~出生~②
激しい破砕音が城に響き渡る。
「な、何事じゃ!」
「解りませぬ」
突如の出来事に意を衝かれる光宗と壇上。
その衝撃はいかなる物か。近場に落雷でもあったかと思われる様な激しい破砕音。瞬間、天守閣が揺れたかとも感じとれた。城内がたちまち騒ぎに包まれていく。
「この騒ぎ、ただ事ではありませぬ。即刻確認して参りますゆえ、しばしお待ち下さいませ」
壇上は即座に踵を返し階下へ向かおうとした
「待て、壇上。余も参ろう。誰ぞ刀を持てい」
「なりませぬ。殿の御身にもしもの事があれば」
「黙れ、家臣を案ずるは余の役目ぞ。誰ぞ早く刀を」
壇上の制止を聞かず光宗は小姓から刀を受け取ると、そのまま階下へと駆け出した。
「殿、お待ち下され!」
壇上も慌て光宗の後を追う。
この騒ぎは一体何事か。階下へ向かうにつれ騒ぎは大きくなり、家臣の声は勇ましく、女中の声は阿鼻叫喚へと変わっていく。次第にすえた臭いが鼻を突き始めた。そこに混じり合う血の臭い。意識を高めていなければたちまち嗚咽に塗れるだろう。すえた臭いが更に濃くなる。
この階だ。壇上は確信し辺りに意識を集中し始めた。
「ひゃああぁぁぁ」
一人の女中が逃げる様にこちらへ駆けて来る。
「何事か!」
光宗が女中を受け止め問いただす。
「あ、あぁ。あぁぁぁ」
女中の顔は恐怖に怯え、涙に濡れぐしゃぐしゃだった。
「落ち着けい」
壇上は女中の肩に手を当て力強く握り締めた。女中は壇上の顔を見つめた後、カクカクと何度も顔を縦に振りながら、震える手で恐る恐る駆けて来た方を指差した。
壇上は睨みを利かせてそちらを凝視する。すると、まるで一陣の風が吹き抜けた様な錯覚を覚えた。風といっても健やかなる物では無い。生ぬるく、べったりと身体に張り付き、抜ける間際に全身の皮膚を溶かし、血と共に奪い去って行く様なおぞましい感覚。
「これは……殿、お下がり下さい」
壇上の身体に極度の緊張が走り、急激に気迫が高まっていく。
「壇上。これは、まさか」
光宗も先程の感覚を感じ取っていた。顔が蒼白に凍りつく。
「はい。さぁ、早く後ろへ」
「あい解った」
光宗は一歩下がり、壇上はゆるりと歩を進めた。
一歩進む毎に全身の毛が逆立ち始め心身共に武人のそれへと変わっていく。
飲まれてはならぬ。
己に暗示ながら感覚をすり抜け進み、臭いがより濃く強烈な襖の前へと辿り着く。慎重に刀へ手を掛ける壇上。一意専心、刀を素早く抜き去り襖を両断。突風でも起きたかの様に襖は吹き飛んだ。
そこに広がる光景や。まさに、地獄なり。
壁に叩き付けられたであろう女中の半身。辺り飛び散る家臣の臓物。折れた刀に、滴る天井。
その先に仰々しく佇む、朱の塊。
「貴様……」
呟くと壇上は躊躇せずその朱い塊に斬りかかった。塊は素早く動き距離を開ける。
「くはははは」
塊から笑い声が漏れた。腸まで響き、握られる様な卑しい声。
壇上が塊に刀を向け強烈な気あたりを放つ。瞬時に放つ怒号の一声。
「酒呑童子!」
朱の塊はニタリと笑った。
酒呑童子。それは当時、国を騒がせ、恐怖に陥れていた悪邪妖魔が鬼の頭領。その身の丈は人の二倍か三倍か。肌は酒を浴びた様に赤く、まばらに毛が生え、両の腕は丸太の如き豪腕振り。目は鈍い眼光を宿し、裂けた様に広がる口。そこから覗くその牙は、幾度と無く人を襲い、嬲り、屠り、喰らう。迷うこと無き人の仇。何度もこれの討伐を試みたが苦しくも及ばず、その全てが返り討ちに会う始末。
「貴様、ここへ何用じゃ」
静かな殺気と共に問いかける壇上。
「くはははは。何用か? 解らねぇか?」
