第12之幕 ヴァジュラ
第12之幕
(思い上がってた……)
がっくりと肩を落とす憂太。
何故か剣はまともに振れない。何故か装備も重すぎて動きが不自然になる。
そこまで運動神経が悪いほうではないのだが、まるでこの世界の武器に、憂太自身が「拒否」されている妙な感覚があった。いや。どちらかといえば「呪力」と反発しているようにも感じる。憂太が持つ「呪力」が。いやまたは「氣」が。この異世界の武具を「異物」として跳ね返しているのだ。
逆を言えばそれほどまでに憂太が秘めた「呪力」や「氣」は強すぎた。
ただ、一つ。
「憂太。これ」
ラウラが勧めてくれた召喚術士用の白い魔法着を除いては。
それはまるで学ランのような形をしていた。だが装備をするとしっくりと身や心に馴染む気がする。反発する感覚がない。
「やっぱり」
とラウラは言う。
「憂太はきっと特殊なステータス持ち。それが何らかの理由でこの世界の武器を拒否しているんだと思う。でも多分、憂太のステータスと召喚術の相性は悪くない。この世ならざる者とのつながり。憂太がいた世界とのつながり。きっと憂太に必要な要素はそれ」
「そうなの?」とニアは武器屋のオヤジに詰め寄った。
「それだ~! ねえ、おじさん。この世ならざる者の武器ってここでは取り扱ってないの~? 『ないものはない』、それがこの武器屋のウリっしょ?」
「いや、出せるものは全部出したよ。だがこのあんちゃんには無理だ。武器でも相性ってものがある」
「いや~。実はまだあるっしょ。忘れてるだけとかぁ。実は隠してるとかぁ」
「まいったな。ニアの嬢ちゃん。でも売り物は全部、試した。無理だよ、無理、無理」
「『売り物』は?」
エリユリが眼をキラ~ンと光らせた。
「ということは、売り物じゃないものはまだ試してないってことですよね! 売り物じゃないものを隠してるってことですよね!!」
「ちょ。エリユリの嬢ちゃんまで……」
「ほらほらぁ。隠してないで全部出しちまいなよ~。楽になるぜぇ、隠してたもの吐き出したら楽になるぜぇ」
「や、やめろ! くすぐるなああああああああああ! ないもんはないんだよおおおおおおおおお!」
憂太がそんな茶番のようなやり取りを眺めていた時である。
カウンターの奥。その上。
神棚のようなところに大事そうに置かれている、ある見慣れたものを見つけた。
「あれ……」
「え?」
「な、なんだぁ?」
皆の動きが止まる。
「あれ。なんですか?」
全員が憂太の指差すほうを見た。
そこにあったのは。
「ああ。それは古くからこの家にある御守りみたいなもんでな。なんでも昔の『空亡』を収めたっていう勇者さまが身につけていたものらしい」
憂太が見覚えがあるのは当然だ。
それは『ヴァジュラ』。
三鈷杵と呼ばれる密教法具だったからだ。
「ヴァジュラ」……上から五鈷杵、独鈷杵、三鈷杵
「あ、あれを見せてください!」
思わず憂太は叫んだ。
「はあ? いやだからあれはうちの先祖が昔の勇者さまから預かった、大事な品だ。代々、この店の御守りなんだよ。売りもんじゃない。けえんな、けえんな」
「いや、僕にはあれが必要なんです!」
憂太にしては珍しく食い下がった。
『ヴァジュラ』……もともとはインド神話で帝釈天インドラが下す雷電のことを指していた。
日本には奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わったもので、『霊器』としては最もメジャーなものの一つになる。
さらに言えば、そのヴァジュラは天然石でできているようだった。
天然石から作られたヴァジュラは最もエネルギーが強いとされ、帝釈天や金剛力士、金剛夜叉明王、愛染明王などの武具としても知られている。
「お願いします! きっとあれじゃないとだめなんです!」
「いや、そう言われても」
「この世界を守るためにも、絶対にあれが必要なんです!」
