第36之幕 美少女・覚醒
第36之幕
●覚醒した吉岡鮎イメージ
口火を切ったのはエリユリの弓矢であった。
一度に数本の矢をつがい、そしてそれを一気に渋谷スクランブル交差点の夜空へと穿つ。
憂太がかけた妙見菩薩の加護はまだ残っている。つまり、天帝・北極星と北斗七星からの退魔能力によってエリユリの攻撃は怪異を殺めることができるはずだった。だが。
すり抜けてしまう。
正確無比、自由自在に操れる魔法をかけた矢。そのすべてが『カナコ』の躰を素通りして、そのまま路面へとタタタタタッと刺さった。
「うそっ! さっきの、女の子の怪物には効いたのに……!?」
トレシアとニアも動き出していた。
長い金髪をなびかせながら、その身の丈よりも大きな巨剣を振るうトレシアは一撃必殺を狙い、いきなり「雪覇氷公牙」を放つ。
一振りの強烈な威力のみならず、上下から二つずつ激しく光が走る力と魔法の混合技。
その牙のような光は魔法の斬撃。
狼の顎が捕らえたような攻撃の後、トレシアの巨剣が相手を真っ二つにする、トレシア最大級の技だ。
器用に路面と並行して飛び、奇をてらいながら真横から『カナコ』の胴体部分を狙ったトレシア。機転を利かした攻撃だったが。
「…………!?」
エリユリと同じように手応えはなく、すり抜けてしまう。
トレシアはやむを得ずアスファルトの上に着地した。
格闘術を得意とするニアの武具は「虚無の拳」と名付けられたグローブだった。とてつもない運動神経で連打を放つ。
だがどんなに攻撃をしても。
そのすべてが。
すり抜ける、すり抜ける……。
華麗な体技はまるで舞っているかのよう。
だが『カナコ』には当たらない。
それどころか何本もの『カナコ』の手足に一気に襲われ、捕まらないためにもやむを得ず、バク宙をしながら後ずさらざるを得ない状況に追い込まれた。
ニアの表情に悔しさが滲み出す。
「みんな、どいて!」
だが、この瞬間を狙っていた者がいた。吉岡鮎だ。
吉岡鮎は待っていた。誰もこの化け物の周囲にいなくなるこの時を。
そう。
あまりにも極大すぎる光魔法。吉岡鮎がこの異世界で与えられたチート級の大技を放つ時を。
「天使歌砲!!」
渋谷駅舎に大穴を空けた大技。
これが一瞬で『カナコ』の八尺もある肉体すべてを捉えた。
異世界の者たちの攻撃が当たらなかったように、誰もが失敗に終わると思っていた。
だが『カナコ』の顔色が変わる。『カナコ』の肉体がのけぞる。
それは吉岡鮎の中に芽生えた「氣」の力があってこそだった。
友人たちが無惨にも殺された恐怖、怒り、悲しみ。
さらにどんなにすがっても、ぼうっとして動かない憂太への憤り。
飛び跳ねていた感情が昂ぶりすぎ、逆に一気に冷めて心に「凪」が生まれた。
日本人。
その重要な心。
侍精神。
揺るがず。騒がず。動ぜず。
偶然にも冷めた感情の「凪」がこの境地に達し、吉岡鮎の「气」を開いたのだ。
「天使歌砲」により、『カナコ』の輪郭が少しずつ崩れていく。
それは吉岡鮎、覚醒の瞬間であった。
吉岡鮎──。
1月30日生まれ。B型。身長162cm。
実家は資本家で、幼少期より歌とダンスのスクールに通う。
街の道場で剣道も学んでいたが、12歳、中学1年生の時、読者モデルとして原宿でスカウトされる。都大会に個人戦で出場するほどの実力を誇っていたが、あざができることを嫌がり、剣道はそこで断念する。
誰にも驕った態度を見せない性格を装っているが、実際には才色兼備である自分のすべてを鼻にかける高慢さと毒舌の持ち主。
常にクラスの人気者でありたいがために、教室でハブられていた式守憂太には冷たくあしらっていた。
その美貌からも学年でも屈指の人気を誇る。だが実は内心では友人だと思える人物はいない。