ニタニタと笑う口で牙が躍る。壇上は無言で刀を構え直した。
「なに、良い匂いがしたんでなぁ。産まれ立ての赤子の匂いだぁ。だからよぉ、喰らいに来てやったのさ」
見れば産まれたばかりの陽姫が、産みの親である奥方様に護られる様に抱かれていた。だが、奥方様の命はもう無い。首から腰にかけて背中を抉り取られていた。それがどれ程の苦痛であるか想像も出来ぬ光景であったが、それでも我が子を護る一心なのか、愛する一心なのか、否、それ以上の想いであろう。陽姫を優しく両の手で包み込み、屈託の無い笑顔を向けたまま奥方様は絶命していた。
「おのれ!」
怒号の声と共に発せられる強烈な踏み足、音が一瞬遅れて聞こえるかの様な鋭き横一閃。
が、当たる間際のその刹那、酒呑の爪が絡みつく。壇上は寸での所で身を翻した。
「くっ」
「やるじゃねぇか」
睨み合う 鬼に侍 譲らずや 隙伺いて 間合い計らん
仕掛けるは再び壇上。今度は間合いを詰めつつ入るや否や、横へと身体を滑らせる。酒呑の反応が一瞬遅れた、それを壇上が見逃す筈は無かった。滑らせた身体を踏み縛り、その反動で強引に斬りつける。その一閃、見事酒呑を捕らえたり。
しかし、致命ならず。
浅かった。身体を踏み縛った時、床に広がる血が足に纏わりつき僅かに滑ったのだ。
「惜しかったな、侍」
卑しく笑う酒呑。その豪腕を力任せに振りぬき壇上を吹き飛ばす。
「ぐあっ!」
痛烈な呻きを漏らしつつ、後方に飛ばされる壇上。
「痛ぇか?」
娯楽を楽しまんとばかりに牙を躍らせる酒呑。
壇上は酒呑に睨みを利かせながら無言で立ち上がった。
「ほぉ? 良いぜ侍。良いじゃねぇか」
まるで玩具を与えられた子供を思わせる高ぶり。まさに、狂気なり。
しかし壇上は、その酒呑の狂気を裏切るかの様に刀を鞘へと納めた。
酒呑の牙が踊り止む。
「何してんだ?」
つまらなそうに問いかける酒呑、だが、壇上はそのまま視線を床へと落としてしまった。
「なんだ?諦めたのか? つまらねぇなぁ。なら、赤子は頂くぜ」
期待を裏切られすっかり興を削がれた酒呑は、落胆しながら産まれたばかりの陽姫へと近づいて行く。
突如、壇上の叫びが響き渡った。
「すまぬ! 許せ!」
最早、壇上に興味の失せた酒呑であったが、その目に入り込んだ光景に大声で笑い出した。
「ぎゃははっはっはは。ひぃひっひっひ」
狂った様に腹を抱え笑う酒呑。一体その目に何が映ったのか。
見た者はその目を疑うであろう。気がふれたと思う者もいるだろう。
なんと壇上は酒呑のその目と笑いの先で、あろう事か、死して半身となった家臣の身体を踏みつけていたのである。何度も何度も、何度も。ギリギリと歯を軋ませ、目からは大粒の涙。見た者を恐怖させるであろう形相で、何度何度も踏みつけた。
「許せ! 許せ! すまぬ許せ!」
「こいつは面白れぇ。最高の肴だ」
閃いた。これを見物に赤子を喰らえば、さぞ甘美な事だろう。酒呑は狂喜すると、壇上に背を向け、右腕をぬらりと伸ばし陽姫を摘み上げた。そのまま陽姫を口へと運びながら、壇上を肴にしようと再び振り返ったその時。
酒呑の右腕は吹き飛んだ。
「うぬっ!」
酒呑の呻き。走る痛みに顔を歪ませながら見つめた先。扇壇上である。
壇上は諦めてはいなかった。気がふれた訳でも無かった。何度も家臣の身体を踏んだ後、背を向けた酒呑目掛け、その足を半歩前へ、刀を腰に当て芯を残し身を捻る、状態はやや前傾。そこから放たれたのは、間合いを詰め切ると同時の居合いの一撃。壇上の十八番。