「だが、あれはうちの大切な宝みたいなもんだから……」
憂太には何故か確信があった。それに吸い寄せられるような感覚が胸から湧き上がってくるからである。
だが店主もそう簡単には応じない。
「ください!」
「ダメだって」
「お願いします」
「この通りです」
「頭を下げられたって、無理なものは無理」
「何でもします」
「だから、そういう話じゃねえんだよ」
「でも!」
この押し問答を終わらせたのは、ラウラだった。
ラウラは突然、魔法の杖をひょいと振ると、手のひらにこぶし大の宝石を出した。
「店主。これは私が父からもらったものだ。これと引き換えではどうか?」
その瞬間、武器屋のオヤジは目玉が飛び出るのではないかと思うほど目を見開いた。
「こ、これは!」
その大きな躰が震えるほど驚いている。
「この国の幻の宝と言われる宝玉、マエラの純粋結晶……! これ一つで、この店の武器全部、十回買ってもお釣りが来る……」
「これを百個、私は所望している。店主よ。マエラ百個で手を打たんか?」
その場が一瞬で凍りついた。
「ん? どうした? 足らぬか?」
武器屋のオヤジはそんなラウラをじっと見つめ……。
白目をむいて気絶してしまった。
◆ ◆ ◆
「いやあ、よかったですね☆ その『ヴァジュラ』っての? 売ってもらえて」
「う、うん。なんだか無理やりだったけど」
あのあとは大変だった。武器屋のオヤジがあまりのうれしさに泡を吹いてしまっていた。
それだけで、そのマエラという宝玉がとんでもないほど価値があるのがわかる。
「やっぱ大公の娘は違うよね~。うちですら腰を抜かしそうになったもん」
「うぬ。世界のためだからな」
「あんなの国が一つ買えちゃうよ~。ラウラちゃん、本当に大丈夫だったの?」
「父上はあれと同じものを誕生日のたびに百個くれるからな。まだまだ在庫はある」
「うっひゃあ。本物のお金持ちはひと味違うわぁ」
そんな賑やかな夕焼けの中を憂太は歩く。
手に『ヴァジュラ』を握りしめて。
召喚術士用の装備は上が白。下が黒。
襟元には晴明紋とそっくりの五芒星。偶然にしては出来すぎだ。
(色使いもちょうど陰陽と同じ……)
こうもうまくつながると逆に不安になる。だが憂太はそれを『縁』と捉えることにした。
『零咒』の教えの一つだ。
偶然は『縁』であり、『縁』こそが最も身近な『咒』であり良くも悪くも人生に大きな影響を及ぼすと。
──こうして、ようやく冒険の準備が整いつつあった。だが気になるのは、あの正体不明の式神だ。
実は憂太にはすでに、その式神の正体を何となく察していた。
あれだけの力、知識、そして『咒』のエネルギー。
それにかつてあの式神は確か、こう言っていた。
「わしの名は、あしやど……」と。
あしやど……。
もうあの時点で気づくべきだった。
憂太のこの想像はおそらく世迷い言ではない。
そう。
蘆屋道満!
それがあの悪霊の名だ。
──平安時代を代表する陰陽師にして、宮仕えの安倍晴明に唯一対抗できたとされる天才陰陽師。『宇治拾遺物語』などほどんどの文献において安倍晴明のライバルとして登場し、「正義の晴明」に対し「悪の道満」という扱いをされている。
それが蘆屋道満。
その蘆屋道満の怨霊が。
……よりによって、安倍晴明の血をわずかに引く僕の手に──?
◆ ◆ ◆
一方で、ピンクのウサギの中で、その『大怨霊』もこう考え事をしていた。
『あやつ。世界征服を目論むわしに対抗できる国家守護の法まで身につけておる。簡単に手出しはできんが、いいだろう。喰ってやる。利用しつくして喰ってやる! その肉体、わしが手に入れて、この世に蘆屋道満ありと、受肉宣言をしてやる!』
かくして奇しくも陰陽界最大のライバル同士はこうしてタッグを組むことになった。
『空亡』は日に日に力を増してきている。
本当の戦いの火蓋が切られようとしていた。