第3之幕 猫耳とツインテールのエルフ【池袋】
第3之幕
「いくらエリユリが魔術師だからっつーても、さすがに今のはふつーにうちじゃね? 手応え的に、明らか、うちの方に感応したと思うんだけど」
「うへへ~。さすがにここはニアさんにも譲れませんよ~。私にだってヒーラーという誇りがあるのです、うん!」
僕は幻か蜃気楼でも見ているのか。憂太は思う。それにしては鮮明だ。声もハッキリしている。山から谷へと落ちる虹がまるで手にとって眺められるような、そんな不思議な感覚を憂太は覚えている。
「それヒーラーと関係あるかな。普通にプライドでよくね? ん~……まあ……こんなことで言い争ってもあんま意味ないけど」
「そうです。仲良し警察があったら逮捕されますよ」
「そんな警察あったらヤバいし。つかないし」
「あります、最高裁まであります!」
「最高裁の最高って何かテンション上がるよね。サイコーって」
「えー。さすがにそれは意味ふめー」
「まあ結果、目を覚ましてくれたわけだし、それでオケ」
猫耳に尻尾をつけたギャルと、木の葉のような耳をしたエルフ風の少女。彼女らが何事もなかったかのように楽しそうに喋っているのを憂太はぼんやりと眺めていた。
「あっ、ほら~。ニアさんがつまんないことでマウント取ろうとしてるから勇者さま、困ってます! というか……あなた、勇者さまなんでしょ? ですよね?」
突如、エリユリと呼ばれたエルフっぽい金髪の少女に訊かれ憂太は体をビクリとさせた。手にした虹が粉々に壊れたかのようなショックを受けた。エリユリはサファイアブルーの瞳をくりくりしながら「ね?」と憂太の顔を覗き込んでくる。憂太の手元で壊れた虹の欠片はこのエリユリの瞳の色彩の中に転がっている。
「ちょうど神官による召喚の儀式が行われた時間だからまず間違いないかな。……ってさー、まさか一人だけこんな所に召喚されてるなんて。うちらが偶然、通りかかってなかったらど~なってたの」
「運命かもしれませんよ、ニアさん」
「やっぱそう思う?」
「言い過ぎました。やっぱ思いません」
「ええええええ」
わけが分からず憂太はつい大声を上げてしまった。
「あ、あの!」
だがあまりに頓狂だったことが恥ずかしさを生み、小声にして言い直す。
「あ、あの……」
「え?」
「ん? 何々? ゆ~てみ? どしたの?」
ニアと呼ばれた方の少女は喋り方もギャルだ。
ギャルは憂太からは最も遠い存在だった。
特にいじめられた経験はないけれども遠くから眺めているだけのジャンル。僕なんかが関わるような存在ではない。
だけどなんだか、憂太が思ったより全然、フレンドリーだ。
奇妙な親密度。重い雨を降らす積乱雲のような見るからに人を威圧するような面は一切感じられない。
……やっぱり幻なんだろうか。夢なんだろうか。それにしては妙に現実感がある。そう。さっきまで僕がいた世界よりも……。
憂太は混乱する脳を整理しつつ必死に先程までの記憶をたぐりよせた。
謎の光に包まれた。そして確かに耳にした。
『我、異世界の勇者の召喚に成功せり!』……と。
最初はそんな言葉だった。
これと二人の美少女が語っていた言葉とをかけ合わせてみる。
二人は神官が召喚の儀式をしたと言っていた。
じゃあさっきのはその神官とやらの声……?
