第23之幕 殺戮の幕開け⑤ 【渋谷スクランブル交差点】
第23之幕
一方、再び、ハチ公像前。
逃げ出した田中幸子、吉岡鮎、久世、虎井らを、憂太の静止を振り切って大嶋唯が飛び出した後、唯に続くトレシアら『最終旋律』3人の背中に着いていこうとした憂太の心に、芦屋道満が『待て!』と声をかけた。
踏み出した足を止める憂太。
これを見てニアとエリユリも同じように立ち止まる。
「どうしたの、憂太?」
「助太刀に行かないんですか?」
途端に憂太の心臓が「ドクン!」と大きく高鳴った。
道満が『待て』と声をかけた理由が憂太にはすぐに分かった。
トレシアらの姿が、展示されている旧車両奥の向こうに消えていく。
その背中がやたらと儚げに見えたのだ。
まるで死地へ向かう者たちの背中のように。
その魂のろうそくの炎が最期の灯火を懸命に燃え上がらせているかのように。
そう。
これはおそらく。
──罠だ。
『心得ておるか。まあ、さすがにあの晴明の血よ』
先ほどから体の中がうるさい。
肉体をくまなく走る血管のすべてがこれまで感じたことがないほどの熱い血をそのトンネル内に走らせている。
トレシア・レストランで、久世が唯に拳を振り上げたあの時からだ。
憂太の魂の奥に眠っていた“何か”が目を覚ました。
そしてその“何か”は、このアドリアナ公国を襲う「空亡」へも影響を与えるほど強力なものでもあった。
憂太は思う。
あの時、僕は、確かに。
──瞬間移動をした。
何故か。
憂太は脳を激しく働かせる。
陰陽五行説では「陰」と「陽」がバランスが取れている状態を円を使って表せる。
互いが揺らぐように円を形成する「陰」と「陽」の状況では、「陰」の中にも「陽」の小さな円がある。同じように「陽」の中にも「陰」の小さな円が描かれる。
憂太が学んだ『零咒』では、陰陽五行説を表すこの大きな円そのものを回転させることにより、左右へと入れ替えることができる。
レストランでは、拳を上げた久世と唯との間が「陽中の陰」だった。憂太は『零咒』の術を用いることで、自身を「陰中の陽」へと自らを重ね、この陰陽五行説の円自体を、人為的に半回転させた。
結果、「陽中の陰」の円は「陰中の陽」の円の場所へと入れ替わる。
そして『零咒』では、それが“空間”ごとの入れ替えとなる。
これが『零咒』の瞬間移動の術式だ。
陰陽五行説のこの円は「この世に存在するものすべて」を表現する。自然界の摂理すべてを表し、円環の理を成している。
『零咒』ではこれを人為的に回転させられる。
憂太は先程のレストランでこの術式を発動。陰陽五行説の円を作り上げ、半回転させた。おそらく無意識だったろう。体とその魂に染み付いていた教えをただただ無自覚に実行したに過ぎない。
自然の摂理を覆すこの術式。これに『空亡』の陰陽が反応した。結果、その場にいた者はその空間ごと、レストランから、『空亡』の穢れそのものと言える異界=すなわち『TOKYO』ダンジョンへと、強制的に回転させられた。
「陽」から「陰」へ。
彼らは憂太の無自覚の術式により、強制的に空間ごと『TOKYO』ダンジョンに転移させられてしまったというわけだ。
(僕のせいだッ……!)
憂太はヴァジュラを手にしたまま頭を抱えた。あの時、唯が殴られそうになるのを見てつい、頭に血が上ったのだ。だがそれでまさかこの術式が発動するなんて思ってもみなかった。
渋谷の光景を見た瞬間、異界の池袋での記憶が蘇った。そう、ここ『TOKYO』ダンジョンへと転移させてしまったのだと。
皆を危険へと追い込んでしまった。
その上、憂太はクラスメイトを追って唯が飛び出していくのを止めることもできなかった。
その結果だ。
憂太は猛烈に後悔する。
(みんなを危険な場所に送り込んでしまったのは僕自身だッ……!)
体中を巡る熱い血の流れの音と激しい反省のなか、憂太はハッと、さらなる異変に気づいた。
無人のスクランブル交差点。
そこにいつの間にか。
雛人形たちがバラバラと。
交叉点のあちこちに。
静かに鎮座していたのだ。
誰もいない渋谷。
そのスクランブル交叉点。
これを埋め尽くすように、影を長く伸ばす雛人形たち。
そのすべてが等身大だった。
最初見た時は人間がそこに座っていると思った。
だが“それ”は色とりどりの艶やかな着物を身にまとい。
それぞれが荘厳な雰囲気を醸し出していた。
等身大の雛人形……。
その筆で描かれはずの無表情な彼ら彼女らの瞳が。
憂太の視界に捉えられると同時に一斉に、憂太らのほうを見た。
そしてその瞳を激しく光らせる……!
夜の渋谷スクランブル交差点