第1之幕 血みどろTOKYO:八尺さま【渋谷】
第1之幕
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
悲鳴が都心の闇に響き渡る。東京。渋谷駅前。スクランブル交差点。
そのほぼ中央に、彼女の同級生の久世祐一の首がころころと転がった。
首を失った久世の骸から空に向けて、火山の噴火の如く血が噴き上がる。
「勇者さまっ!!」
このむごたらしい光景を受け、白狼族の亜人──名は確かアーシャといったか──が、必殺の剣戟を振るった。
「黒狼土砂斬!」
彼女がここぞという場で放つ必殺の技だ。
土の精霊の加護を受け、砂や石、土埃までをも嵐のようにその刀にまとわせ敵へと放つ。
その嵐はまさしく「黒狼」。その歪な「黒狼」の嵐の刀身で斬られた者は、まるでノコギリ刃をかけられたかのように荒々しく肉片を削がれる。まるですり下ろされるような痛みを与えながら……。
アーシャの白い髪とのコントラストがこの技の歪さを雄大に物語っていた。
だが。
「なっ……!?」
そこにいる誰もが目を疑った。なぜなら。
すり抜けたのだ。
大きく空振り、バランスを崩すアーシャ。そのアーシャを、そこに立っていた巨大な女が細く長い手で吹き飛ばした。
(やっぱりだ……)
吹き飛ばされていくアーシャの姿を見ながら式守憂太は思う。
『気づいたか。小童』
憂太の式神・蠱毒の怨霊・蘆屋道満が憂太の心に囁きかける。
『“地”、“火”、“風”、“水”。こちらにもその概念はある。だがそれだけでは怪異は倒せん』
その怪物は8尺(約240cm)ほどの身丈があった。
白いワンピースを身に着け。
真っ赤な唇から「ぽぽぽ……ぽぽぽぽ」と不気味な声を発している。
──八尺さま。
古くから都市伝説の怪談に登場する大女の妖怪だ。
幼少期から、拝み屋の母より怪異に対する英才教育を受けてきた式守憂太はこの怪物の名を知っている。
「魅」了の力を持ち、魅入った子どもをどこかに連れ去ってしまう誘拐系の怪異。出会ったら最後。呪われ闇の住人になることを強いられるか、その場で惨殺されてしまうという八方塞がりの妖怪だ。
比較的新しい、都市伝説の怪異であり、明確で正確な対策法や撃退法はまだ記されていない。
その怪異・八尺さまが次に選んだのはクラスで一番のお調子者の田中幸子だった。
まるで釣り竿のようにその長い腕――いや形状的に足か手かわらからない――をしならせ、彼女の足首を掴み引きずりあげていく。
「イヤあああああああああああああああああああ!!」
絶叫する幸子の足首はそのままねじり切られる。
そしてその足首が夜の闇に捨てられる。まるでゴミのポイ捨てか何かのように。
ちょうどその瞬間、渋谷スクランブル交差点の信号がすべて一斉に「赤」になった。まるで血みどろになっていく田中幸子の血の色とリンクするかのように……。
その時、式守憂太の背後から声がした。
「た、助けて……式守くん……!」
振り返る。学年でも美少女として名高い吉岡鮎だった。腰を抜かした吉岡鮎が、涙で顔をびっしょりと濡らしたくしゃくしゃの顔で憂太にすがりついてきていた。
「もう男子は式守くんしかいないの! 助けて、幸子を助けて!」
吉岡鮎が憂太に助けを求めている間位にも、八尺さまは長い両手を器用に操り、田中幸子の腹の内をかき回す。内臓を引き出し、手足を引きちぎり……。
まるで子どもが飽きたおもちゃを放り投げるがごとく肉片を辺りに散らかす。
路面はたちまち血の海と化した。その血が吉岡鮎の足元まで濡らす。
「死んじゃう! 幸子が死んじゃう! 式守くん助けてええええええええええええええ!!」
だがこの吉岡鮎の懇願を、絶叫を。憂太はどこか遠くから聞こえるやまびこのように聞いていた。
◆ ◆ ◆
式守憂太。
憂太は東京郊外の大地主の長男としてこの世に生を受けた。
母の名は珠李。平安時代に活躍した伝説の陰陽師・安倍晴明の末裔である土御門家の血をわずかながらに引いている。
母が嫁いだ式守家は、かつて陰陽師の名門・加茂家の臣下であったが今や落ちぶれ、その術式は失われてたと噂されている。だが名のある家系であることには違いなく、ゆえに母は結婚させられたのだ。
憂太は金銭面では何不自由なく育ってきた。子どもの頃からメイドに面倒を見てもらいつつ。だが、父・久三郎は酒癖、女癖、ともに悪く、憂太もほぼ家で見かけることはなかった。
さらには深夜。階下から皿などが割れるような音とともに「あなた、やめてください! やめてください!」といった母の悲鳴を聞くことは頻繁にあった。
その母のつんざく声を聞くたび、幼い憂太は布団にくるまり、耳を塞いだものだ。
普段の母はとても優しかった。
「憂太の名前はね、人を憂うことができる優しい子に育つようにってつけたの。人を優しく憂いながら長く太く、たくましく生きてくれるようにって、ね」
そう枕元で語る母の目が濡れているように見えたのは気のせいではなかったろう。
やがて母は、父の女遊びと暴力から逃れるように仏門へと入った。
高野山に入り、尼として密教を修行する道を選んだ。
捨てられた、とこの時、憂太は思った。
母はあの父のもとに僕を置いてけぼりにしたんだ……。
傷ついたこの少年の遊び相手はメイドだけだった。
やはり父の姿を見ることはほぼなかった。
だがその暴力に怯える日々が続いた。
母を想い、父に震え、そんな生活が憂太の心を切り裂いていく。一生消えぬ傷を作っていく。
もう取り返しがつかないかと思われた三年後。
憂太が小学校に上がった頃だ。
唐突に、母は戻ってきた。
信じられなかった。
この地獄が終わる日が来るとは思わなかった。
母は帰ると同時に、絶望しきった憂太を抱きしめ、「ごめんね、ごめんね」とむせび泣いた。
どうしてママはこんなに謝っているんだろう。どうしてこんなに取り乱しているんだろう?
