第40之幕 大彗星
第40之幕
大嶋唯ら憂太の同級生が『TOKYO』で次々と殺戮されたあの地獄の夜からすでに一週間。
クラスメイトたちは嘆き悲しみ、「帰りたい」とさざめ泣く女子も大勢いた。
命を落としたのは大嶋唯をはじめ、乱暴者の久世祐一、その友人の虎井、そしてクラスのムードメーカーだった田中幸子。
だが憂太はもちろん、生き残りである吉岡鮎もニアもエリユリも誰も、その詳細な死に様は明かしていない。いや明かせるわけがない。あれはあまりにも酷たらしすぎる……。
「”死”という情報だけで充分だと思う。それ以上は皆をさらに不幸にさせる。今後自分がたどるかもしれない”死”という辛い運命。その恐怖に耐えるよりも、逆に自ら”死”を選ぶということもあり得る。”死”とはそうあるべきじゃない。生きるのも日常、死ぬのも日常……その感覚がこの世界で皆が生きていくのに大切なことだと思う」
憂太のこの言葉にはさすがに吉岡鮎は驚かされた。憂太にとっては『零咒」の基本的な教えだったが、鮎も自分なりに考えたようだ。最終的に憂太に同意した。
「私はそこまで深く考えてなかったけど確かにそうかも。それにあんな光景、そもそも思い出すのも嫌だもん」
意外と強い女の子だ、と憂太は感心した。あの時はあんなに泣すがっていたのに……。
怪異に殺害されたクラスメイトたちの葬儀はこの世界独特のもので行われた。
一ヶ月の半分ほど、この世界では巨大な彗星が夜空に流れる。
その夜空を大きく引き裂く光の筋を、この世界のものは自身らの信仰対象である『虚』に現れた大きな裂け目……『カスケード』になぞらえている。神官たちは広い夜空へ向かって大嶋唯らの魂を弔った。
「すごく……綺麗……」
友人の死があったといえど、この壮大な天体ショーにそんな言葉をこぼす同級生もいた。
彗星の核がごく近い場所を通過するせいか太陽に近づいた際に現れる塵やガス、イオンや氷などから形成される尾部分は空の大半を横切るようにたなびき、憂太たちがいた世界ではあり得ない規模のその大きさと長さに、召喚された勇者予備軍の誰もが魅了された。
良かったと憂太は胸をなでおろした。
きっとこの美しい光の筋は、皆に”死”への根拠のない恐怖を忘れさせるだろう。
『なるほど。妖霊星か……』
葬儀の間、憂太の肩に乗った蘆屋道満=小さなピンクのぬいぐるみが言う。
『大乱や国の滅亡、災害、疫病といった出来事を予告する凶兆の星……。この異世界ではそれが信仰の対象となっているわけだな』
「日本や中国でも天狗信仰の発端だ。別に不思議なことじゃないよ」
憂太もそれを見上げながら言う。
『天駆ける狗か……。いずれにせよ陰陽の天体学では凶星だ。あまりありがたがりたくないものだな』
そんな二人のやりとりを吉岡鮎も聞いていた。
憂太は一体、誰と喋っているのか……。
なんらかの機会があれば、聞いてみよう。
そう。この一週間で変わったことで言えば、この吉岡鮎と憂太との関係もあった。
アドリアナ公国市壁の外で行われる戦闘訓練。
同級生たちがそれぞれ剣や槍、弓に魔法などの特訓をモンスター相手に行っている時間なども、吉岡鮎は憂太の隣にいることが増えた。
「式守くん。どう思う……?」
その日も鮎は憂太にそう話しかけた。
以前、隣にいたのは大嶋唯だった。その幻影が吉岡鮎と重なる。それはそうだ。憂太だって唯の死のショックから立ち直れたわけじゃない。そんな自身の混乱を隠すように憂太は答えた。
「どう……って?」
「私たち……。元の世界に帰れると思う……?」
眼の前の丘陵地帯で砂塵を巻き上げながら懸命にモンスターと戦っている同級生たちを見ながら鮎は言う。
これに答える代わりに憂太は別の質問を投げた。
「吉岡さん……、なにか武道の経験があるでしょ」
「武道……?」
「うん。例えば空手。あと柔道や合気道……」
「…………」
「一番、可能性があるのが、剣道……」
「えっ……」
しばらく気まずい間が空く。その間も同級生たちの勇敢な叫び声が聞こえ続けていた。
「違った……かな」
「なんで知ってるの、式守くん」
鮎はじろっと憂太を見た。美少女から見つめられるのは心臓に悪い。
「や、や……。いや。それで辻褄が合うと思ってさ」
憂太は慌てているのを懸命に取りなした。
「武道……。つまり『道』の訓練をしたことがある人はほぼ必ず『气』を練る経験をしたことがある。『气』ってのはこう書くんだけど」
憂太は小枝で地面に『气』と書いた。
「この『气』という漢字は体内の内なるエネルギーや精神性そのものを指している。それを閉じてしまっているのがこの字」
次に憂太は『気』に字を地面に書いた。
「そして、エネルギーと精神性が開放された状況がこれ」
鮎が見たのは『氣』の字。
「本当はもっと複雑なんだけど、吉岡さんの放った魔法の力が『TOKYO』の怪異に通用したのはこっちのほうの『氣』の開放ができたからだと思う」
真剣に小枝と土を黒板のようにして説明する憂太の横顔を見て、吉岡鮎はこう思っていた。
(ふうん……。こうしてちゃんと見てみるとこの子、すごくまつ毛が長いじゃん……)
女の子みたいなきれいな顔をしているなと思った。
それまでは単なる気弱な男子だとちょっと馬鹿にしていたのに……。
「そっか。よく分からないけど、それで私の力が通用したのね」
「あ。うん……。多分、ほかの人たちも日本人という奇妙な精神性を持った人種は、この異世界の人たちよりも『空亡』の怪異に対してある程度の力を通せると思う。文化的に『气』、あ、こっちの『气』ね」
小枝でその漢字の周囲をぐるぐるとひっかく。
「こっちの『气』は西洋文化が入った今も、日本人にはこの精神性は残っているから」
つまりはクラスメイトたちにも『气』の存在を気づかせることが『TOKYO』ダンジョン攻略の近道になると言いたいわけだ……。鮎は思った。
「分かった。協力してもいいわよ」
そう言って鮎は立ち上がった。
「協力……?」
思わぬ言葉に憂太は動揺した。
「どうせ式守くんは、そんなこと皆に言い出せないんでしょ」
あ……。確かにそうだ。どうして僕は吉岡さんにはこんなにベラベラと話しちゃったんだろう。また「オカルトオタク」と気味悪がられるかもしれないのに……。
鮎は立ち上がるとパンパンとお尻についた土を払う。
「いいよ。私が皆に伝えるの手伝ってあげる」
「どうして……。今度は吉岡さんが皆に気持ち悪がられるかもしれないのに」
「バーカ」
そう言って鮎は腰をかがめ憂太に顔を近づけた。
「こ~んな人気者で、こ~んな美少女の私が、皆に気持ち悪がられるわけないでしょ。いいから任せといて。また話、聞きに来る。じゃあね」