第24之幕 殺戮の幕開け⑥ 【渋谷駅JR改札前周辺】
第24之幕
──まずい!
とっさに憂太は右手で印を結び、唇に当てた。
「急々如律令……!」
小さく囁いて指に息を吹きかけると、結んだ印の指を伸ばし、素早く路面へ向けて半円を描いた。
同時にトトトトトトッ……と、数本の大麻が路面に突き刺さる。
大麻とは神社の神主がお祓いの時に振るう、白いギザギザの神が先端に付けられた、アレだ。
同時だった。
光り輝いていた雛人形たちの眼の光が薄れていく。
五人囃子も三人官女も、男雛も女雛も一斉に、だ。
いや、正確にはそのまぶたが閉じられていったように見える。ゆえに瞳の光が消えていく。
やがて雛人形はすべてその眼を閉じ、数秒と経たず、その場で沈黙してしまった。
「い、今の何!? 憂太」
ニアがこの不気味な光景に戦慄しながら言う。
「あと、このヒラヒラの紙がついた棒は……」
憂太は自分が無意識にその術式を行ったことに驚きながら、手短に答える。
「結界」
「結界……?」
「う、うん。これであの雛人形から僕たちの姿は見えなくなったはずだ」
「憂太さん、そんなことできるんですか!?」
見たことがない魔法、いや魔法とも言えない不思議な力にエリユリは驚く。
驚いたのは憂太も同じだった。勝手に体が動いたような気がしたのだ。
「い、いや。僕も驚いてて。体が覚えていたというか……」
「憂太!」
「な、何?」
「もし、もしだけど。もし憂太が咄嗟にこの結界を張らなかったらうちら、どうなってたの?」
「多分……」
憂太は言いにくそうに口を開いた。
「背中から無抵抗のまま、なんらかの攻撃を受けていた可能性が高い」
「背中からって……。ってことは、さっきもし憂太がこれに気づいて立ち止まっていなかったら……」
「うん。おそらくあの眼から発せられる呪いの矢のようなもので串刺しにされていたと思う」
「ひええええ!」
エリユリがその華奢な肩をすくめた。
「じゃあ助かったんですね、私たち助かったんですね!」
「今のところは、だけどね。あれはきっと視界に映るものすべてに攻撃を仕掛ける怪異だから」
「ということは、うちらの姿が見えない今なら……?」
「攻撃はして来れない」
「よかった……」
大きく安堵のため息をつくエリユリを見て可愛らしくも想いながら、憂太は顔をキッと車両の向こう側に向けた。
「でも、これで終わりじゃない……」
「分かってる。今のは応急処置ってところだよね。だからこそ」
ニアもその視線を憂太と同じくする。
憂太は頷いた。
「そう。今のうちだ。あれが静かにしている間に、みんなを助けに行くよ!」
◆ ◆ ◆
夜の渋谷にトレシアの金髪がこの美しくたなびいた。
「雪覇氷公牙!!」
身の丈ほどもあるトレシアの大剣。
それは素早く動く上に、小さな幼女の怪異相手では、的を絞りにくく、相性は最悪と思われた。
だが、その自身の弱点を知らぬトレシアではない。
トレシアのこの剣技「雪覇氷公牙」はその一振りで、上下から二つずつ激しく光が走る。その光とは魔法による斬撃だ。
まるで狼の顎に捕らえられたかのよう。魔法による狼の上顎、下顎の牙それぞれが幼女の怪異を噛み砕く。ズタズタに噛み砕く。
もちろん高名な戦士・トレシアの技だ。これにとどまらない。
引き裂かれた怪異の肉片一つ一つが、瞬時にしてピキッと凍りつき氷柱を作った。
(すごいっ……!)
大島唯はその氷柱の光り輝く鋭利な突っ先を見て心から称賛する。
そんな唯の心の油断をユマが埋めた。
「唯さん! 動きを止めてはダメですっ!」
そのユマの声にハッとして上を見上げると、地下鉄入口の屋上から唯に襲いかかってきた幼女の怪異を、ドラゴンニュートのユマが大斧で豪快に真っ二つにしたところだった。
だが、その空を舞うユマのさらに上にも、また別の幼女の怪異が……!
