第11之幕 仏眼仏母《ぶつげんぶつも》
第11之幕
「いったたたた……」
尻餅をついて半ベソをかくエリユリ。思わず憂太は手を差し伸べる。
「あ、ありがと」
その手を取ってエリユリを引き上げた。
「なになに? 結局一体、何が起こったの?」
ニアが駆け寄ってくる。
「わ、私の躰が勝手に浮いて~」
エリユリはまだ涙声だ。
「髪の毛引っ張られて痛かったんだよおおおおおおお」
わあわあと泣いて騒ぎ出す。
「エリユリ、お尻おっきいから……」
「ええっ! ニアさん、それ今、言います? 今、言いますか?」
「憂太、私も何か感じた。何が起こったか教えてほしい」
ラウラが見上げてくる。そう言われても……と憂太は悩んだ。
どうやら、あれら妖怪の類は実体化するまでこの異世界の人間には見えないらしい。
だが、ラウラは感じたようだ。そこで何が起こっていたかを。
召喚士。
この世の者でない召喚獣を呼び出す力を持つ者。もしかしたら召喚士は最も憂太のような術師に近い存在なのかもしれない。
憂太は悩んだ挙げ句、一か八かで呪術を使って見せることにした。
「え……と。鏡、ある?」
「鏡?」
ニアが首を傾げる。
「そう。鏡。もしかしたら、できるかもしれないと思って……」
「鏡か。それなら私が持っておる。これでいいかい、憂太」
ラウラは大きな魔法杖をひょいと降ると、何もない空間から手鏡を出現させた。
「うわ。すご!」
「世辞はよい。それよりこの鏡で何ができるというのだ?」
憂太は手鏡の柄を持ってゴクリとつばを飲み込んだ。
もしこの異世界が『咒』と相性がいいというならできるはず……。
憂太は人差し指と中指を伸ばし、残りの指は握る『刀印』を組んだ。
そしてそれを口元に当て、仏眼仏母の真言を唱える。
「オン ボダロシャニ……」
手にした鏡が光を放ち始める。
「ソワカ……!」
途端に、鏡に映る世界が切り替わった。
まるで映画のように、過去の出来事を映し出す。
「おいでおいで」をする和服の女。
その『生首』が取れ、空に浮かぶ姿。
『生首』から生えた一本の腕が、エリユリのツインテールを掴む姿。
そして憂太が毘沙門天法で、風船のような生首を一刀両断にする姿。
「すごーい! これなに、なんて魔法!?」
「……てか。かなりエグいもん見せられた気がするんだけど」
やはりそうだ。
憂太が元いた世界では、陰陽術、密教、修験道、呪術、それらはすべて迷信の枠から抜け出せずにいた。
だがこの異世界では現実のものとなる。いや。おとぎ話という”思い込み”の『咒』が解け本来の力が発動すると言ったほうがいいか。つまり。
──母の教えが、この異世界では通用する……!
「い、今のは仏眼仏母法っていうんだけど」
「ぶつげんぶつも?」
「えと。何て言うかな。仏眼仏母は真実を見つめる眼を神格化した女性を尊格化した如来で、その法を使うと目に見えなかったものも見えるようになるっていうか」
「すごい~! 初めて聞いた! いわゆる神秘の力ってやつですかね」
エリユリが眼をキラキラさせる。
「いや神秘というより、呪術や法術に近いもんで」
「言ってることよく分かんないんですけど、それ私にもできます? やってみたい!」
「すごいじゃん憂太、さすが異世界から来た勇者さまってヤバいわ」
「ちょ、ちょっと。近い、近いよ」
すり寄られて赤面する憂太。
ラウラはいつまでもその鏡を見つめ、その仕掛け、仕組みを読み解こうとしているようだ。
だが、少し自信が湧いた。自尊心が満たされた。
母からの修行は無駄じゃなかった……!
『ふむ。多分、信仰心の差だな』
不意に頭に念が届いて憂太は肩をビクリとさせた。
その肩の上に。例の小さいピンクのウサギが乗っかっている。
本当に戻ってくるんだ……と憂太は驚いた。
『かつてわしが過ごした平安の世は、政も色恋も文書もすべてが『咒』によって支配されていた。だが人々の信仰心は時代が移り変わるとともに薄れていき、『咒』もその形式だけが残った。形骸化したわけだな』
やけに神妙な式神の言葉に憂太は思わず肩の上の「それ」を見つめた。
『だがこの異世界とやらでは、魔法や召喚術、そういった類のものが現実として存在しておる。現世では空想上の動物にすぎなかった魔物、化け物、亜人どもも普通に人のごとき営みを行っておる。いわば「想像力」。「空想」や「信仰」の力が、この異世界とやらには満ちておるのだ。ゆえに、わしもこちらへ来て、ついに本来の力を取り戻した』
(つまり……)
と憂太は引き継いだ。
(この異世界では僕の『咒』も使える……?)
『まあ、そういうことだ』
ウサギに封じられた式神は面白くなさそうに言った。
『せっかく世界征服でも企てようと思ったが、そう簡単にはいかんようだわい。とりあえずわしは寝る。この人形に封じられたままで、さっきの幽鬼を引き裂いたせいで疲れた。お前は勝手にしろ。女どもにチヤホヤされてろ』
(そ、そん、そんな! な、なん……!)
『やかましい! もう話しかけるな。じゃあな』
そう言うと小さなピンクのウサギのぬいぐるみは、肩から憂太の手のひらの上にぽとりと落ちた。
(なんだって言うんだよ)
そう腐る憂太の手を、再びニアとエリユリがそれぞれ掴んだ。
「とりあえず行こ~☆ 憂太さん。武器屋はすぐそこですよ~」
「なんか、うち、すごいワクワクしてきた。うちらの知らない未知の力……。どんな装備が合うかなぁ。めっちゃ楽しみくない?」
「う、うわ。ちょっと。引っ張らないでよ」
そう慌てながらも憂太は少し誇らしかった。
もしかしたら僕みたいな役立たずでも、この世界なら活躍できるかもしれない。
僕をバカにしてきた同級生たちに、あっと言わせることができるかもしれない!
──だが。
「なんだ、あんちゃん。その剣すら使えねえのかい?」
武器屋。
先ほどの誇らしさはどこへやら。憂太はすっかり落ち込んでしまっていた。
どの武器も、どの防具も。
どれだけ高価でも、どれだけ優れていても。
憂太はまともに装備することができなかったのだ。