第28之幕 殺戮の幕開け⑩ 【世田谷6歳児虐待死事件①】
第28之幕
幼女の怪異は次から次へと現れる。広告や地図が張り出された地下鉄入口の壁に十数体がへばりついており、それらが無作為に飛びかかってくる。それをトレシアがまるで川の流れのように流麗な剣さばきでとらえていく。
一振りで三体から五体。身の丈を超える大剣を美しい金髪を流しながら放たれるトレシアの「雪覇氷公牙」は幼女の怪異を一刀両断にするだけではなく、顎が閉まるようにして上下二本、計四本の魔法斬撃でさらに切り裂く。
魔法斬撃の攻撃は先ほどと大きく変わらないが、大剣の斬れ味は大幅に増し、トレシアの周囲は一氣に怪異どもの残骸まみれとなった。
その残骸を、背中を向いた頭ごと踏み砕きながらユマはその「ドラゴンブレス」で、空中を舞う幼子の怪異を塵にしていく。
「なるほど。我々の魔力自体の向上はないが、肉体的な攻撃は確かに数倍になっている」
そう言うトレシアの声にユマも頷く。
だがそれは正確ではない。
憂太の用いた「妙見菩薩の術式」は肉体ではなく、その肉体と重なる霊体にこそ作用している。
要は“氣”である。
“氣を入れる”
“氣を抜く”
“氣を殺す”
…………。
日本の術は体術、武術、そして修験道や密教、陰陽の術においても“氣”を重要視する。
“氣”を入れれば「集中」し、“氣”を抜けば緊張が取れ「肩の力」が取れる。緊張と集中、リラックスをコントロールすることが霊体へ刺激を与え、それが実体である肉体にも影響を及ぼす。
「脱力」から「緊張」へ──。それは武術、特に居合では顕著だが、その一瞬で“氣”が練られ、水に浸された重い巻藁をも驚くほどの鋭利さで切り裂くことができる。そのスピードは眼にも止まらぬほど。力は一瞬の爆発力。氣づけば相手が倒れている、そういった、のちに武術に応用される“氣”の使い方を「術式」としてそれぞれの霊体に刻んだのだ。
結果、身体能力が向上する。それは視力、吐く息、筋肉の絞り、心の臓の鼓動、すべてにおいてだ。
憂太は氣づいていた。この異世界へ来て夜を見上げた時、夜空の星の配置が憂太たちがいた世界とまったく同じであることに。ゆえに「北極星」と「北斗七星」の力を借りる「妙見菩薩の術式」の有用性を確信していた。
星の力が、その動きが。人の潜在能力に影響を及ぼす──。
事実、アーシャの「黒狼土砂斬」においてもそうだった。ノコギリ刃のような剣から繰り出される砂と土の激しい竜巻のような斬撃は、さらにスピードも威力も増しており、その一撃が、凍って動けなくなっている雛人形をいとも簡単にまっ二つにした。
大嶋唯の「氷の極光」による氷の粒で作り出されたオーロラの光で雛人形側からはこちらが見えないでいた。これは眼にしたものを眼から放たれる穢れのエネルギーで引き裂き貫く雛人形たちの攻撃を防ぐにはもってこいの魔法だった。
だが次にアーシャが放った「黒狼土砂斬」は。
「ちっ!」
凍りついたように見えた雛人形たちは極寒の“氣”でアスファルトに貼り付けられていたその枷を破壊し、「黒狼土砂斬」の砂粒や小石が超高速でうごめく竜巻のようなその斬撃をかわした。
その動きはまるで氷面を滑るかのようだ。雛人形たちはその体や手足はまったく動かさないまま、まるでままごとで見えざる手で操られているかのように、そのままの形で右へ左へ、スッスッと高速移動を始める。
「勇者さま! もう一度さっきの魔法を!」
「わ、分かりました!」
アーシャの呼びかけに応え、大嶋唯が再び「氷の極光」を放つ。だがそれはほんの少しの足止めにしかならなかった。雛人形たちは眼を光らせながら、すぐに氷を砕いてそれぞれバラバラに路面を滑り始めるのだ。
