第35之幕 血みどろTOKYO:八尺さま【渋谷】②
第35之幕
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
悲鳴が都心の闇に響き渡る。東京。渋谷駅前。スクランブル交差点。
そのほぼ中央に彼女の同級生の久世祐一の首がころころと転がった。
首を失った久世の骸から闇の空へ向けて、火山の噴火の如く血が噴き上がる。
「勇者さまっ!!」
このむごたらしい光景についにアーシャが動いた。
魔物料理の店『トレシアレストラン』の給仕で、グルメのために魔物狩りをするギルド『最終旋律』の一人。
男勝りながらも、その可愛らしい給仕服とのギャップで人気の白狼族。
彼女が『カナコ』に向かい、必殺の剣戟である黒狼土砂斬を放つ!
土の精霊の加護を受け、砂や石、土埃までをも嵐のようにその刀にまとわせる。その刀身で斬られた者はまるでノコギリ刃をかけられたかのように荒々しく肉片を削がれてしまう。巨大な黒い竜巻が渋谷スクランブル交差点を走り抜け、『カナコ』を巻き込んだ。間違いなくこの異世界でもS級クラスの技だ。
だが。
「なっ……!?」
そこにいる誰もが目を疑った。なぜなら。
すり抜けたのだ。
まるでそこに何もないかのように。
大きく空振り、バランスを崩すアーシャ。そのアーシャを、そこに立っていた巨大な女が細く長い手で吹き飛ばした。
(やっぱりだ……)
式守憂太は思う。
『気づいたか。小童』
憂太の式神・蠱毒の怨霊・芦屋道満が憂太の心に囁きかける。
『“地”、“火”、“風”、“水”。こちらにもその概念はある。だがそれだけでは怪異は倒せん』
そう。
基本、古代ギリシャの哲学から生まれた西洋の四大元素は「地」「水」「風」「火」の4つの属性からなっており、それは現在に至ってもファンタジー世界での共通認識のようになっている。
この異世界が『カスケード』と呼ばれる空間のひび割れから作られた、「人々の想像上の中世ヨーロッパファンタジーの世界観」であることから、この異世界の魔法もその影響を受けていると考えられる。
だがこと、日本人。陰陽五行説ではそもそも体系が異なる。
五行説での元素は「木」「火」「土」「金」「水」の五大元素。
つまり空想上での魔法元素では、「怪異」という存在にダメージを与えられる元素がそもそも違うという仮説が成り立つ。
(だから、この国の神官は僕ら日本人を異世界召喚したのか……)
まだショックを受けたぼんやりとした頭で憂太は思う。
『ただ日本人だからというわけではあるまい』
と、道満は続けた。
『西洋は「理性」と「知性」が先にあり、そのあとに「感性」が続く。だが日本は熟練された「感性」が先んずる。「感性」つまりは「氣」の力。「氣」を消す、「氣」を殺す、「氣」を抜く、「氣」を入れる、「氣」を留める……。感性をどのように操るかという世界であり、そもそも精神性が大きく異なる』
「気」と「氣」。
同じ読みだが意味は異なる。
「気」の部首である「气」には、それ自体が目に見えないエネルギーを意味する。
それに「〆」が足されたのが「気」だ。
一方で「氣」は、「米」が足されている。
「米」は八方に広がっていく「力」も意味しており、「目に見えないエネルギーを〆る」意味の「気」とは真逆。つまり「氣」は「目に見えないエネルギーを発露する」ことにつながる。「氣」が使われなくなったのは第二次世界大戦後、GHQによって漢字の見直しが行われた時。
一説には「氣」という漢字が日本人の精神性を強く表しており、アメリカは、日本人の持つ「感性」「氣」を恐れたから、という話がある。もっとも「異教徒のあやしげな精神のせいで、神風特攻隊のような倫理のないことをするんだ」という差別が大前提ではあるが。
憂太の母は憂太へとこう伝えてもいた。
「いい? 憂太。あなたが日本人である以上、死を恐れてはいけません。だって死はほら、実はこの世のどこにも転がっているのですよ。死とあなたが生きているこの場所は地続き。決意、決断、覚悟、信念のもとに己を天に捧げる。ゆえに『零咒』は、あなたと共にあるのです」
──と。
そう。死はどこにでも転がっている。
