第39之幕 六道衆・死幻
第39之幕
●「死幻」イメージ
――世の中に「天才」はいるか。
答えは「いる」だ。
なぜか。
俺がそうだからだ。
俺が産まれたのは紀州徳川。熊野国の山深くにある六道衆の里だった。
俺が母の胎内から取り出された時は長老たちの間で大騒ぎになったと聞く。生まれ持ってのその呪力の強さに誰もが驚いたのだ。
「こ、この子は日の本の民、すべてを殺してしまう程の力を産まれながらに宿しておる……!」
要は呪術の「天才」。
俺が誕生した時、その咒のあまりの強力さから当時、多くの村人が病死、自害、作戦の失敗などでこの世を去ったという。
もちろん、母も、だった──。
母は俺をこの世へに送り出すと同時に息絶えた。眼を剥き出し、顔は歪み、そして自らの舌を噛み切るほど悶絶して果てたらしい。
ゆえに俺は母の顔を知らない。
俺は長老たちから「死幻」の名を与えられた。
六道衆に伝わる祟り神であり英雄でもあった者の名だ。
そう言えば聞こえは良いがつまりは「忌み子」。
つまり俺は生まれながらにして、その「名」から呪いをかけられてしまったのと同義となる。
そんな俺は誰からも恐れられた。父ですら赤子の俺を何度か殺しかけたと語っている。
……まあ、その父は、俺が後に殺すことになるのだが……。
父の俺の殺害を止めてくれたのは姉の月読だった。
そして俺が父殺しをしたあと、俺を親代わりに育ててくれたのも月読。
月読とは天照大神の兄弟神の名だ。
大層な名前を付けられたものだが何てことない。
実際に最初に付けられた名前は月黄泉。
俺同様、非常に強い呪術を持っていたので忌み字を当てられた同族であった。
その姉はこの暗殺者集団ともいえる六道衆の人間としてはあまりに優しすぎた。
それゆえ長老会議により、月黄泉を月読とし、その言霊をもって、姉の荒ぶる呪術を封じようとした。言葉遊びでの厄介払い。しかし姉はそれを素直に喜んだ。
人が好いにもほどがあるってもんだ。
そうそう。六道衆とは何か、それを語ることを忘れていた。
六道衆はいわば、修験道、密教、陰陽道ら呪術を扱う者たちに特化した暗殺軍団だ。
時は南北朝時代。
朝廷が北と南に分かれて争っていた頃、その背景では呪術師による要人の謀殺合戦も激しさを増していた。
このため呪術師自体を亡き者にする必要が生じた。そこで集められたのが呪術師の中でも強い力を持ち、さらには剣術にも長けた者たち。
六道衆とは、その末裔。呪術師殺しの忍びの者の集まりと言ってもいい。
やがて北朝が南朝を破ったことで、後小松天皇の時代が訪れた。
六道衆はお役御免となり、『日本書紀』においてイザナミノミコトが葬られたとされる霊地・熊野地方へと追いやられた。そしてその深い山に村を作り、単なる村民に身をやつしてここまで来た。
だがその技と術は後世に伝えられる。
それが六道衆。俺は、山に移って以来の最強の術師と恐れられた。
誰もが俺を怖がり忌み嫌った。
姉の月読だけが俺の話し相手だった。
「死幻、あんた村の悪ガキどもを十人も半殺しにしたでしょ。あんたの体術に叶う者なんていないんだから、からかわれたぐらいで本気を出しちゃダメ」
「月読、俺、本気なんて出してないよ」
「本気じゃなくてもダメ!」
五歳の時には酔っ払って姉や俺たち一家をからかった寄り合いの大人たちを殺した。
どんどん人が集まってきてしまい、結果、二十数名の死傷者が出た。
呪術。そして剣術。
俺はその頃には小太刀ぐらいの重さであれば誰よりも早く振るうことができた。
大人であっても五歳の俺には叶わない。
虚しさを感じながら覚えているのは、姉の涙だ。
姉は何度も何度も村の者たちの前で頭を下げた。土下座をした。
どうしてそこまでやる必要があるのだろう。
こんな奴ら死んでも問題ないじゃないか。
そもそも奴らの方こそ俺の死を望んでいる。
俺には理解ができなかった。
そんなある日のことである。
俺が父を殺して六年後。俺が十三の歳。
