第16之幕 トレシア・レストラン
第16之幕
トレシア・レストラン。
アドリアナ公国でも名高い女冒険者のトレシアが営む食堂だ。給仕の女の子たちも皆、トレシアを慕う冒険者。トレシアらが実際に狩ってきたモンスターや害獣などを素材とした絶品料理が名物となっている。
「え……。こ、これ。食べられるんですか……?」
大嶋唯が目の前に出された料理を見ながら震え声で言った。
唯の前には、何やら蹄のようなものが入った紫色のスープ。
「食べられますよぉ。滋養強壮にもいいこの店自慢の特別スープです!」
見るとエリユリは早速、そのスープにスプーンを淹れて口にパクリと放り込んでいる。
「ん~。おいちぃ。じあわぜ~」
あまりの幸せにエリユリの表情は作画崩壊している。
隣では同じようにニアも躊躇なく紫色のスープの豚足のような具にフォークを突き立て、頬張った。
「やっぱ格別! ほら、憂太も食べて食べて」
憂太と唯は顔を見合わせる。
そして恐る恐るスプーンでスープをすくうと……。
「あれ……」
「うまい……!?」
驚いた。これまで食べたことのあるスープの中でも抜群にうまい。試しに豚足のような具材も口に入れてみたが、硬いと思っていた蹄も口の中でほろりとほどけ、まるでやわらかな軟骨のような味わいだ。
途端にガツガツと食べ始める憂太と唯を見て、ニアとエリユリは微笑んだ。
「おいしいでしょ。これ、アスピドケロンっていう巨大な亀の怪物の、孵化直前の卵の中身なんだよね」
これを聞いて憂太と唯は眼を白黒させる。亀……? 怪物……? 孵化直前……?
「アスピドケロンの卵って貴重なんです。そもそも巣を見つけること自体が難解なクエストですから」
「つ、つまり、大亀の怪物の卵の中身ってことですか……?」
「そそ。それにアスピドケロンの生き血を混ぜたもの。だからほら。色が紫っぽいでしょ」
生き血……! 思わず魂が抜けたようになって椅子から落ちそうになる唯を憂太が支えた。
「大嶋さん! 大嶋さん! 大嶋さん!」
憂太の声に唯はハッとした表情を浮かべる。そしてキョロキョロ周囲を見渡した後、頬をぱんぱんと自信ではたき、素早く気を取り直して言った。
「ご、ごめんなさい。ご馳走になっておいて失礼でした。ちょっと驚いたもので……」
ニアとエリユリはまったく気にしていないようだ。いや、寧ろ憂太と唯の反応を楽しんでいるよう見える。
「いーのいーの。でもうまいっしょ~♪ うち、これ大好物なんだ」
「は、はい。おいしいです」
唯は再びスープボウルを見た。そして意を決したようにゴクリッと喉を鳴らし、眼をつむりながらやけくそ気味に蹄の部分を口にいれる。
しばらく咀嚼する唯。
その数秒後、唯の眼が大きく見開かれた。
「……ほんとだ。おいしい……」
憂太もそれに続く。口に放り込む。よく噛む。舌で味わう。
……うん。確かにうまい。いや、うまいなんでものじゃない。これは三つ星級だ。
味わったことのないような出汁が利いており、滋味が深い。生き血を使っているという割には生臭さもなく、蹄についた肉は鶏肉と似たような味。いや、もっとやさしく、それでいて力強さがある。
「勇者さま。どうですか? うちの料理」
そんな憂太たちのもとへ、給仕の女の子がやたらと大きな肉料理を運びながら話しかけてきた。
途端に憂太が人見知りを発揮してしまう。
「は、は、は、はいっ……。お、おいしいです」
ついついどもってしまうコミュ障の自分が憎い。
「は、初めて食べる味です。で、でも、すごく深い味というか……」
憂太の慌てぶりを見てその給仕はクスクスと笑った。
「うれしいです。お腹いっぱい食べてくださいね」
憂太らのテーブルから去って行く給仕を眼で追った。
よく見ると、その給仕の腰のあたりからまるでドラゴンのような尻尾が生えていた。
さらに背中にはコウモリのような翼。耳の先も尖っており、頭の両側にはツノ。明らかにヒューマンではない。
「あ、そ~か! 憂太さん、ドラゴンニュートを見るのは初めてですか?」
とエリユリが訊いた。
「ドラゴン……ニュート……?」
「竜人のことだよ。憂太」
ニアがフォークで憂太を指しながら言う。
「ドラゴンの力と能力を宿した獣人。あの子も冒険者で名前はユマっていうの。小柄だけど、ユマは強いよ。言ってみれば、トレシア姉さんの片腕みたいな子かな」
「このレストランは、レストランの従業員自体が、戦士・トレシアのギルドみたいなもんなんです。ユニークなのは魔物や怪物料理に特化している点で、美食を求めて冒険をしていること。この国のほとんどの珍味はこのレストランで味わうことができます」
「す、すごい貴重なレストランなんだね」
「うん。そうなの! うちとトレシア姉さんとは小さい頃からの付き合いだから、いつも安くしてもらってるんだ~。いい店っしょ」
自慢の行きつけを評価してもらったのがうれしいのか、ニヒヒとニアが笑う。そのニアの心の底から出されたであろう無邪気なギャルっぽい笑顔が憂太の人見知りをほぐしてくれた。
最初にこの子たちに出会って良かった……そう思いながら憂太も「う、うん」と顔を赤くしながら頷いた。
ここで食べる料理はどれも美味しかった。見た目や食材はともかく、繁盛しているのもよく分かる。この店に集った冒険者たちは皆それぞれが笑顔だ。酒を飲み交わし、料理をうまそうに口に放り込み、そして武勇伝に花を咲かせている。