壇上が家臣を踏みつけていたのは、足に纏わり付いた血を拭う為だったのだ。全てはこの一撃の為。どんな想いだったろう、同じ志を持つ同胞の大儀ある死を侮辱するかの行為。何度腹を斬ろうとも決して許される事では無い。張り裂けんばかりの苦しさと悔しさ、そして怒り。己に対してか、それとも酒呑に対してか。今もその目は涙に濡れ、恐ろしい形相をしている。
酒呑の腕が宙を舞う。好機。壇上は返す刀に渾身を込め酒呑の首を狙い振り下ろす。が、
「ふぎゃぁぁぁぁ」
鬼気迫る 血闘死闘に 響きたる 純粋無垢なる 穢れ無き声。
「なっ!」
壇上の極限まで張り詰められた緊張の糸に綻びが生まれる。
何とした事か、先ほど酒呑に摘み上げられた陽姫が床へと転がり落ち、突如として泣き出してしまったのだ。
酒呑を睨めつけていた壇上の視線は思わず陽姫へと流れ、恐ろしき形相も緩む。それはどんなに心が怒りに満たされても、壇上が人であるがゆえの隙であった。振り下ろす刃は乱れ迷いが生じた。
人の隙に付け入るは悪邪妖魔が見せ所。
酒呑の目が鈍く光る。躍る牙はピタリと止まり、歪に噛み合わさった。
メキメキと大木が圧し折れるかの様な不安を煽る音と共に、酒呑の左腕がみるみると膨張していく。
酒呑は不気味に喉を鳴らしながら、その極限まで膨張した左豪腕を壇上へと無理矢理かつ強引に突き出した。
「しまっ!」
陽姫に気を取られていた壇上。気が付くも遅い。避けられぬ、ならばどうする。
咄嗟に振り下ろす刀を引き戻し、身に寄せ防ごうとするも、耐えられるはずが無かった。
酒呑の左豪腕は軽々と刀を砕き、深々と重々しく壇上の身体に突き刺さった。そのまま更なる力で振りぬかれる。
「ぐぶぁ……」
言葉にならぬ呻きと共に壇上は後方の壁まで飛ばされ叩きつけられた。その衝撃は骨をも軋ませる。崩れ落ちた壇上。いかん、このままでは。意識も切れ切れに即座に来るであろう酒呑の追撃に備え何とか身を起こす。しかし。
酒呑の追撃は無かった。それどころか、苦虫を噛み潰した様な渋い顔つき。
「ちっ……朝か」
朝。よく見ると、壇上が叩きつけられた壁が崩れ、僅かながらにその隙間から陽の光が差し込んでいた。
酒呑は数歩後退りし、ちらりと陽姫を見る。陽姫の周りにはいつの間にか、生き残った家臣達がその身を盾に護ろうと刀を構えていた。
「ちっ。また来るぜ。必ずその赤子を喰らってやる」
「絶対に……させぬ」
崩れながらも腕を必死に伸ばし、掴みかかろうとする壇上を尻目に、酒呑は転がる己が右腕を拾い、軽々と天井に張り付いた。そのまま飛び去るかと思いきや、動きを止め酒呑は再び壇上に目を向けた。
「良い事を思いついた。ただ喰うんじゃつまらねぇ。少し、戯れをしよう」
「戯れ?」
忌々しいとばかりに睨み付ける壇上を他所に、卑しい顔に更に卑しく輪を掛ける酒呑。
「奇数だ。奇数ってのは人間共の間で縁起が良いんだってなぁ。くくく、その赤子が奇数の歳を迎えるその時に、必ずまた喰らいに来よう。どうだ、縁起が良いだろう。くくく。なぁ侍、てめぇの顔は覚えておくぜ、あばよ」
酒呑はそう言い放つと、己が右腕を口に咥え、遥か西の空へと飛び去って行った。
「壇上!」
事の始終を見届けていた光宗が慌て壇上へと駆け寄る。
「大丈夫か! 壇上!」
「ご心配には、及びませぬ。それよりも殿……私よりも、姫様を。それと……申し訳ありませぬ……奥方様が」
息も切れ切れに壇上は陽姫を案じ奥方様の死を告げた。
「なんと……酒呑め……すまぬな、壇上」
「勿体無きお言葉」
この日、名代の城を襲った、幸と不幸。
酒呑は吐いた。必ず赤子を喰らってやると。
壇上は誓った。絶対にさせぬと。