その「死生観」が僕たちと怪異たちをつなぐ。
死なんて、今も、そこに、ほら……。
久世祐一の頭を跳ね飛ばした『カナコ』は次に、自らが先ほど引きずり寄せた、田中幸子の足首を掴んだ。
「イヤあああああああああああああああああああ!!」
絶叫を上げるも幸子の足首はそのままねじり切られた。
そしてそれは夜の闇にぽ~んと捨てられる。
その瞬間、渋谷スクランブル交差点の信号がすべて一斉に「赤」になった。
「た、助けて……式守くん……!」
腰を抜かした同級生の吉岡鮎が、涙で顔をびっしょりと濡らしたくしゃくしゃの顔で憂太にすがりついてきた。
「もう男子は式守くんしかいないの! 助けて、幸子を助けて!」
『カナコ』は長い両手を器用に操り、田中幸子の腹の内をかき回している。内臓を引き出し、手足を引きちぎり、まるで子どもが飽きたおもちゃを放り投げるがごとく肉片を辺りに散らかす。
大量の血で路面は血の海と化していた。
その血が吉岡鮎の足元まで濡らしている。
「死んじゃう! 幸子が死んじゃう! 式守くん助けてええええええええええええええ!!」
クラス一の美少女がなんて顔をしてるんだ……。
憂太の脳内は、あの大嶋唯の亡骸でいっぱいだった。
腹を割かれ、仰向けのまま肘立ち、そして両脚で臀部を押し上げて、まるで爬虫類のような動きで暗闇へと消えていった唯。
「おはよう、式守くん!」
朝の教室では、クラスで気味悪がられている憂太にそう挨拶をしてくれていた。
「式守く~ん!」
アドリアナ公国の狩り場でのクラスメイトを集めた訓練でも、一人ぼっちの憂太に声をかけてくれた。
「そうだよね。式守くん、そういう不思議系とかオカルト系とか強そうだもん。お母様もそっち系のプロの方でしょ。そっか。よくわかんないけど、不思議系エキスパートの式守くんが言うなら私も信じるかな」
そこで、オタクと蔑まれていた憂太の話をちゃんと信じてくれた。
「実は私も、怖い話とかホラー映画とか、ファンタジーとか大好きなの」
そう憂太を励ましてくれた。
「こんばんは。式守くん。私です。大嶋唯です」
宿屋にいる憂太を、食事に誘ってくれた。
「だからお願いします! 今さら都合いいこと言ってるなって私も思ってます。だけど私を仲間にしてください!」
レストランでは憂太を師と見込んで尊敬の眼で見てくれた。
その大嶋唯が。
あんないい子が。
化け物のように躰をくねくねとくねらせながら闇の者に取り込まれ……。
「ぐっ……!」
その声に憂太の意識がこちらに戻る。
その呻きの後、田中幸子はまったく動かなくなった。
もっともすでにそれは人間の姿をしていなかった。
人体がこうもたやすく引きちぎられていく様など見る機会はほぼない。
今の田中幸子は単なる肉片と、血溜まり。
「田中幸子」という「咒」は、そこで解除されていた。
「田中幸子」という「人」ではなく、単なる肉の塊とかしてしまっていた。
だがこれは、そこまで彼女の命は死を拒み、あがき続けたという証でもある。
(そうか……。みんなエネルギーを閉じちゃってるんだ。「氣」ではなく「気」だと外敵に対してこうもみっともない姿をさらしてしまうんだ……)
その時。
(──「氣」!?)
次の瞬間、憂太は頬への痛みとともに、小さいながらに「氣」の発露を見た。
「もういい!」
吉岡鮎が。あのただ泣いていた美少女が。
「覚悟」を決めて憂太の頬をパン!と張ったのだ。
憂太は眼を丸くした。
今、確かに彼女から「氣」を感じた──。
「私がやるっ!」
吉岡鮎は魔法杖を前に突き出し、魔法の詠唱を始める。
「ひびけ、壮麗たる歌声よ」
みるみる吉岡鮎の閉じられていた「气」が開かれていく……。
「その御名の元、安息に眠れ、罪深き者……」
彼女のチート級光魔法「天使歌砲」を放つ気だ。
「すまない、出遅れた!」
『最終旋律』のギルドマスター・トレシアもいつの間にか『カナコ』を囲んでいた。アーシャ、ユマも一緒だ。
「うちらも行くよ!」
「回復なら任せてください!」
ニアとエリユリもいる。
だがこの攻勢の状況を目の前にして。
『このままでは全滅だな。どうだ。この天才・道摩法師に頭を下げてはどうだ?』
芦屋道満は、彼女らに死の宣告をする──。