――突如、村が襲われた。
襲ったのは朝廷の諜報機関である八咫烏の連中だった。
南北朝時代が終わり、戦国の世へと移り変わりつつある中、さらなる呪術による謀殺戦が激しくなっていた。
そんな状況では呪術師殺しの六道衆が邪魔になったのだろう。当時はいいように使っておいて、不義理もいいところだ。
だが、襲撃を受けた当時、俺はやつらが八咫烏だとは知らなかった。
突如襲ってきたこの暗殺者たちを殺すことに忙しかったからだ。
十三歳。俺はすでに無敵となっていた。
六道衆でももちろん、八咫烏であっても俺に勝てるものなどなかった。
その頃の俺はすでに幽冥閃光の術を習得していた。
天狗と韋駄天の権能を借り、自身の肉体の動く速度を二倍、三倍にする六道衆の秘術だ。
「幽冥閃光脚・改の弐!」
これで俺の速度は二倍となる。ここまでは六道衆の長老クラスなら扱うことができた。
だが。
「幽冥閃光脚・改の参!」
三倍はこの時の六道衆でも俺しか達成できておらず、この速度をもってすれば、俺の跳躍力も助走なしの一飛びで百尺(30メートル強)。改の四を用いれば、その倍の距離を一瞬で飛ぶことができた。
まさに雷のように縦横無尽に戦場を駆け巡る俺は、そこで唯一、俺の刀を受け止めた男と出会った。
名は邪桜。
華麗かつ無駄のない動きで敵を一瞬のうちに斬り伏せる、剣術の神のような男だった。
だが邪桜が恐ろしいのは、俺を上回る呪術であった。
おそらく剣技のみであれば俺が圧倒するだろう。
だが邪桜は素手で岩石を割ることができた。
術で一度に十人を焼き殺すことができた。
その長髪で人々の首を絞め殺すことができた。
不意をつかれ、俺も不覚を取ってしまった。その蹴りが俺の腹に入ってしまったのだ。そして邪桜の刀が俺の額を割らんとし……。そこで飛び出してきたのだ。
「死幻!」
姉が!
月読が!
そして邪桜の刀が月読の背を斬らんとした時。
俺たちは光に包まれた。
何も見えなくなった。
何も分からなくなった。
これはあとで分かることだが結論から言おう。
召喚されたのだ。
アドリアナ公国という見たことも聞いたこともないその土地へ――。
月読もその光の中にあった。
だがそれからどれぐらいの月日が経ったであろう。
五百年……もっとか?
この土地で月読の姿は見ていない。
だが感じる。
咒の力を。
占の力が、語っている。
――月読はこの『TOKYO』と呼ばれる異界にあると。
俺たちは『空亡』の呪いに巻き込まれ、邪桜ら八咫烏の連中や六道衆の連中を探し倒しつつ、この異界『TOKYO』を怪異を倒して回った。
だが、月読は見つからぬままだった。
他の六道衆の者共は死亡、または失踪した――。
◆ ◆ ◆
死幻が目覚めた時、彼はやわらかなベッドの上にいた。
体のあちこちが痛い。どうやら骨が折れているようだ。
(……見覚えのある、天井だな……)
数百年ぶりであろう。
それまで『TOKYO』を彷徨い歩いていた死幻にとって、このアドリアナ公国の中世ヨーロッパ風のこの部屋は、ひどく懐かしく、ひどく忌々しいものであった。
(俺は……気を失っていたのか……)
不意をついた何者かによる「气」の攻撃。
感じたこともないような強力な「咒」の力を浴びたところまでは覚えている。
(とすれば夢か……)
その時、近くで何かが割れる音が聞こえた。
「あ……あ……」
見れば、これもまた見覚えのある、やたらひらひらとした着物……。
そう。アドリアナ公国の姫君であるラウラのメイド。そうあとで知らされることになるのだが、その女が花瓶に新たな花を飾り、この部屋へと入ってきたのだ。
「ラウラ様! ラウラ様!」
そのメイドは、まるで妖怪にでも遭ったかのような怯え方で、ドアの外へと駆け出した。
(そんなに怯えずとも、俺は指一本動かすこともできないのだがな……)
俺はため息をつき、再び天井を見た。
ぼんやりとしたその眼では、そこにあった小さな薄い染みが、なぜか姉の月読に見えていた。