「ところで……」と憂太がリラックスしたのを見てニアは切り出した。
「勇者・大嶋唯さま。憂太への話ってのはなんですか?」
唯の動きが止まった。「あ~……」とちょっと照れくさそうな表情を浮かべる。
「いや。あの。そう改まって訊かれるとちょっと言いづらくなるけど……」
憂太は唯の顔を見る。その憂太の視線を受けて、唯は目をそらした。
「ど、どうしたの? なんか用事かなにか?」
「え……と。あの。そうだけどそうじゃないっていうか」
「……?」
「あの、式守くん」
「は、はい……!」
改めて名前を呼ばれて憂太は背筋を伸ばした。一体なんだろう。唯はもじもじしている。まるで小動物のような愛らしさに憂太はまた顔を真赤にする。「あのね、あのね」と何度か繰り返した後、唯は意を決したように口を開いた。
「次の合同演習」
「あ、うん」
「大公から各々がパーティーを組んでモンスター討伐をするって言われたでしょ」
「うん」
「えと。あの……。それなんだけど……」
ニアとエリユリがニヤニヤしている。
「もう誰と組むか決まった?」
その話か……。
憂太は心臓は高鳴ったまま、それを悟られないよう努めて冷静に答えた。
「ここにいる前衛、すごい格闘家なんだけど、このニアと、後方支援はエルフでヒーラーのエリユリ。この三人で行こうと思ってる」
(どうせクラスメイトは僕となんて組んでくれないし)という言葉は飲み込んだ。
「それがどうしたの?」
「えーとね」
唯は少しうつむきながら恥ずかしそうに言った。
「私を、憂太くんのパーティーに入れてもらえないかな……って」
「え?」
思わず聞き返してしまう。
「え……だって。大嶋さん、友達多いじゃん……なんで僕なんかと……」
「そうなんだけど」
唯の頬も少し赤い。
「私、怖がりで、あんまり不思議なこと信じてなかった。でもこんなことが起こったでしょ。異世界転移なんてまだ信じられない。非現実的だよ。でもね。最近、ハッキリと思うようになったの。これが現実だって」
「うん」
憂太は相槌しか打てない。いまだ女の子と何をどう話せばいいのか分からないからだ。
「でも式守くんって、昔からこういう不思議な怖い世界の話をしてた。最近はあんまりその話はしてなかったけど……。でもね、不思議なことって本当にあるんだって。それが自分の身にも降り掛かってるんだと思ったら、式守くん、嘘はついてなかったんじゃないかって思うようになって」
「う、うん」
「だからお願いします! 今さら都合いいこと言ってるなって私も思ってます。だけど私を仲間にしてください!」
そう言うと唯は深々と頭を下げた。その光景に憂太は慌ててしまう。
「お、大嶋さん、顔、顔を上げて! 困る、そんなことされても困るよ」
「お願いします!」
「いや。違う。断ってるんじゃないんだ。そうじゃなくて」
憂太はしどろもどろになりながら言った。
「お、女の子に頭下げられるなんて初めてだったから、驚いただけで……。い、嫌なんじゃない……。なんて言うか、その……」
「ダメ……かな」
上目遣いに顔を見られ憂太は恥ずかしさで脳が沸騰しそうになった。
「ダ、ダ、ダダダダダ、ダメじゃないです! こちらこそお願いします! だから顔を上げてください!」
「へええええ……」
とエリユリはまるで子どもでもからかうかのような表情で二人の顔を交互に見た。
「ふむふむ! なるほど! ふ~むふむ! そういうことかぁ。……憂太さん、悩む要素なんてないじゃないですか~。唯さま。私たちと一緒に行きましょ」
「うちも賛成」
ニアも手を挙げる。
「勇者さまたちの面倒を見られるのは栄誉なことだし、仲間は多いほどいいし。憂太ァ。この四人で訓練しよ。いいじゃん。すっごい楽しそ!」
「そ、そうだね……」
煮えきらない返事をしているが正直、心の中ではうれしかった。
大嶋唯は他のクラスメイトたちと違い、比較的、憂太に話しかけてくれる子だった。朝の「おはよう」、放課後の「また明日」。その程度だったが、それでも憂太は唯に心の何処かで感謝をしていた。
完全に僕は一人じゃない。
声をかけてくれる人だっている。
憂太が不登校にならない理由の一つは確実に、隣の席のこの子がいたからだ。
それゆえに恥ずかしさもひとしお。
それに、女の子からこうして誘われるなんて小学生以来かもしれない。それに今後もう二度とないかもしれない。
「も、もし、ぼ、僕で良かったら……」
「良かったぁ」
唯の顔がぱっと輝いた。
「これからよろしくね。式守くん」
その笑顔がまぶしかった。憂太の心で顔をのぞかせた小さな希望の光。
この世界に来て良かったのかもしれない。
理不尽に召喚され、理不尽に「戦え」といわれる。
だけど正直、前にいた世界からこの世界へ来て、少しずつだが自分が自分である意味が分かってきた気がする。
僕は存在していても良かったんだ。
僕を頼ってくれる人が、母さん以外にもいたんだ……。
だが、その芽生えかけた憂太の小さな幸せに水を浴びせる者が突然、現れた。
「なんだ、式守。お前もここにいんのかよ」
憂太の意識が現実に引き戻された。顔から血の気が引き、心臓と胃を誰かにぎゅっと掴まれるような悪寒が走った。
そう。その声の主はあの久世。
憂太を目の敵にしている久世が数人のクラスメイトを引き連れて、ここトレシア・レストランを訪れたのだった。




