第15之幕 破魔の剣
第15之幕
「ね~ね~♪ 聞いたよ聞いたよ。憂太の『力』、すごいんだって~?」
アドリアナ公国の宿屋。ベッドに腰掛ける憂太の部屋には昼間の噂を聞きつけたニアとエリユリが訪れていた。
「うちの知り合いの冒険者が勇者さまたちの訓練のお手伝いに出てたらしいんだけど、憂太のあの火炎魔法、第三位界魔法に匹敵する威力だったって」
「だから、あれは魔法じゃないよ」
ニアのテンションにちょっと押され気味に憂太は言う。
「わかった。言うよ。あれは『零咒』って言うんだ。僕の母さんの家系に古くから伝わる術」
「れいじゅ?」
エリユリが首をかしげる。
「うん。陰陽道を基にして、修験道や密教などの秘術、神道や民間伝承の呪術などを取り入れた、おまじないの一種みたいなもの」
「おんみょうどう? しゅ、しゅげん……?」
余計混乱させてしまったようだ。憂太は説明の仕方を変えることにした。
「『呪い』って言葉はわかる?」
「うん。『カース』のことだよね。あらゆる生物や魔物、森羅万象の負の感情から生まれる恨みや妬み、それらが肉体をも支配する恐ろしい力」
ギャルのような喋り方をするにもかかわらず、ニアは意外と博識だ。いや。ギャルが知識に興味がないと決めつけていた自分が浅はかだ。
憂太は気を取り直して話を続ける。
「僕たちが来た世界の日本という国は、その『カース』を『咒』と呼ぶ。実は僕が生まれた日本列島も『咒』の力によって生まれたと言われている」
「それは神話ってことですか?」
エリユリが聞いた。
「うん。日本という国はイザナギノミコト、イザナミノミコトという二柱の夫婦神によって生み出されたんだけど、鉾で混沌をかき混ぜながら『コヲロコヲロ』という『咒』を唱えて島を、国土を作っていったんだ」
「なにそれ、ヤバい!」
ニアが目を輝かせる。
「憂太のいた世界では呪いって、ネガティブなものではないってこと?」
「ネガティブなものでもあるよ。でも同時に神仏……ニアたちには神といったほうがわかりやすいのかな。神の秘術を用いて奇跡を起こしたり、災いを取り除いたり。つまり神やこの世の有り様についての哲学……それとこの世の『結び』のニュアンスのほうが強いかも」
「『おまじない』的なこと? 雨乞いの儀式や、農作物の豊作を祝うお祭りみたいな」
「少し違うけど。……そっか。この世界にも『まじない』はあるんだ」
エリユリはほわっとしているようで意外と思考が鋭い。憂太は少しうれしくなった。元いた世界では、こういった知識をクラスメイトに披露すると気味悪がられたものだ。
「僕のいた世界では神話の時代から『咒』があった。それはいわゆる神秘の力で、長い歴史を経て、哲学、術として体系化されていったんだ。僕が学んだ『零咒』はその一派で、いってみれば魔の存在も含め、神仏から力を借りて行うもの。きっと、ニアやエリユリたちのいう魔法やこの世を読み解く知恵とかと割と近い概念だと思う」
「へええ。でもなんだか異国情緒! うち、そういう話、ホント好きなんだよね」
「ちょっとエキゾチックな感じがするね。さすが勇者さまって気がします♪」
「例えば、こういうこともできる」
そう言うと憂太は支給されたバッグの中から自信の唯一の武具であるヴァジュラを取り出した。
「あ。これ、武器屋にあった過去の勇者さまのお宝」
「そう。見てて」
憂太は静かに目を閉じる。母から教えてもらった金剛界・大日如来の秘術。
彼女たちが来る前に憂太は様々なことを確認した。この異世界では憂太の術は目に見えてハッキリと発動する。いろんな真言を試した。いろいろな秘術を試してみた。驚くほどさまざまなことができた。
それならこの術も……。
「オン バザラダト バン……」
右手でヴァジュラを握り、左手で作った手刀を唇にそっと当てる。
そして軽く息を吹きかけるようにしながら──。
「急々如律令……!!」
途端にヴァジュラの端にある三本の鉾の中心から、光り輝く剣が伸びた。
「うわあ!」とニアたちは床に尻餅をつく。
憂太は立ち上がり、その光の剣を軽く振った。
ブン! と、空気を震わせるような音が響く。
「こ、これ、剣?」
「すごい! まるでお日様みたいに明るい……!」
「うん。これは邪や悪鬼、怨霊などを切り裂く剣。僕の師匠……つまり母さんが言うには『破魔の剣』という技らしい」
そして再び憂太は目を閉じ、真言を唱え始める。
「ノウマク サマンダ ボダナン ラン ラク ソワカ……!」
悟りを求める者を助ける功徳を持つ宝幢如来の真言。
「二人とも、目を閉じて……」
憂太が促すとニアとエリユリは顔を見合わせ、ちょっと不思議そうな表情を浮かべた。だが結局素直に目を閉じ、うーんと顔を憂太に向ける。