「うおおおおおおおおおおおおおお! 黒狼土砂斬!」
これに対応したのが白狼族のアーシャだった。ユマの動きを見逃さず、さらにフォローの準備を怠っていなかった。アーシャはユマ、その上の怪異、そのさらに上の宙空を舞いながら、自身の最強の技を放った。
それはノコギリ刃のような剣から繰り出される砂と土の激しい竜巻のような斬撃。
幼女の怪異の肉体は竜巻に飲み込まれ、砂粒ほどの大きさまでにすり潰されていく。
竜巻は曲がりくねりながら怪異を塵に変えつつ、はるか上空、夜空まで上っていった。
アーシャはニヤリと笑った。
「いけそうだ。この程度ならアタシらの技でも通る! 唯、あんたは自分たちの仲間の面倒を見てやってくれ!」
コクリと頷いた唯を見てアーシャは次のターゲットを探す。
その背後に隠れるように唯はクラスメイトたちの元へと走った。
「このクソッ!」
「逃げんな! ちくしょー! ……こいつら速いぞ!」
そこでは久世や虎井が奮闘していた。
だがなにぶん動きは素人。まるで付け焼き刃だ。
川のせせらぎの上空を滑空するかのように走り回る幼女の怪異。
その動きをなかなか捉えられないでいる。
あまりに速すぎるのだ。
「こなくそっ!」
だが、そう一か八かで放った久世の魔剣が、幼女の首を偶然捉える。
「よっしゃ!」
久世はすかさず魔剣を跳ね上げ、怪異の首を切断する。
二つに分かれたその怪異の肉体は、魔剣の力で派手に炎上した。
そしてそれが路面に落ちる前には塵になる。
「すげえ威力だ……。虎井、俺たち行けるぞ!」
化け物を一匹退治したことで久世の血は沸騰した。思わず興奮の雄叫びを上げる。
凱を上げるのはまだ速すぎるというのに……。
実際、その少し離れた場所では、田中幸子と吉岡鮎が数匹の幼女たちに囲まれていた。
まさに絶体絶命の状況。
「さ、幸子、どうしよう……!」
「鮎、魔法の詠唱を……! 早く!」
幸子に与えられた武器は自由自在に動く鞭。だがいくら振っても素早く逃げ回る怪異たちを捉えることができない。
一方で鮎は基礎的ではあるが強力な光魔法を授けられていた。
そして教えられた呪文を詠唱する。
「ひ、ひびけ、壮麗たる歌声よ。その御名の元、安息に眠れ、罪深き者……」
おずおずと魔法杖を前に突き出す。
(これで、これでいいはずよね)
慣れないながらも間違えずに詠唱を辿れたはずだ。そうなれば最後の一言を放つだけ。
「天使歌砲!」
吉岡鮎に与えられたチート級極大魔法。
強大な光球が杖の先に生まれ、そこから大砲のように光が巨大なヘビのように解き放たれる。
当たればほとんどのモンスターや怪異は即死。
まさに大砲のような魔法だ。
しかしこの怪異たちは素早い。予想をはるかに超える反応速度で一斉に鮎の前から飛び退いてしまう。
それでもこの極大魔法は鮎の真正面に向けて放たれた。
そして何者をも倒すことなく、渋谷の駅舎の壁に命中。想像以上の激しい爆発音が響き、爆風が吹き寄せた。そのあまりの風力と爆音に二人は思わず耳をふさいでしゃがみ込む。
爆炎に包まれたなか、遠くからカラン、カランと何やら瓦礫が落ちる音がした。
おそるおそる二人が目を開けると……?
「……こ、これって?」
二人の前にあった渋谷駅舎の壁。
そこに直径5メートルほどの大きな穴が空いていた。
どこまで続いているか分からない深い洞窟のような穴。
その先には闇が続いている。
「こ、これ、私がやったの……?」
鮎は思わず路面にぽてんとお尻から落ちた。
幸子のほうはまだしゃがんだままポカンと、その大きな虚を眺める。
自分たちの持つ力に改めて驚いているのだ。
一体、この異世界は、私たちにどんな力を与えたのだろう。
その驚愕がまた二人の隙を生んだ。
動きが完全に止まっているのを見逃さず、怪異の一体が超猛スピードで走り寄ってきた。だが動揺している鮎も幸子もそれに気づかない……!
首はこちらを向いているが、体は背中。
後ろ走りの状況で猛スピードで近づいていく。
幼女の怪異からは鮎が尻もちをついているのが見える。
その隣で、幸子がガタガタと震えているのが見える。
これらすべてが幼女の赤く染まった視界の中でハッキリと見えている。
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!
その裸足の足音が聞こえた時には、すでに幸子の背中に手が届く寸前であった。
「え……?」
突如聞こえた足音に幸子が振り返るのと同時に。
ブン!と鈍い音がした。
間一髪!
──虎井だ。
虎井の槍が真横から幼女の頭を串刺しにしていたのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
虎井の槍も相当な威力を誇る。彼の槍に攻撃されたものは槍が貫けた以上、それがどれだけ固い物質でも。
──爆ぜる!
よって。
貫かれた幼女の頭はまるでマグナムで撃たれたスイカのように。
まるで水風船が割れるかのように。
パシっと弾けた。
頭を失った躰はゆらゆらと体を揺らすが、やがて力を失い。
ガクリとその膝を落とす。
そのままぱたりと路面へ。
その瞬間、幼女の躰は黒い靄の塊になり、さーっと雲散霧消してしまった。
鮎と幸子は眼をまんまるにしてこの光景を見る。
体の震えが止まらない。
「ふぃ~、危ねえ」
虎井がそんな幸子に笑顔を向けた。
「危機一髪。危なかっなた……。だからあんま俺から離れんなって言ったのに。全員がバラバラになってると狙い撃ちに……」
「う、うん……そ、そうだね」
「ほら。まだあいつらウヨウヨいる。立てるか?」
虎井はそう言って手を差し伸べる。
だが。
幸子と鮎の顔。
(おや?)と虎井は思った。
助けたはずの虎井を見て、なぜか幸子も鮎も、化け物でも見るかのような表情をしているのだ。
「どうした?」
「とら……うし……」
「え?」
虎井は耳を寄せる。
「ごめん、もう少しハッキリ喋ってくれ」
その口は「と」「ら」「い」「く」「ん」と動いているように見える。なんだ俺の名前を読んでいるのか?
だが次の瞬間。
「虎井くんッ! 後ろッ!」
幸子がハッキリ、そう叫んだ。
だが遅すぎた。
それでは遅すぎたのだ。
背後から猛スピードで駆け寄ってきた三匹もの幼女の怪異が虎井の頭を目掛けて飛びついており。
「……あ?」
三匹の小さな幼女の手それぞれが。
「……後……ろ?」
虎井の頭を捉え、その手をぺたりぺたりと顔に張り付いていき。
──それはまさに憂太が駆けつける直前の悲劇だった。
憂太の見ている前で。
虎井の頭は。
この虎井の肩や背中に乗った三匹の怪異たちの小さな幼い手によって。
脊髄ごとズルズルズルっと、引っこ抜かれてしまっていた。