「え……うそ。さっきより魔力を込めたつもりなのに……」
その声に反応して、雛人形の一体が眼から「穢れ」の光線を放った。俊敏さでは「最終旋律」ナンバー1のアーシャがその唯を抱えて飛び退く。その光線は唯たちの髪の毛一本分、右を走り、渋谷駅改札に命中して大爆発が起こった。そこからさらに「穢れ」が撒き散らされ、その「穢れ」からまた幼女の怪異が生まれる。
「キリがない」
そう言いながらもトレシアは増加を続ける幼女の怪異を斬って斬って斬りまくった。
一方で、あまりもの高速で行われる攻撃に、田中幸子、吉岡鮎、そして久世も一歩も動けないでいる。その三人を守っているのがニアとエリユリ。
ニアの運動神経の良さは憂太も驚くほどで、長い手足を生かして三人に近づく幼女の怪異をすべて退けていた。俊敏さではアーシャにも引けを取らないのではないだろうか。地を這うような回し蹴り、まるで星空ごと粉砕しそうなアッパー。どれも当たると鈍い地響きのような衝撃音がする。
エリユリの弓の腕もそうだ。まるで相手の動きを読んでいるかのごとく自由自在。予測不可能な動きで走り寄り、飛びかかってくる幼女の怪異を一発もミスすることなくすべて射止めている。
これらの仲間たちの奮闘を見ながら憂太は、ある違和感を覚えていた。
この怪異たちの動き。てんでバラバラに見えるけど実は……。
(いるな……)
ウサギの中の道満が憂太の代わりに言葉にする。
(この怪異、複数に見えて複数にあらず。たった一体が操っておる)
「穢れ」を菌類の胞子のように振りまきながら散っていく怪異たち。道満の言葉は、作為的に怪異たちが殺られ、そして統制の取れたコントロールのもと、暴れまわっていることを意味していた。
「その本体はどこだ、道満」
その肉体を撒き散らされる「穢れ」に巻かれながら憂太は言う。
(待て。すぐには分からぬ。かなりの『咒』を溜め込んだ怪異と見える)
「早く、早くその本体を叩かなけりゃ……」
今は皆、善戦しているが止まぬ攻撃が半永久的に続くこの攻撃ではジリ貧の未来しか見えない。いずれは虎井のように被害者が出てしまう。
「どこだ。どこにいる……?」
憂太が『零咒』でもって自らの呪力をさらに強めたその時だった。
まるで壊れたテレビのように、ある映像が頭の中に流れた。
それはどこかの家の床下。
そこに掘られた穴にスコップで土がかけられていく。
その土からは小さな子どもの腕がぐったりと伸びている。
(──なんだ、これは!?)
ハッと我に返り、憂太は目を見開いた。すぐさま道満はその憂太の異変に氣づいた。
(いかん! 小童、呪力を弱めろ!)
だが遅かった。再び、憂太の脳内に映像が流れる。そしてその映像に憂太の魂が呑み込まれていく。
(これ以上、『穢れ』を吸うな! 取り殺されるぞ!)
そんな道満の声がどこか遠くに聞こえる。吐き氣と胸痛がひどい。まるで地面が船の甲板にいるかのように揺れて感じる。
(いつっ……!)
突如、意識を失わんばかりの苦痛が憂太を襲った。体中がひりひりと痛み、まるで焼けた鉄板を押し付けられているかのようだ。
(まずいっ……! 取り込まれる……!!)
一瞬、意識が刈り取られた。意識が「穢れ」に引きずり込まれていく。
「穢れ」は完全に憂太を取り込み。
どれぐらいの刻がたっただろうか。
次に憂太が目を開けた時。
──憂太はとある、見覚えのない薄暗い民家の中にいた。
そこはあの異界の渋谷ではない。
夕陽が差し込むその部屋で、カナカナカナカナ……とひぐらしが鳴いているのが窓の外から聞こえてきた。