憂太は手刀にそっと息を吹きかけた。そして手刀の人差し指と中指の二本の指でニアとエリユリ、それぞれの瞼を撫でる。
「え? 何したの?」
「くすぐったいです」
「目を開けてみて」
憂太の声に従ってニアとエリユリはおずおずと目を開けた。
「うわああああああああっ!」
二人が驚いたのも当然だ。
突如ベッドの上に、いわゆる日本の和服を着た、1つ目の真っ青な肌をした化け物が現れたからだ。
「ま、ま、ま、魔物……!?」
「魔物!? こ、こんなの見たことないよ。なにこれ! 憂太さん! 憂太さん!」
「実はこの魔物は最初から僕には見えていたんだ」
憂太はそう言うと、ベッドの上で正座をしているその魔物の首を『破魔の剣』で切り裂いた。その速さにニアとエリユリは驚く。そう。憂太は子どもの頃からこうした修行を続けてきたのだ。
『グウウウウウウウウウウウウウアアアアアアアアアアア!!』
派手に首が跳ね上がった。そしてその魔物は断末魔と共に霧のように消えていく。
憂太は二人の方を見た。ニアとエリユリはこの光景に唖然としている。
「ちょっと躰がなまっちゃってるな」
そう自嘲気味に言って憂太は『破魔の剣』の刀身をふっと消した。
「い、今のは……?」
「あれは多分、『空亡』で現れた悪鬼の一種だと思う。さっきまで二人の目に見えなかったのは、まだあれの力が弱かったから。多分、あと数日も経たないうちにあれは実体化して人を襲うだろう。大公が僕たちを召喚したのはきっと、この世界の人たちには『咒』と馴染みがないからだと思う」
「ど、どうして、うちらにはあれが見えたの? 憂太、うちらになんかした?」
「『咒』をかけた」
静かに憂太は答えた。
「簡単に言うと『空亡』によって現れる魔物たちを見えるようにした」
「『空亡』の魔物……?」
「あれぐらい弱い気の化け物だと普通、僕がいた世界の人間たちにも見えない。でも宝幢如来の力を二人の目に宿して、君たちの肉体にも『咒』の気を帯びさせてみたんだ。うまくいって良かった」
「すごい……そんなこともできるなんて……」
驚いているニアとは裏腹に、エリユリは突然立ち上がって憂太の右腕にすがりついてきた。
「それなら先に言ってくださいよぉ。私、あの化け物に憂太さんもニアさんも殺されちゃうと思っちゃったじゃないですかあ」
「え?」
途端に憂太の顔が真っ赤になる。
「ちょ、ちょっと」
「ちょっとじゃないですよ! 突然あんなの見せられて。……だって……。私……。初めて……だったんです……よぉ……」
「え、あの、その」
女の子にすがりつかれてすっかり躰が硬直した憂太の左腕に、今度はニアがすがりつく。
「エリユリ、ずるい! うちもこうしてたい♪ ねえ? 憂太?」
「ええええええええっ」
ダメだ。刺激が強すぎる。
憂太は完全に「気をつけ」の姿勢になってしまった。
女の子の甘い匂い。
女の子のやわらかな感触。
そして見上げてくる潤んだ瞳。
思わず、手から大事なヴァジュラを落としてしまう。
だが。
とてもじゃないが拾える状況じゃない!
『なんだ。貴様、そんなに女に弱いのか』
胸ポケットに入っていたウサギ=道満が憂太の心に話しかける。
『女の味もまだ知らぬ小童が、偉そうに自分の『咒』を見せびらかしおって』
この言葉に憂太は一気に正気に戻った。
恥ずかしさによる逆ギレのような怒りに目を見開き、右腕にしがみついているエリユリを吹き飛ばして素早くポケットの中からピンクのウサギを取り出す。
「キャッ!」
そしてそのまま。
『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』
叫ぶ道満。それを封印したそれを握って投げつける。ウサギはベシっ! と床に叩きつけらる。
『き、貴様ぁ! 呪い殺すぞおおおおおおっ!』
さらにそれを憂太をは足でバシバシ踏みつける。
『お、お、お、待て! 待て待て待て待て待て!』
気が触れたように床を何度も踏みつける憂太を、ニアとエリユリはぽかんと眺める。
「ゆ、憂太さん、どうしたんですか?」
「お、おい。ちょっと。床が抜けるよ……?」
はあはあと肩で息をしながら、ようやく床を踏みつけるのをやめると憂太はバターン! と後ろ向きに倒れてしまった。
「憂太さん!?」
「憂太!?」
その時、トントンと憂太の部屋のドアがノックされた。そして扉の向こうから少女の声が聞こえる。
「こんばんは。式守くん。私です。大嶋唯です」
仰向けに倒れて目を回している憂太。その憂太に駆け寄るニアとエリユリ。
そこに、唯のノックの音が淡々と鳴り響き続く。
「憂太さん、起きて~!」
「憂太ぁ! しっかりしてよ~!」
床には手のひらサイズのかわいらしいピンクのウサギのぬいぐるみがぺっしゃんこになって、きゅう~っとのびていた──。