憂太はこれを他人事のように感じていた。
――そう。憂太の心はこの頃にはすでに壊れてしまっていたのだ。
母はそれから家で拝み屋を開業した。
近所の困った人たちの相談に乗り、彼らの背中についているという悪鬼や悪霊を祓うといういかがわしい商売を始めたのだ。
憂太はそんな母の姿を見ながら育った。
そしてこの時から、母は憂太に自身の術を伝え始める。
「ママ、この紙切れは何?」
「これはね、形代って言うの。禊や祓の時に使う人間の身代わりのようなもの。ほら、人の形をしているでしょう? でもね、取り扱いには注意も必要なの」
「注意?」
「そう」
母はかすかに微笑んだ。だがその狂気じみた笑みに、その当時の憂太は気づけなかった。
「これは人を傷つけることもできるものなの。この形代に、呪いたい人の髪の毛や切った爪などを入れることで、大きな災いをその相手へと送り込むことができる呪禁物」
「じゅごん、ぶつ……?」
「そうよ。憂太にも土御門の血は流れている……。これからはママがいろいろ教えてあげるわ」
土御門一門は今もその秘術を伝えている。そして母のこの言葉は、憂太が薄くではあるが、平安時代の名高い陰陽師・安倍晴明の血を引いていることを意味していた。
こうして憂太は特殊な呪術やオカルトの知識を得ていくことになる。これが憂太の子ども心をくすぐった。まるで自分が魔法使いにでもなったかのような気分になった。世界の、いや宇宙の真実を知ったような衝撃があった。
憂太は知り得た膨大な呪術に関する知識や呪い、怪異譚を得意になってクラスメイトたちに話聞かせた。クラスメイトたちも最初は面白がっていた。だが級友たちもやがて憂太を遠ざけるようになっていく。
オカルトオタク。
そう。気味悪がられたのだ。
クラスで孤立し、避けられ、時にはいじめも受けた。
憂太の心はさらに死んでいく……。
ボロボロと。
崩れていく。
ボロボロと──。
(──人なんて信じるもんじゃない……)
憂太のまだ幼い心はそんな”呪い”に取り憑かれてしまっていた。
一度は自分を捨てた母。
憂太にとっては信じてはいけない相手に、本来なら母も入っていたかもしれない。
だが憂太にとっては母がすべてだった。
どうにもならない血のつながり。
信じてはいけないという強迫観念が逆に作用した母への強い依存……。
そして母の教育通り、母にとって「いい子」のまま育っていった。
結果、憂太は陰陽道、密教のみならず、神道や修験道や各術式など大人顔負けになるほど習得していく。
──「零咒」。
母は実家に伝わるこれら呪術を憂太に「零咒」と伝えた。
憂太はまるで救済を求めるかのようにこの「零咒」を必死に学んだ。
辛い修行にも耐えた。
母から渡された資料はすべて暗記するほど読み込んだ。
クラスの連中のことなどもはやどうでも良かった。
「零咒」を完全に習得することが母の喜びであり、その喜びは憂太の喜びでもあったから。
そして、それが「信用してはいけない」と無意識で警戒する憂太と、「どうしようもない血のつながり」がある母との、か細い、絆だったから──。
そんな憂太は孤立したまま高校へと進学した。
そしてある日。
クラスの半数を巻き込んだ、謎の、いわゆる「異世界転移」現象に見舞われることになる。
剣と魔法。エルフやドワーフ、獣人族や魔族らのいるファンタジーの世界へ。
(だけど……)
憂太は八尺さまに襲われる同級生の断末魔を因果応報としてしか聞けないでいる。
(どうして人間って、こうも、都合がいいんだろう……)
少年の心は怨恨入り交じるある種の「呪い」へと呑み込まれていた。
そして少年の抱えた闇は、ある恐ろしい怨霊をも引き寄せてしまう。
そしてこの怨霊は今後、憂太と離れられない「呪い」でつながれてしまう──。
【式守憂太イメージ】
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