いや。まさか、だ。
憂太は脳裏に浮かんだ自分の言葉を消し去ろうとした。
だってそんなことあるわけない。アニメは漫画の世界じゃないんだぞ。
まさか「異世界召喚」なんて僕の身に起こるはずは……。
そう打ち消そうにも冷や汗がにじみ出す。シャツが躰に張り付く。
うん。違う。違うはずだ。きっと僕は夢を見ているんだ。
だって僕が座り込んでいるこの場所は。
──日本。東京。池袋。見知った光景。サンシャイン通りだったからだ。
首都圏で最大といわれるシネマコンプレックス。居酒屋や牛丼屋、ハンバーガー店、靴屋。見覚えのある光景が広がる。そこに猫耳ギャルとエルフ風の金髪ツインテール。その組み合わせは紅茶に入れた角砂糖が溶け始めたような実態のあやふやさを醸し出している。ゆらゆらと溶け出す砂糖の粒子。そのゆらゆらこそ僕のこの見ている景色の正体なんだ。でもだとしたらあまりにハッキリとした、まるでとれたての桃のようなこの二人の美少女の肌感は何なんだ。
「んー。なんだか勇者さま。難しい顔してない?」
「そうだね。でも召喚されたばかりだし、仕方ないっしょ。うちだって朝の寝起きは悪い方だし」
「あー。確かにニアさんは寝起き悪いですねー。ってか言い直します。ニアさんは朝、だらしないです」
「アッハッハッハ! すっごい正論で殴ってくるじゃん。正論DV、ウケる~」
「あ、あの……!」
憂太は勇気を奮い起こした。個体が液体へと溶けていくこのゆらゆらが何かを確かめなきゃいけない。今の状況を認識しなければならない。僕は何かの”呪い”にかかっているのかもしれない。
そんな憂太を「ん?」とニアとエリユリは同時に見てくる。
「こ、ここは、池袋ですか」
ニアとエリユリは顔を見合わせた。
だが憂太は続ける。ゆらゆらがゆらゆらではない、そんなことを確信しようとせんばかりに。寝覚め同様の夢とうつつの間をさまよいながら、どちらが今自分がいる場所か。確かめるように。
「あっ、あの……。ハロウィンですか。コスプレですよね、それ。池袋だから、ハロウィンのコスプレパーティが開かれているんですよね?」
「コスプレ?」
「いや。うちらいつもこの格好だけど。てか、イケブクロ? イケブクロっていうの、ここ。うちら、『TOKYO』ダンジョン潜るの、まだ初めてだから、よくわかんないんだ、ごめんね」
思わぬ言葉が返ってきて憂太は思わずフリーズする。
ダンジョン……。ダンジョンと言った。
明らかにここは東京の池袋じゃないか。
「え……どういう……?」
「私たち~、下見に来ただけなんですよね~。ほら。ここって夜になると『人食いダンジョン』になるじゃないですか~。昼間は普通のモンスターが現れるぐらいですけど、そのうちにちょっと地形を確認しに来ただけで……」
「人食い……? モンスター……?」
エリユリと呼ばれる少女のその言葉の意味がわからない。やはり理解を超えた何かが憂太に起こっている。
「そゆこと。いや、まさかうちらも『TOKYO』ダンジョンに異世界からの勇者さまの一人が召喚されてるって思いもしなかったからさー。慌てて二人で『魂二陣形』の魔法を使ったよね。明らか、魂と肉体とがズレてたから」
「いや恥ずかしかったですよ。口づけしないと発動しない魔法なんてあんま使用しないから……」
さっきの両側からのキスのことだ。憂太の「まさか」がそう囁く。「まさか」は「まさか」ではない。そう。自分が否定したいだけだ。今の状況を認めたくないだけだ。「まさか」に憑かれた心が憂太をますます混乱へと導いていく。まるでひび割れた道路に流れ込んだ雨が、排水口へと川を作っていくように。
エリユリはとがった耳をピクピクと動かしながら続けた。
「異世界転移の衝撃に耐えられなかったんでしょうね。でも、もう大丈夫! この『TOKYO』ダンジョンをよく知る異世界の勇者さまたち。教会の神官さまたちがその召喚魔法を数百年ぶりに実施したんですよ」
「召喚……魔法……?」
「ここはヒューマノイドや亜人たちが争いもなく暮らせる平和の地『アドリアナ公国』。その『アドリアナ公国』きっての謎と言われている死の『TOKYO』ダンジョン。……勇者さま。このエリユリもお願い申し上げます。ぜひこの『TOKYO』ダンジョンを攻略して、『アドリアナ公国』を亡国からお救いください!」
【ニア】
黒猫族。特徴はギャルのような喋り方。ポジティブで素直。今を思いっきり楽しむタイプだが気は優しく、恋愛にはウブ。実は高貴な家の出で……?
【エリユリ】
エルフ族。おっとりして、いつもにへらーと笑っているタイプ。高齢の一族ゆえに200歳以上生きているが精神年齢はまだ14歳ぐらい。知識は深いが、やや図々しく、ムードメーカーでありトラブルメーカーでもある。