いい友人に恵まれなかったこともあるが、彼女の外面の良さが招いた結果であり、彼女自身は実は孤独を感じていた。
田中幸子と仲が良いのは幸子が、ある意味、損得を考えずに人と接する性格だったから。
幸子の楽観性が、常に下心を持って近づいてくる輩を嫌っていた鮎にとってはラクだったのだ。
この異世界へ召喚されたことには当然、戸惑った。しかしその時も、そんな素振りは見せなかった。
動揺したみっともない姿を見せたくなかった。
だが、幸子の手足が引きちぎられていくのを見て、その「外面」は壊れた。
「仮面」が割れた。
結果、あれだけ距離をおいておいた憂太にすらすがった。
さらには彼女が元々感じていた「孤独」が、小学生時代に彼女が習っていた「剣道」という「武術」の精神と偶然、重なった。
揺るがず。騒がず。動ぜず。
ゆえに。
覚醒を果たせたのだ。
「气」……その目に見えぬエネルギーを見る「心眼」に。
今、吉岡鮎から放たれるその光魔法の根源にあるのは、紛うことなく「氣」の力。
憂太以外のクラスメイトの誰もが達していない境地に、皮肉にも、この世界を救う気など微塵もなかった彼女がたどり着いた。
「天使歌砲」は、あまりにも強大だった。
『カナコ』の背後のアスファルトを一直線に剥がし取り、そして背後のビルの一階二階部分を粉砕する。結果、大きな商業用ビルが轟音と爆炎ともに大きく傾きながら崩れ落ちていった。
「す、すごい……です」
その威力と爆風に耐えながらドラゴンニュートのユマは思わずつぶやいた。
「これが、勇者さまの力……」
「天使歌砲」の発動を見ていち早くその場を飛び退いたトレシアとニアも呆気にとられてこれを見ていた。
自分たちが傷一つつけられなかったあの化け物。それが苦しんでいる。身の丈2メートルを超えるあの女が、明らかに苦悩の表情を浮かべている。躰がほころびていっている。
──いける!
その場にいる誰もが思った。
期待を寄せた。
やはり、異世界から召喚された勇者であれば、無敵といわれた「TOKYO」のモンスターを倒せるのだ。
勝機を感じた。
高揚した。
眼を輝かせた。
……憂太以外は。
まだこの時、憂太はいまだに大嶋唯のあの悲惨な姿にその心を囚われていた。
このクラスで唯一、最初から憂太に心を開いてくれた少女。
裏表なく誰とも朗らかに接し、そして決して出しゃばらなかった。
この異世界に来てまだほとんど日は経ってない。
だがこの短い時間で、憂太は大嶋唯に対して、心を開きつつあった。
それが、失われた──。
そのショックはあまりにも大きすぎた。
唯が闇に取り込まれ、化け物となってしまったことはさらに憂太の心を破壊した。
(大嶋さんは何も悪くないのに……)
どうして、あんな、いい子が……。
「憂太さん、しっかりしてください!」
突然の呼びかけに、憂太は思わず肩をビクリとさせた。
誰だ。一体、誰だ。
「あの女性の勇者さまが、あんな怪物相手に勇敢に戦っているんですよ!」
エリユリだ。エリユリが憂太の躰を揺さぶっている。
(そう言えば、この子も初対面から、僕のこと信じてくれてたよな……)
憂太はぼんやりとエリユリの顔を見上げる。
青い瞳にツインテールにした金髪。
エルフらしい木の葉のような形をした耳に、緑を基調とした品の良い衣装。
「憂太さん、めちゃくちゃすごいじゃないですか! 勇者さまじゃないですか! 私たちに見たこともない魔法のようなものを見せてくれたじゃないですか! なのに、なのにどうして、戦わないんですか!?」
(そうだ……)
憂太はうっすらと思う。
(僕も戦うために召喚されたんだったっけ……)
ヴァジュラを握る手に力を込める。だが、躰と心がバラバラでうまく動いてくれない。