝く蝶が舞い踊っている。
「憂太……これ、どうなってるの?」とニアがうっとりしながら聞く。
「まずは、あの『死幻』という男が『TOKYO』のどの場所にいるかを突き止める」
憂太がそう言うのと同時に、光の蝶たちが紙の上に止まり始めた。
「これって……」
「星図だよ」と憂太は答えた。
「まずは北極星、そして北斗七星。蝶たちが舞い降りた場所がそれぞれの星の位置を指し示す。いわゆる北辰信仰。北極星である妙見菩薩の力を借りて、星の位置から占星術を使って『死幻』がいるだろう場所を突き止めるんだ」
「蝶が……星の位置を指し示す……のですか?」
エリユリが興味深そうに憂太の背後から乗り出す。光る蝶は北極星、そして北斗七星を形取るように止まり、さらにさまざまな星座を描き始めていた。