第21之幕 殺戮の幕開け③ 【渋谷駅前】
第21之幕
首を真後ろに半転させた幼女の怪異に驚いた久世たちは慌ててその場から駆け出した。
(なんだ、なんだ、なんだ、なんだ! あれは!?)
広場に置かれてある「アオガエル」と呼ばれる旧車両のすぐ後ろは地下鉄へ向かう大階段だ。
通称「青ガエル」こと、ハチ公広場に置かれてある東急5000系電車 (初代)
「待って! 待って久世くん!」
半狂乱で泣きわめく幸子を久世と虎井は振り返る。
見れば、その背後で鮎が転びそうになりながら続いている。
「遅えよ!」
久世は毒づき、我先にとその大階段へ入ろうとする。
幅5メートルほどの大階段が地下に伸び、その隣には上り用エスカレーターが稼働している。
その階段へと降りようとした瞬間。
久世と虎井の眼の前に。
巨大な「眼」が立ちふさがった。
「うわっ!」
思わず尻もちをつく。
見れば、その大階段の入口いっぱい、はみ出んばかりに。
髪の長い巨大な女の顔が入口すべてを塞ぐように顔を斜めにかしげて、こちらを睨みつけていた。
「きゃあああああああああああああああああっ!」
そのあまりの光景に、後から来た幸子と鮎も絶叫する。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
慌ててJRの改札に向かおうとしたが、そこも巨大な女の顔がまるで壁のように塞いでいる。やや顔を横に向けており、まるで駅のこちら側へ顔をねじ込んできているかのようだ。
「ダメだ! 駅は入れない!」
「戻れ! 戻るんだ!」
ほとんど足元もおぼつかない様子で走る玉響高校の4人組。
その背後からさっきのおかっぱ頭の幼女が裸足のまま、ケタケタ笑いながら追いかけてくる。
その顔こそ真正面を向いているが、その下にあるのは背中。
つまり首を180度回転させたまま、“後ろ走り”でこちらへ駆け寄ってきているのだ。
ペタペタ
ペタペタ
ペタペタ
ペタペタ
ペタペタ
ペタペタペタペタ!
『キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!』
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
夜のハチ公広場を全速力で後ろ走りする首がねじ曲がった幼女の怪異。
その前に立ちふさがったのは、意外にも大嶋唯だった。
唯は叫ぶ。
自身の魔法の杖をかざして。
「雷雲よ、我が呼び声に応じて敵を追い詰め、雷の矢でその身を射抜け。天空の狩人となりて、敵を討て!」
その唯の声に久世らはハッと足を止める。
「いでよ! 雷雲の狩り手よ!!」
魔法詠唱が終わったと同時だった。
唯の肉体を覆うようにしていた黒いモヤ状の雲。そこからイカヅチが発光。それらすべての来校の枝の先が矢じりになり、幼女の怪異を一瞬にして串刺しにした。
最初、幼女の怪異は何が起こったか分からぬ様子だった。
自身の肉体を見ようとしたが、すでに眼は両眼とも貫かれている。
何か声を上げようとしたが、その舌と喉は貫かれている。
『ア……ウ……ウ……ア……』
声にならぬ声が幼女の唇から漏れた。
そして、まるで弾けるかのように煙の如く消え失せていった──。
そう。大嶋唯は自分の身のためにクラスメイトを見捨てるような人間ではなかった。
憂太にパーティーの輪の中心へ押し込められはしたが、久世の悲鳴を聞いてすぐに飛び出していたのだ。
その唯が久世らのほうをくるりと振り向く。
「あ……あ……」
久世ら4人はそこにぺたりとへたり込む。
「た、助かったのか……? 俺たちは……」
そんな久世を見渡して唯は言った。
「ダメじゃない! 勝手な行動しちゃ!」
「いや、でも……」
「でもじゃない!」
唯は頬を膨らませる。
「何よ! 式守くんにはあんなに威張っておいて、ちょっと想定外のことが起こったらすぐ逃げ出しちゃうとかダサすぎない? それでも男? ほんっと~に頭に来ちゃう!」
「だって……」
「だって? また言い訳? 大体、何のために私たちは訓練を受けたのよ。この時のためでしょ! ほら、久世くん。あなたの腰にぶら下がっているものは何? それ、魔剣じゃないの?」
思わず久世は自身の腰のあたりを探る。
ある。
確かに、ここに武器はあった。
「ほら。ちょっと冷静になれば分かることでしょ。どうして私たちがレストランからここへ飛ばされたかは分からない。でも冷静に見れば分かることもあるはず。だって、夜の渋谷に人が一人もいないなんてことある? ここが私たちがいた世界の渋谷だって、本当に思ったの?」
久世ら一同は一様に首をうなだれている。
幸子はひっくひっくと泣きながら喉を鳴らし、鮎はその背中をさすってあげていた。
「でも、これでハッキリした。どうしてダンジョンの名前が『TOKYO』だってことも。ここは東京じゃない。異世界に作られた偽物の東京。ここが私たちが攻略を命じられた『TOKYO』ダンジョン。その地獄の淵、そのものなのよ」
そこまで言った後、久世らの背後の暗闇からパチパチと拍手がした。
トレシアだ。『最終旋律』のギルドマスターであるトレシアが、にっこりと笑いながら闇から姿を表した。
「さすがだ、勇者よ。そう、ここが『TOKYO』ダンジョン。あなたは、神官から召喚されたのは伊達じゃなかったみたいだな」
尊大な喋り方に似合わない鈴のような声。その姿はまるでモデル体型の少女だが見えるが公国でも名高い手練れの剣使い。戦士・トレシアが唯の戦いを褒め称えていた。
「いや。私はあの……言われた通りにやっただけで……」
途端に緊張が解け、顔を赤くする唯。
そんな唯の肩にトレシアはポンと手を置いた。
「いやいや。立派なものだ。我が公国の冒険者たちの技は何故か、この『TOKYO』ダンジョンのモンスターたちには通用しづらくてな。私も手を焼いていたところだからな」
「トレシアさんのその高名な腕前でも、ですか?」
唯はきょとんとした顔をする。
トレシアは表情を曇らせた。
「ああ。一度、私もここへ来た。この場所ではなかったから『TOKYO』ダンジョンの別の場所だろう。とにかく、私たちはそこで出現するモンスターたちと戦った。20人もの大パーティーを組んでの大攻略隊だった。準備万全のつもりだったのだが……」
「だが……?」
唯は聞き返す。
その問いにトレシアは自嘲気味に答えた。
「無事、帰れたのは5人だけだったよ」